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Update : 2008.8.3 |
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▼ベトナム
− ちょっと国境を覗くつもりが [2008.2.3(日)、4(月)、5(火)、6(水)、7(木)、8(金)、9(土)、10(日)、11(月)、12(火)]
【旅日記】
2008.2.3(日) 中越国境を目指し広州を出発
海印広場裏のカメラ屋街でデジカメの電池を購入。 これで電池切れに悩まされる事は無くなった。 |
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今どきの広州にはこんな車も。 |
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街では春節を迎える準備が進んでいた。 |
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このサル、上手に帽子を被っていた。 |
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天気は良いが50年振りの大寒波で寒い。服装が悩ましい。 悩んだ末に、上着はスエット付きのジャケットに決めた。今回は気温の変化が大きく、これが大正解だった。 シャツ、パンツ、靴下、いつものリュックに収めるために荷物は極限まで減らした。 |
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19:10、今回一緒に行ったHくんとの集合場所の人民日報華南分社に向け、珠江新城BTを出発。 約束の7:30に電話が来た。集合場所までの行き方が分らなくなったと言う。ジャスコを目印に説明したが7:40になっても来ない。電話を掛けると「高架路が見えます」、それって牡蠣屋のとこじゃん。暫くしたら、汗をかきながら走ってやって来た。しかも、肩に掛けているのはパソコンバッグ。最初から飛ばすねー。 |
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50年振りの大寒波と春節帰省ラッシュが重なり、広州駅は連日大パニック。旅遊局から帰省自粛通達が出たほど。 前夜、仕事帰りにバスの切符を買おうと省バスターミナルに向ったがこの影響で近付く事ができず。すると、日頃世話になっている簡師傅が「近くに別のBTがある」と、越秀南BTに連れて行ってくれた。このお陰で無事出発できた。簡さん、謝謝! |
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最初の長距離バスは広西チワン自治区憑祥までの約1,000km。 夕べは帰省客で溢れかえり、この看板の外まで行列が出来ていた。閉まっていた窓口が開いた瞬間に随分前に出ても20分は並んだので損した気分だ。 ここの直ぐ横の越秀南路は、一徳路に行く際ここは良く通る。周辺の食堂も気になっていたが、BTがある事は知らなかった。 |
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南寧行きを探していると、ハノイ行きに乗り換えられるバスがあるのを発見!ちょっと考え、それに決定。 |
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これでベトナムに入国する前提になった。 |
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春節の帰省に乗じて料金がべら棒に高い! |
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交易会時のホテルと同じ様に納得がいかん。 |
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乗車前にBT近くの食堂で腹ごしらえ。 この店、前々から気になっていたが、こんな形で来る事になるとはね。 |
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Hくんは麺、私は牛腩腸粉(←)。 両方ともそれなりに美味しかった。 |
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8:50、定刻10分前に大混雑のロビーで人を掻き分け案内板を持つお兄ちゃんへ辿り着いた。 |
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皆さん表情が明るい。 |
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無事乗車。2人とも中央列だったので景色を楽しめないが、殆ど暗闇だから我慢。 前の人の頭の下に足を入れない変わったタイプのベッド。私には長さが足りずかなり窮屈。 |
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21:00発の筈が、20分経っても動く気配無し。良く有る事なので諦めて待つ。回りもザワツク様子無し。自分の居場所が有るとおとなしい。 この間に下川裕治著「5万4千円でアジア代大横断」でハノイまでの行程を予習。1時間経っても動かない。思い起こすと、お兄ちゃんがゲートで持っていた案内板には22:00発も書いてあった。恐るべし、バスは最初から1台だったか。 22:30、漸く発車。珠江の夜景とも暫しお別れにする作戦だったか。 |
2008.2.4(月) すんなりベトナムへ入国。余りのスムーズさに拍子抜け
適当な時間にトイレや食事休憩が有ると思っていたら、全く止まらない。トイレはバスの中にあるので良いが、腹が減った。 夜が明けた所でSAに入り漸く停車。外のトイレに行きたいのでベットを降りて乗降口に向ったが、乗務員が降りたらドアを閉められた。SWを探してドアを開け降りてトイレに行ったら、バスに戻った所で乗務員に「何で勝手に開けて出て行ったんだ」と文句を言われ小競り合いになった。エキサイティングな一日のスタート。 |
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南寧から南の広西チワン自治区は桂林と同じ様な風景が続いていた。 |
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11:00、憑祥へ到着。 |
