トコトコ中国バスの旅 |
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▼東莞 −
近くて遠かった街 [2008.11.2(日)]
【旅日記】
2008.11.2(日) 辮髪に出会い感激
久しぶりに冼村路の錦漢車站からバスに乗った。目指す先は“虎門”。 2年ほど前まで、この錦漢車站の駐車場にはカートコースが有った。IHくんと、「ポケバイで走らせくれないかなー」と言っていたら、突然廃業してしまっていた。 |
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7:25、朝焼けの空を見ながら定刻にバスは出発。42元。 |
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乗客は私を含めて3人。その割には車内がうるさい。 通勤路を通り、虎門大橋を渡る事を想像していたが、華南快速を北に向いて走り始めた。思えば、ここが思いを裏切る事態の出発点だった。 虎門大橋は何度と無く渡っているが、虎門鎮に行くのは今回が初めて。虎門公園近くのバスターミナルに着く事を確認してチケットを買ったが、これまでの経験から今一つ安心できない。 バスの中で地球の歩き方を読み、一日の行動予定を練った。 |
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8:30、思いの外早く到着。 どこに着いたのか分からなかったが、目指す威遠島諸炮台行き路線バスが有ったので直ぐ飛び乗った。待ち時間0分とは運が良い。しかし、運転手に『どこへ行くんだ』と、面倒臭そうに言われ幾分不愉快。 出発の際にターミナルの中で“南沙”行きが有るのを発見。帰りは、虎門大橋を通って南沙経由とし、『あわよくば天后宮にも行けるかも』と思った。 |
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走り始めて直ぐ、虎門公園の門が見えた。広州で聞いた事は正しかった。疑って申し訳ない。 このバスの終点が威遠島諸炮台。途中下車ではないので、道中安心して楽しめた。 |
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虎門鎮は服製造工場が多い。街の中心部には服装市場が五万と有る。非常に安いらしい。 |
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虎門の観光地が集約された看板。旧人民医院交差点。 立派なマンションも少なくない。 |
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9:00、漸く虎門大橋に出会えた。 11路バスは橋を潜った所が終着地点だった。 橋の向こうは南沙高爾夫だ。向こうから見るこの橋は、時に素晴らしく、時に途轍もない所だった。う〜ん、途轍もない方が圧倒的に多かったなー。 |
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船の往来も頻繁。 |
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外洋まではまだ随分距離はあるが、海のようだ。 |
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みやげ物の雰囲気はビーチ。 |
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威遠島諸炮台 |
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ここは有料施設。威遠炮台6元、南山炮台などに行ける套票8元。 奮発して套票を買おうと、窓口のオバはんに100元渡そうとしたら、何人かと聞かれ、一人と答えたら『釣りがない』とこきゃあがった。このやろう! |
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先ずは威遠炮台を外から鑑賞。 |
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壁の向こうには大砲が狙い済ましていた。 |
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威遠炮台入場門。チケットが無いので入る事が出来ず残念。 |
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ここも往時の建物だろうか? 山に登ると南山炮台などがある。しかし、チケットが無い。山の入り口にチケット売り場があるが、空いていない。が、チケットを切る係りもいないので勝手に進入。 急な階段を上り、ドラマに登場しそうなトンネルを通りぬけると虎門大橋の上に出た。しんどい筈だ。 さすが本物、外から見抜かれないように上手く作ってある。 |
歩いて南沙に渡ろうかと思ったが、ここには歩道が無かった! |
威遠炮台を堪能し、11路のバスで林則徐記念館を目指した。 ずっと以前、福建省福州で林則徐記念館を訪ねた事がある。福州が彼の生地だ。もう殆ど記憶に無いが、鴉片(アヘン)と戦った英雄だと言う事は覚えていた。3年以上もこの地に住んでいて、大事な場所がこんな近くにあるのに足を向けていなかった事に大いに反省。 11路のバスを旧人民医院で下車し、次のバスを探す。しかし、一台通り過ぎたら次は中々来ない。バス停の看板を見ると、ほんの1区の様だ。町を見ながら歩いた。 到着してみると、門の右側に「免費開放」と、大きな看板が出ていた。 |
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入り口で様子を伺うと、皆チケットを持っていて、ちゃんとカットしている。 「免費開放」と、このチケットの意味が理解できない。ただただ人々の行動をトレースするのみ。 流れを観察すると、チケット窓口に行っている。朝の例も有るので用心しつつ、財布を握り締めて窓口に立つと、看板通り「免費」でチケットをくれた。この門でカットしているのは、このフリーチケットだった!そして、これを貰っていないヤツは中に入れない無意味と思われる徹底振りが気に入った! 以前、楼蘭美女ミイラの安置(人が多くて安らかではないだろう)されている新疆の博物館で同じように「免費開放」があった。その時は時間当たりの入場総量制限をしていたが、超ローカルの虎門はそれ程人気は無い。どう見ても無駄だが、、、 |
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門を入ると直ぐ左に、1839年、イギリスとアメリカのアヘン商人から没収した1,188tの鴉片を処分した銷煙池があった。 無毒化して川に流したそうだが、それはどの川?隣を流れる川はヘドロと悪臭の酷い所立った。 |
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園内には立派な大砲も。 |
