トコトコ中国バスの旅

 

Update : 2020.8.30

 

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▼北京一卡通編 #112

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【旅日記】

2017.4.29(土)  北京市内から西へ約90km離れた川底下村へ

6:30アパートを出発。東直門内から612路に乗車。

 

川底下村には4月4にも行った。しかし、售票処に着いたのが11:50で、村までまだ数kmあり帰りのバスが有るのか心配でUターンして帰って来た。リベンジだ。

 

前回は数分差で始発に乗れなかったので少し早く出発。

先ずは展覧路で乗り換え。

この界隈は「簋街」と言う大レストラン街。急ピッチでリニューアル中。15年前は森だった所だが。

6:45最初のバスが来た。今回は上手く行くことを願い乗り込んだ。

3連休初日の土曜日の始発なので空席が多い。

7:22展覧路へ到着。ここからは快速公交4線。

 

ほんの数分待ったら来た。順調、順調!

快速と言うだけあって、西三環路を越えると信号が無くこのバスは早い!

連結のこのバスもまだガラガラ。

一気に西六環路を越える。

8:03候庄子へ到着。

この路線、乗降の混雑を防ぐため清算はホームで行う。

 

この一卡通という交通カードは、本当に便利。

歩道橋を渡り次の892路へ移動。

 

スマホアプリはここで乗り換えになっていたが、地図を見ると終点まで行った方が良さそうに見えたので前回はそのまま乗り越した。しかし、終点には乗り継ぐバスは見当たらず、結局ここに戻った。その経験が活き、今回は最短乗り換えだ。

西六環路の外への玄関口と言った感じ。

892路は長い。バス停の番号で、8番から75番まで乗る。

8:07なんと、もうバスが来た。今回は調子が良い!

 

しかし、このバスは途中の斎堂止まり。前回のバスは斎堂のバスターミナルに入り終点の様な雰囲気を見せつつ、10分ほど休憩してまた走り出した。さて、今回はどうなることやら。

大丈夫、席はまだある。

石景山を遥かに越えたこの地も最早市内への通勤圏。候庄子バス停辺りは立派な繁華街だし、高層住宅の建設がどんどん進んでいる。

 

地下鉄も苹果園から延長工事が進められている。

15分も走ると山の中だが、、、

そんな山の中でも高層住宅の建設が進んでいた。恐るべし。

途中の名勝地、十八潭。

 

マイカーが多い。そりゃそうだ、世界で一番クルマを売っている国なんだから。

9:55斎堂へ到着。やっぱりここが終点。全員降ろされた。しかも、前回はバスターミナルまで行ったが、ここは一つ手前のバス停。一度来ているから良いものの、難易度は高い!

 

前回の訪問で分かったことは、この892路は斎堂バスターミナルがハブで、この地区の色々な所に路線があること。行先はFrウインドの青い看板。バス停に屯する白タクを振り切ったのはいいが、次はどこ行に乗れば良いんだ?

便数が非常に少ないことと、目的のバス停まであと4区、23kmぐらいと然程遠くないことを前回の経験で学習していたので待つより歩いて行くことを選択。

しかし、この電動自転車のレンタルがあれば良いのに。せめて、街では爆発的台数のレンタル自転車があれば良いのに、さすがにここまでは普及していない。

10:29目的のバス停が見えて来た。バスは1台も追い抜かれなかったので満足。

あと5km

 

右端をトボトボ歩いていた。左側を軽快にクルマが追い抜いて行く。中にはホーンまで鳴らして行く。煩くて腹が立つ。暫くすると、赤いSUVが前方で停車。私を待っているようだ。若いカップルだった。クルマは仮ナンバーの新車。乗って行かないかと言う。胡散臭いヤツがいっぱいいるので断る。しかし、「白タクじゃない。どこへ行くの?不要銭」など色々言われ、危なそうではなかったので乗せてもらった。救世主だ!

乗ると質問攻めに遭った。どこから来た?と聞かれ、日本と答えたら「コンニチハ」と日本語が来た。今度はこちらから質問。日本語はそれしか聞かなかったが少しできるそうだ。いつの間にか音楽が日本語に変わっていた。もしかしたら最初からそうだったかも?

 

乗せて貰ったのは1kmぐらいだっただろうか。售票処の手前で渋滞になった。いつまでも乗せて貰って迷惑掛けてはいけないので降ろして貰った。

10:41前回Uターンした售票処だ。前回よりも1時間以上早い。あの時はこんなに並んでいなかった。気候が良くなったからか。

今回は門票を買った。35元。いよいよクライマックス。

售票処を越えた所にEV充電スタンド。道中、数カ所あった。環境車普及に力を入れているだけのことはある。

 

ここから村まで3kmほど。さっきの救世主が追い抜きざまにまた乗るように誘ってくれたが断った。しかし、これはあとで後悔した。何せずっと登りだったから。

おっ、やっと着いたか。と思ったら、一つ手前に双石頭村だった。

 

大きな岩の上に石垣を作り、その上に家が建っていた。その労力は物凄いものだろう。

前方にバス駐車場。漸く着いたようだ。

11:28到着。ここ川底下村はこんなところ(↓)。Wikipediaでどうぞ。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%BA%95%E4%B8%8B%E6%9D%91

先ずは村を通過し、映画『ウォーロード/男たちの誓い』ロケ地の一線天を目指す。

村の入り口で道が石畳になった。

おや、良く見るバス。一卡通のリーダーも付いている。もしかすると、いくら調べても見つからなかった地下鉄苹果園からの直通バスか?白タクの運転手が「帰りは15:30にバスが有る」と言っていたバスか?近くにいた警備係の様なオバちゃんに聞いてみたが知らないと言われ、時間も無いので聞き込み終了。