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いよいよスタートといった気分。 |
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チケット売り場に直行すると、本当にハノイ行きが有るじゃない。 しかも、13:30発が有るので夕方までには着ける。 |
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少し考えはしたものの、勢いでハノイ行きを購入。 広州を予定通り出発していたら一つ早い10:30に乗れたかも。 |
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私にとっては’89年以来、約19年振り、2度目の訪問。楽しみだー。 |
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バス出発まで憑祥の街を探索。 鶏売りのオバちゃん、写真を撮らせてくれと言ったら断られた。魂が吸い取られると信じているに違いない。 |
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春節用の飾りと重要な爆竹が街頭で売られていた。さぞ派手にやるのでしょう。 |
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最近のロケット花火はこんな格好をしていた。 |
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市民の台所を見学。 |
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お面かと思う本物の“豚の顔”が印象に残った。 |
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ここに来たもう一つの目的は地元料理を食べる事。 ぐるりと一周してから、最初に出くわしたこのガッツ石松の店に決めた。 |
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先ずは餃子をオーダー。周りの人から食べ方を教えて貰った。美味しかった。 続いてHくんはソーセージ入りの粉をオーダー。「麺に味が無い」と言っていた。そりゃ元々米だからねー。食べ様と思っていたが、その評価を聞いて止めた。 |
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春節準備の買出しの人が多く、市場はとても賑わっていた。 |
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彼らも直ぐに食卓に並ぶのね。 |
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この線路もハノイに続いている。 |
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これがここの公共バス。 |
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正真正銘。田舎はこれで十分なんだ。おおらかで気に入った |
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ゲテモノ売りのオバちゃん。最初は蛇使いかと思った。 |
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ネズミの様な動物が売れて行った。どうもSARSで話題になったハクビシンらしい。 |
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定刻30分ほど前からハノイ行きのコールをロビーで待つ。 中々コールされないのでバス乗り場まで出てバス探すが見つからない。 まさかとは思っていたが、当ってしまった。この金杯号が我々のバスだった。乗客は合計4名。定刻に発車。 |
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「金杯号でハノイまでも良いか」と思っていたら、国境手前でこの電気自動車に乗換えを指示された。 |
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この先が国境の「友誼関」。 |
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写真を撮る間も無く、電気自動車はアッと言う間に友誼関を通過。 |
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趣の有る関だった。もう一度行ってみたい。 |
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何事も無く中国を出国。 時計の針を1時間戻す。 |
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ベトナムはもう直ぐそこ。 もう一度電気自動車に乗りベトナムのイミグレへ。 |
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中国の立派さに比べると貧弱。 |
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停電でコンピューターが動かず、20分ほど待たされた。 作業もチンタラ。’89年は荷物を全部チェックされたが、それは無かった。 |
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ベトナムのイミグレ。奥は中国。 入国審査の後に通行税2,000VNDを請求されたがVND(ドン)が無い。2RMB払ったが、後でレートが悪過ぎる事が分かり釈然としなかった。 |
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さあ、これでベトナムだ。 |
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ベトナム側はこのバスでハノイまで移動。 広州からのバスでHくんの隣のベッドにいて、途中で降りた小姐にこのバスで再び出会った。彼女にはハノイの街の中でもう一度会った。この時にはお互いにビックリ! |
