トコトコ中国バスの旅 |
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▼北京一卡通編 #83
【旅日記】
2018.10.13(土) 城堡が残っているのを見つけた白馬関
6:05 アパートを出発。目的地は密雲区の白馬関。城堡が残っているのを見つけたので行ってみた。 国慶節の連休が終わったら、北京は急に寒くなった。爽やかな気候の上海から帰ったばかりで、今朝はより寒く感じた。連休中は毎日早朝から大渋滞だった京承高速は、ガラガラ。乗り継ぎを心配したが、早過ぎるぐらい。 7:34 東直門バスターミナルから乗った980快を密雲鼓楼で下車し、密60路が発車する密雲電信バスターミナルへ行くと、バスも多いが人も多い!8:00発だが、行先表示が出ていないのでどのバスか分からない。 |
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運転手の動きに注意しながら辺りを見回していると、時刻表を発見した。地図アプリのバス路線に出る出発時刻を信じて来たが、念のため確認。 確かに8:00発がある。しかし、保険に考えていた9:00発の密61路は、その路線が無い!8:00の次は9:30。遅れなくて良かった。 スマホで撮影する人が何人もいた。実用のためだ。数時間後、そうすれば良かったと悔やむことになるとは、、、 |
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時間は分かったが、依然としてバスが分からない。地元の人は運転手やバスのNo.を知っているようで、休憩室から運転手が出て来ると磁石に吸い寄せられるように近付いて行く。後で思うと、車内の料金表で路線番号で見つける作戦があった。覚えておこう。 7:45 周りの雰囲気から、一番奥の人だかりがしているバスが臭いと思っていたら、やっぱりそうだった。人だかりに半ば分け入り、上手く席がゲットできた。発車前にこの状態。余裕で構えていたら、大変なことになっていた。更に、もう一人も乗れない寿司詰めになったら、定刻を待たずに出発!これも良く覚えておこう。 |
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暫く誰も降りなかったので、バス停飛ばしが続き早い!バス停で待っていた人は可哀想だが、乗れないからね。きっと、運転手は手を振りながら通過したのだろう。 百里山水画廊から密雲水庫に流れ込む白河を越え、S310を北北東に進んだ。初めて通る道。急に高度が上がり、水庫が眼下に広がった。山々は紅葉が進んでいた。 道がX008に変わり暫くしたら、朽ち果てた長城が見えた。そろそろ到着の筈。 |
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9:21 白馬関で下車。早く着いて良かった。 所々に白馬がいたが、ここの白馬が一番大きい。 |
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山深く、空気が澄んでいる。国慶節連休は毎日真っ青な空だった。それに比べると、少し霞掛かっているが残念。 |
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白馬の裏のバスケットコートで向日葵を天日干し。 |
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ここも案内板が無い。適当に進むと小さな馬が見えた。 |
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そこが白馬関城堡の南門だった。 葉っぱが落ちると立派な姿が現れる。 |
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今を去ること650年前、明代洪武年間 1368年に建築が始まった。 城壁の外側は煉瓦積、内側は石積。 |
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1996年、保護文化財指定。もっと早く指定していれば、、、 |
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いざ村の中へ。 |
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南門の正面。長〜い、長〜い、村の紹介。 どの馬も造形が今一つ。 |
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南門から城壁に登ってみた。 東西100mにも満たない小さな砦。城内に面影は感じられない。 |
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煉瓦が剥き出し。構造が良く分かるのは良いが、、、 |
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城壁の石の再利用か? |
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奥の石積は西側城壁。 |
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先が極端に狭い。行き止まり覚悟で前進。 |
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良かった、通過できた。 西側城壁はある程度残っているが、住宅なので景観が悪い。 |
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9:52 X008を北進開始。 人工物が少ないので気持ちが良い。 |
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すっかり秋。 |
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朽ち果てた長城と石積が見えた。 |
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白馬関だった。 明代永楽年間 1403年に建築開始。往時は相当な規模だったことだろう。 しかし、長城は山の中腹で終わっている。 |
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長城の足元を白馬関河が流れる。その名は「白馬関水関遺跡」。 |
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更に北進。白馬関の裏側は90°の絶壁。これを見ると、長城が中腹で終わっているのも頷ける。 |
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ココも北京市。北京は広いな〜。 密雲に帰る密60路と擦れ違った。朝の運転手だった。そう言えば、1台も追い越されていない。帰りのバスが心配。 |
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10:32 バスを降りてから初めて観光案内版に出会った。 将軍石と呼ばれる、高さ数十mの鎧をまとった武士が立っているとのこと。 将軍石は、宋朝時代この地を守った楊継業と言われている。 |
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将軍石はど、、、「こ」まで行く前に見つかった。正面の、一番手前の山の中腹だ。 |
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納得! この角度から見ると、その通り。 |
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何と!2km先に検査場。 密60路に乗っている時にパスポートを忘れたことに気が付いていた。番字牌村の石刻が見たいが、検査場に入るのはリスクがある。石刻よりも検査場が手前だったら諦めることを決めて先を急いだ。 |
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10:50 番字牌村へ到着。 |
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北宋の名将。楊継業の6男。しかし、なぜココに? |
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目的の番字石刻は直ぐに見つかった。 検査場は500m先。良かった〜。 |
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しかし、門が閉まっている。しかも、南京錠が掛かっている。 頑丈な屋根で雪雨から守っている処を見ると、相当な価値なのだろう。 |
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裏に回ったが見えない。残念。 |
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諦めて、番字石刻の目の前のバス停で帰りのバスを待った。 11:05 待ち始めて10分ほどしたら、4輪でも登録不要らしくナンバーの無いミニEVをスーパーマーケット前に駐車した夫婦がバス停に来た。11:00発があると言っているのが聞こえた。「地元民に違いない→彼らの話は正しい」。この思い込みが、待ち時間をより長く感じさせることになってしまった。 反対方向へ密60路が走り去った。時刻表の写真を拡大してみたが、粗くて読み取れない。気長に待つしかない。 |
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11:30 番字石刻の中に入って行く人が見えた。チャンス! 行ってビックリ!南京錠は掛かっていたが、肝心のロック棒が穴に入っていない!な〜んだ、押せば開くじゃん! |
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石壁の番字は、元代に彫り始められた北方の少数民族の文字。内容は仏教の“六字真言”。 少数民族の歴史、文化を研究する重要物証。と言うことで、石に屋根だった。 |
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12:25 やっとバスが来た。密60路。11:30があるとの夫婦の会話も聞こえた。地図アプリで密61路の発車時間を調べると、確かに11:30がある。見学している間に通過されたら大変。それが心配で、石刻をゆっくり見れなかった。後で考えると、反対方向へ走り去った1台目のバスが終点でタバコ休憩をしてUターンして来るのが一番早い。もっとゆっくり見ればよかった。 本日の歩行距離11km、15,025歩。上った階数15階。新しい路線を開拓し、新しい発見があって良かった。 |