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林則徐。この人は英雄だ!と思う。 |
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ここの射的は土地柄を表し大砲!一発2元は高い?安い? |
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11路で朝のバスターミナルに戻り、行き先案内板を見ながら次なる目的地を思案。 バイブル地球の歩き方に“清代広東四大名園のひとつ”とされる「可園」を目的地に選んだが、行き先案内板には見当たらない。取り敢えず近そうな「万江」を選んで乗ってみた。8元。ガラガラで出発。 今考えると、8元なので相当な距離が有る筈。しかし、あの時はそこまで気が回らなかった。 |
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出発から1時間15分後、『あそこだ!』と、大きな交差点の左折レーンに止まったバスから降ろされた。 |
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「万江総站」とは、この「東莞総站」が正式名称らしいが、「市汽車総站」とも呼ばれている。ビギナーにはかなりハードルが高い。 |
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長距離と市内バスはゲートが違う。「可園」に行くため市内バス乗り場へ行って、そのスケールの大きさにビックリ! ここで「可園」を通るバス見つけ安心。 しかし、「可園」で降りても肝心の「可園」の在り処が、、、分からない。 |
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もう13:50、朝マックから7時間経っている。腹が減った。先ずは腹ごしらえだ。 目に入ったのが福建小吃。迷わずここに決めた。 |
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最初に頼んだのがこの蒸餃子。期待通りだった。 そしてビールと雑醤面、合わせて10元は素晴らしい! |
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蒸餃子を食べながら地球の歩き方を読み、更に福建小吃の老飯の話を聞くと、「可園」はバス停の対面の様子。 向かってみるとその通りだ。何だ、あるじゃない。 |
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可園は順徳・清暉園、番禺・余蔭山房、仏山・梁園と共に清代広東四大名園の一つに数えられる庭園。 地方官使だった張敬修によって設計され、1850年に建設が始まり、1858年に完成。2,204uと、庭園としては狭い敷地の中に、木や青い煉瓦を使った住宅、客間、書斎など多くの建物をバランス良く配置し、窓や欄干には独特の風格を持つ彫刻が施されている。 立派な門の脇でチケットを買い、突入。8元。世界遺産にならなきゃこんなもんだ。 |
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さすがに素晴らしい。 |
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往時はこんなニッチな毎日が続いていた? |
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服はこれで、 |
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こんな感じに。 |
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町の中心を一望できる高さ25mの邀山閣。 |
やっぱり辮髪だよね。 |
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ここの展示で次のターゲットを見つけた。次はこの写真の深圳「大鵬古城」だ。 以前、コニュニケ誌で見た事がある。でもすっかり忘れていた。来週、ちょうど深圳に行く用事がある。その時が狙い目だ。 |
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往時にタイムスリップ。 |
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絶景!でも煉瓦作りは何時の物か分からないからね。 |
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邀山閣より。 |
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方向を変えると都会の風景。 |
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1850年の建設開始時に掘られた井戸。 |
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今回の旅はこれで終了。可園の前からバスで東莞総站に戻った。ここでまた一つドラマ。最初に来たのは満員バス。乗って運賃を箱に入れようとしたら、後ろのドアから乗れと言う。仕方なく後ろへ廻ると、ドアを閉めやあがった!余りに腹が立ったので蹴りを入れたがそのまま走り去って行った。 結局次のバスに乗ったが、そのバスでは直ぐに座れた。前のバスに乗らなくて良かった〜。 多少迷ったが、東莞総站から国道107を走るローカル線を選んだ。迷った理由は、このバスは広州の中心部まで行かない事。 |
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しかし、待てど暮らせどバスが来ない。その間にどんどん人が増え激戦の様相を呈して来た。 |
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やっと来た。普通の路線バスをイメージしていたら、意外や意外、立派だ。 折り返しかと思っていたら、乗客が降りて来ない。そこへ、『早く乗れ!』の号令。 |
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上手く先頭集団で乗り込んだのでシートが確保出来たが、一歩間違うと広州まで立って帰る事になっていた。広州まで14元。 このバス、路線バスなのでトコトコ走るかと思っていたら、とてもカッ飛ぶ。ブレーキも荒い。シートが有って本当に良かった。 終点の黄埔火車站が近付いた所で、『市内に行くならここで乗り換えるのが一番良い』と、黄埔客運站の前で降ろされた。そこから路線バスを2本乗り継ぎ、漸く家に辿り着いた時には辺りは真っ暗になっていた。 近くてこれまで敬遠して来たが、中々楽しい小旅行だった。 |