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長閑な風景が続く。 建物の感じが中国とは違う。 |
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バイクが増えて来た。 |
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細長い3、4階建ての住宅が多い。 住宅は1Fが居間。外から覗くと大抵正面に大型テレビの画面が見える。寒いと感じるがどの家も玄関を開け放している。 |
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歩行者が殆どいないのは中国と大きく違うところ。 |
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憑祥で見たレールの先。ハノイへ続く。 ここはレールが3本。進行方向左側が2重になっている。中国の列車のためだ。 |
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田んぼ、田んぼ、田んぼ。田んぼが続くがトラクターなど使っている様子は無い。全部手作業だろうか? ドライブインでトイレ休憩。レストランも有ったが、まだ雰囲気に慣れず食べ物には手が出なかった。 |
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いつしか山も無くなり、田んぼだけが延々と続いて行った。 |
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牛に雑草を食べさせているようだ。 |
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ハノイ市内に近付きバイクが急激に増えて来た。 |
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以前訪問した時もバイクは多かったなー。 |
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大通りに面したショールームに、色々なメーカーの日本車が一緒に展示されていた。 こんなお店が幾つも有ったがメーカーの看板を持つ販売店は現代以外見掛けない。 |
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17:10、終点へ到着。ところがバスターミナルじゃない。悪いパターン。 ハノイまで来たが現地通貨が全く無い。先ずはバスが止まる寸前に見掛けたATMへ行きキャシングを試みる。しかしダメ。 次に、ATMからガラス越しに見えた銀行に行ってみたが既に終っていた。帰り支度の銀行のお兄ちゃんに両替出来る所を聞くと丁寧に教えてくれた。このお陰で繁華街にも出られ感謝感謝! |
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銀行員のお兄ちゃんに教えて貰った方向に歩いて行くと、両替商に着く前にATMでキャッシングできた。取り敢えず200万VND、凄い額だが900RMB。これで安心。 更に中心街らしき方向に進むと湖が出て来た。湖は記憶にある。 湖南側のみやげ物屋でTINTINの壁掛けを発見。欲しいが、、、 |
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今度はシャウルマを発見。これは直ぐに食べる事に決めた。 |
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ベトナムで始めての食べ物。躊躇していたHくんも私の食べている姿を見て安心したようだ。 |
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ホアンキエム湖 この湖には、『1428年、黎朝始祖レ・ロイは、湖に棲む亀から授かった宝剣で明軍を駆逐し、ベトナムを中国支配から開放した』との伝説が語り継がれている。 ここでガイドブック売りの少年に出会う。日本語の本が1USDだと言う。怪しいので買わなかったが、立ち寄ったホテルのカウンターに同じ本が置いてあり、手に取って見たら確かに日本語だった。買わなかったものの、この経験が直ぐに活きた。 |
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湖の東を北上し旧市街へ出た。 街並みにはフランス統治の香りがする。 バイクが沢山行き交い非常に賑やか。 シャウルマをつまんだがまだ腹は膨れていない。歩きながらレストランを物色。 |
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最初に食べた地元料理は道端の屋台の、 |
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このフォー・ガー。流行っていただけあり美味しかった。13,000VND。 |
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街はテト(旧正月)ムードに包まれていた。 |
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街角に超繁盛している屋台を発見。 この兄ちゃん(←)、Very
Good! だって。 |
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食べたいが腹の具合が、、、歩いて腹ごなししてから。 |
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このフランスパン、実に美味しい。 この時点で、ハノイに泊まるか、どこかへ行くか、まだ決めておらず、旧市街にあるBooking Office に立ち寄って情報収集。泊まらないなら雲南省へ向うのが妥当だと思っていたが、23:30発でホーチミン行き列車のある事が分り、思案の末これに乗る事にした。ホーチミン着は翌々日の16:00。 ホーチミンまで行く事にしたのでさっきのガイドブックを買う事にし、戻った。 |