元々村名の頭文字だった「爨」は至る所でお目にかかった。

立派な駐車場があるのにこんな置き方だもんな。

もう一息。

11:56一線天へ到着。映画を見ていないので感動が薄い。タモリじゃないが、地層が良く見え面白いが、削って作った様に思えた。

是非映画を見てみよう。

一線天の上に登ってみた。見晴らしは良かったが、切れ目が上から見える訳ではなかった。

村に戻り参観。

どこも宿や食堂になっている。

四合院に入ってみた。

門の直ぐ先が調理場。良い臭いがしていたが、どれも味が濃そうだ。

市内に比べ随分小ぶりの四合院。

造りはしっかりしており、良く維持されていた。

外人がいるんだよ。良くここまで来たね。どうやって来たんだろう?

もうヘトヘトだが村に入ってみる。

まだ現役?

文革時代の標語には会えなかった。ヘトヘトで気が付かなかったのかも知れないが。

山裾にへばり付くように良く建てたものだ。

この村の四合院は清代に作られたものだそうだ。

これだけ完全に残っているのは凄い。

 

山に登り全景を見たのは良かったが、村の中は余り散策していない。もし次に来る機会があったら良く見てみよう。

山の上に関帝廟があった。

関羽が村を見守っている。

山を下りガソリン補給。6元。

12:53帰りのバスが気になり、昼食は歩きながら食べられる焼とうもろこし。8元。

 

例のバス、まだ止まっていた。しかし誰もいないので謎のまま。

13:43售票処まで戻って来た。

14:01川底下村口バス停へ到着。後はこのベンチで斎堂行きのバスを待つ。

前回はここに着く前にバスが見え、ダッシュして漸く間に合った。同じようになったら今回は諦めるしかなかったが来なかった。それどころか、10分、15分、20分経っても来ない。少し焦って来た。そこに地元のオバちゃんが登場。同じバスに乗る様子。しかし、5分ほど経った所で諦めて歩いて行こうとベンチを立った。その時、オバちゃん、バスが来るのは発見した様子。あ〜良かった。

バスは案の定、斎堂止まり。しかし、ラッキーにも市内行きのバスが同時に斎堂へ到着。0分で乗り継ぎできた。これでもう安心。例のバスが気になるし、市内でラーメンを食べたいので帰りは終点の地下鉄苹果園まで行くことにした。

16:40地下鉄苹果園へ到着。ヘトヘトな上にサンダルずれで足が痛く、直通バスの調査はパスし地下鉄へ直行。

ラーメンを食べアパートに辿り着いたのが19:00。歩いた距離は22.2km、ハードな一日だった。

 

▼前日記−トコトコ旅復活の切っ掛けになった川底下村の事前調査

17.4.4(火) 曇

 

清明節で3連休。万が一、現地泊になっても大丈夫。思い切って冒険に出掛けた。

思えば、長らく中断していたこの旅が復活する切っ掛けになったのが、この事前調査だった。広州から日本に帰り7年。改めて北京に渡り13カ月。北京の1年目は、目の負傷や仕事の仕込みに追われ、何ヵ所か出掛けたものの旅日記復活の活力は湧きあがって来なかった。

しかし、この村を知り、そして一卡通を翳すだけでこんな山奥まで来れることを知り、広州時代の熱い血が蘇った。

 

事情が分からず、サンダルで来てしまったこともあり、今回は售票処まで歩くことが精一杯。

川底下村は3.7km先。

 

▼後日記−村の全景が見える展望台へ

18.10.3(水) 晴

 

6:10に出発。特12→快速公路4線→892M12と乗り継ぎ、終点の柏峪村で下車。

M12に乗れたのは超ラッキー。892が渋滞に巻き込まれると、アウト。その確率は結構高い。

柏峪村から一線天まで下り約3km。川底下村からは上り約1.5km。一線天で下車したいと言ってみたが、スルーされた。さて、どっちで降りるのが良いか?

一線天から見学。

 

映画の舞台になるだけのことはある。

乗用車が通るだけでも驚くが、そこにダンプカー。きっと、どんどん削って行くのだろう。

オープンの白タク。やりたい放題。

川底下村へ。村名の最初の難しい文字は「川」と同じ発音なので、川底下村と呼ばれている。

体力があるうちに村の全景が見える展望台へ。

 

頑張りました!

村の起こりは1400年代。こんな山奥を開拓して造り、放棄せずに脈々と血を繋いで来たとは恐れ入る。

この村は保存状態が良い。殆どの家が自宅で商売をしているが、四合院で目立たないのが Good

そんな一軒に腰を降ろした。豪快な大鍋料理には手が出ず。ピーマンと肉の炒め物をチョイス。これが絶品!

落ち着いた所で村を見学。文革標語が観光客の気分を盛り上げる?

厳しい冬をオンドルで乗り越えて来た。

正面の山を登り展望台へ行った。

 

これ以上商業化することなく続いて行くことを願う。

 

M12で帰るつもりだったが、良心的な10/人のオバちゃん白タクに乗った。これが大正解。M12は渋滞で酷く遅れていた。

 

斎堂に着くと、川底下村のバス停で断った白タクのオヤジがいた。「何だ、乗らないと言ったくせに乗って聞きたのか」と言い寄って来た。ハハ、残念でした。アンタは胡散臭いからだよ。



 

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