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ところがさっき声を掛けて来た少年がいない。別の少年が近寄って来た。聞くと、地球の歩き方を持っている。しかし、言い値は12USDと、べら棒に高い。 「さっきは1 USDだった、いや12 USD、1 USD、じゃあ10
USD・・・」と続け、結局1 USDで落札。支払いはVNDにしてくれと言われたが、レートが分らず最後に一発逆転されるのも癪に障るのでUSDで払った。悲しげな少年を見てちょっと悪い事をしたなと思った。 でも、きっと誰かの忘れ物でしょ。 |
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地球の歩き方を買い、漸く自分達のいる場所が分るようになった。 お腹も落ち着いて来たので、さっきの屋台に戻り夕食の本番。外は寒かったが、ビールはやっぱりカチッと冷えたのが美味い。やっと一息ついたという感じ。 後で地球の歩き方をじっくり読み分った事だが、このお店「ナム・ビッ・テット」はステーキの有名な屋台だった。 引っ切り無しに人が入りし、いつも満席。繁盛してました。 オーナーの息子と思しき中学生ぐらいの小僧が走り回って手伝いをしていた。良いキャラで見ていて楽しかった。 |
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オーダーは当然看板メニューのステーキ。24,000VND。 肉はちょっと硬かったけど、サラダ、パンも美味しく大満足! |
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街を散策しながら歩いてハノイ駅へ。 中国の駅を見慣れているので小さく見えた。 窓口のオバちゃんに行き先をホーチミンと伝えると、「早いのは空きが無い、11:30もベッドは無い、イスしかない。明日になると24時間で着く列車が有る」との答え。元々11:30を考えていたので時間は問題ない。イスはしんどいかも知れないが、行くと決めたら早く着きたいのでイス席を購入。 |
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314,000VND、約2,200JP\は安い! 買う前に何度も聞き直された。その意味は列車に乗ってから分った。 |
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この地球の歩き方には大変お世話になりました。正に神様。 |
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時間が有ったので駅の周辺を散策。目欲しい物は見つからず、駅に戻り待合室でゲートオープンを待つ。 ゲートが開いた。我々の列車は23:30発TN13。 これも後で地球の歩き方を読んで分った事だが、列車の番号が小さいほど速い。満席と言われた30分前の列車はSE3、これが24時間で着く列車か?とすると、とても運が悪かった。行き当たりバッタリだから仕方ないが。 |
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TN13はゲートの直ぐ前に停車していたSE3の向こう側。陸橋か地下道で行くのかと思っていたら、SE3の周りをグルリと回って行く方式だった。このおおらかさで嬉しい気持ちになった。 列車の後方から回った。最初に出てきたのは個室の寝台。次にオープンの寝台。ここには茣蓙を敷いたハードベットも有った。次にソフトシート。我々の車両はまだ出て来ない。隣の列車でハードシートが見えた。公園のベンチみたいだ。まさか、、、 |
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まさかのハードシートだった。チケット販売のオバちゃんが何度も確認してくれた訳だ。 着座面はとても狭く、シートバックは直立。おまけに隙間風がビュンビュン。乗ってしまったからしょうがない。これも経験だ。 この車両にはエアコンが無い。真夏は地獄だろうなー。 |
2008.2.5(火) 海外旅行でお金を一銭も使わないなんて
ハードシートで何とか一晩過ごした。夜が明ける前に幾つかの駅に止まり、乗客はどんどん減って行った。皆テトで帰省のようだ。 夜が明けると、カップ麺と水を運ぶ兄ちゃんが登場。てっきり車内販売だと思い一旦断ったが、周りを見ていると無料配布の様子。戻って来た時にリクエストしてゲット。味、麺ともチキンラーメンとそっくり。 |
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乗客が減って行ったのでソフトシートも空いていると思い行ってみると、やっぱりガラガラ。クレーム覚悟で移動。しかし、乗務員は誰も何も言わない。追加料金請求も無かった。その上、ここに食事を運んでくれた。 柔らかいし、リクライニングできるし、夕べとは雲泥の差。とても有り難かった。 |
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外は時折雨がパラつくどんよりした天気。景色を眺めるのもうざったい。夕べの眠りを取り戻すかのように居眠りなどしていたら12:00になり、昼食が運ばれて来た。 左下の肉、少しカレー味で美味しかった。 食事は食堂車でベトナム料理のつもりでいたが、この列車には食堂車の無い事が後で分った。 |
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16:30、フエ到着。Booking Officeの看板通りの時刻。順調だ。あと12時間だ(と信じていたが、、、)。 列車の中では寝るか本を読むか。地球の歩き方の地図で何度も位置を確認。進んだ距離を考えると、とても12時間じゃあホーチミンには着きそうも無い。 |
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夕食も配給あり。 これも肉が美味かった。 日が暮れてからはどこを走っているのか分らない。結局この日は一銭も使わず。 しかし、4:00を過ぎても一向に着く気配が無い。 |
2008.2.6(水) 41時間30分の列車の旅が終わり、ホーチミンへ到着
2回目の夜明け。海だ! |
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漸く太陽が顔を出し暖かくなって来た。 |
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暫く海岸線を走った。ここはウイニョンの様だ。まだ700kmも有る。 縮こまっていた身体が青い空を見て伸びた。 |
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日本と同じ様な風景にホッとした。 |
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どこもバイクだらけで楽しい。 |
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見渡す限り田んぼ。農家の人は大変だろう。 朝食はチキンラーメンかな?いや違う、シュリンプラーメンだ。全食違う献立にする拘りは凄い。 |
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植物から南国を感じた。 |
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トゥィホア駅 |
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駅舎の中にホーチミン像(←)が見えた。 |
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空がとても綺麗だった。 |
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この路線はずっと単線。駅では必ずこちらの列車が待つ事になっているので遅い。 |
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この列車、窓は全部鉄格子に覆われ囚人護送車の様だった。 |
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線路スレスレが一般的。面白い。 |
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大晦日も仕事かな? |
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この大仏、ニャチャンの隆山寺に間違いない。ホーチミンまで約400km。まだ先は長い。 ニャチャンはベトナムの代表的なリゾート地。 |
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こんなのんびりした風景が随分長い事続いた。 |
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11:00、ちょっと早く昼食が来た。残りの距離が短くなったからだろう。 これも肉は美味い。 |
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ビーチ沿いに海の家が見える。バスに乗っていたらもっと良く見えるだろう。残念。 |
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青い海、青い空、来て良かった。 |
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バイクで縦断してみたいなー。 |
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砂浜がとても綺麗。 |
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今回の旅のベストショット! |
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この列車、バスにバンバン抜かれていた。時間掛かるわなー。 |
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ここもリゾート開発が進んでいるようだ。 どんどん気温が上がり、暑くなったソフトシート席でうとうとしていたら、車掌のオッチャンがクーラーの効いたソフトベット席に移っても良いと、案内してくれた。天国、天国。オッチャン、ありがとう! |
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17:00、ホーチミン駅へ到着。 本当にホーチミンだろうか?ずっと乗り続けて、もう訳が分らない。車掌さんに聞くとやっぱり着いたらしい。 何と、41時間30分乗り続けた訳だ!最初考えていたより25時間も余分に乗った。もうこれほど続けて陸上の乗り物に乗る事は無いだろう。 これが我々をここまで連れて来てくれた先頭車両。ありがとうございました。 ちゃんと“DOI
MOI”って入っている所が憎い。 |
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立派な駅。 |
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自販機まで有る。 |
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駅の表示は今も“サイゴン”。 |
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この機関車は何だったのだろう? |
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お腹が減っていたので、先ずベトナムお好み焼き「バイン・セオ」を目指し歩き始めた。 駅前通りなのに人が少なく寂れた感じ。これは中国の感覚で見ているからか。 道路標識も無いので現在位置が分らず少々不安。 |
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早速ホーチミンさん入りの看板を発見。 |
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いきなりバイクの大群が登場。 マスクにサングラスで、さながら暴走族だがこれが正しいスタイルだそうだ。 |
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派手な色の教会まで辿り着いた頃には随分日が傾いていた。 この前の路地を入れば目指す「46Aバインセオ」の筈。 |
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発見!これでお好み焼きが食べられる。 と思ったら、テトのため早仕舞いしていた。残念。お店の人らしき人も少し申し分けなさそうだった。 |
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食堂を探しながら街の中心に向けて進んだ。 |
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新年を祝うイルミネーションが綺麗だ。 |
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日が落ちても皆半袖姿。一気に夏になった。列車であんなに寒かったのが嘘のよう。 |
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派手派手 サイゴン大教会前 |
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散々歩き街角の屋台に腰を下ろした。 ジョッキに氷を入れ来てくれた。これがベトナム流のビールの飲み方。しかし、万が一を考え氷は返し、出来るだけ冷たいSaigonビールを持って来て貰った。美味かったー。 豚足入りのフォーと茹でハマグリ。これまた最高に美味しい!しかし、豚足は食べ辛かった。 全部で185,000VND。えっ、高いなー。 |
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宿を探すため、世界中のバックパッカーが集まるというデタム通りを目指した。ミニホテルが建ち並び、確かに外国人が沢山集まっている。 ブイビエン通りで部屋の空きを聞いたホテルで松たか子似の女の子に出会った。ベトナム人の従業員だと思ったら、日本人のツーリストだった。彼女はベトナム語が話せる。残念ながらそこには空き無し。しかし、相場が分った。翌日、もう一度彼女を見掛けた。大きなバックを背負った立派なバックパッカーだった。 |
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ホテルは直ぐ見つかった。16US$。先ず部屋を見せて貰う。中々良いじゃん。ここに決定。 |
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漸くシャワーに有り付いた。丸3日振り。 |
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落ち着いた所で、もう一度街の屋台へ。 ホテルの目の前のバー(?)は大人気。皆ベトナム流に氷を浮かべ、自家製生ビール「ビアホイ」を飲む。水っぽいらしいので我々はパス。 |
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21:30、バイクがやたらに増えて来た。 |
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大晦日だからかな? |
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今思うと、花火を見るためだったのだろう。 |
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どう見ても暴走族だよ。 |
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街角の至る所に屋台。 そこで寛いでいらっしゃる皆さんの姿を見ると、スローな時間の流れを感じる。 |
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チョンドン公園 普段でも夜、歌謡ショーが催されるそうだが大晦日なので一層華やかな様だ。 |
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屋台街に着いたが、大晦日のため開いていない店が多い。少々残念。 開いている店を物色しながら一回り。 |
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このオッチャンの作る謎の料理が大人気。これにチャレンジ。 |
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「ボッ・チン」、焼餅の卵とじ。 人気だけあり、美味い! |
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次はここ。カメラを向けると、えらくはしゃいでくれた。 「コム・ボー・タップ・カム」チキン焼き飯と「ミー・サオ・ゾン」かた焼きそばを食べる。これも美味かったー。 もう満腹! |
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正月飾りを外に出す慣わし。 |
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車はこう飾る。 0:00になった瞬間から、タウプー運河方面で大花火大会が始まった。TVでも生中継している。ベランダに出て見る。しかし、ちょうどビルの陰になり肝心な所が見えない。ご近所のお宅からも出て来ていたが同じ様だ。 花火の音を聞きながら眠りについた。 |
2008.2.7(木) 爽やかな新年のスタート
久し振りの動かないベット。ぐっすり眠り、気持ち良く新年の朝を迎えた。 小さなホテルだが意外と見晴らしが良い。404号室なので4Fだと思っていたら大間違いだった。地上から一階上がった所に101号室、しかもこの一階が1.5階ほど高い、我々の一階下に403号室、つまり404号室は地上6.5階。しんどい訳だ。 |
ホテルでは屋上に正月飾り。 |
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我々の部屋の隣は仏壇だった。 |
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ブイビエン通り界隈。 円錐形の麦藁帽子を被ったベトナムンが突然部屋に闖入。大笑い。部屋の外に置いてあった物をHくんが失敬して来たのだ。 |
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7:30、賑わっていた街は未だ眠っている。 朝食を求めてホテルを出発。直ぐ近くでサンドイッチを見つけたが、朝食は屋台と決めていたので素通り。 デタム通りに出ると、大型バスが何台も並んでいる。それを見ていたら、お兄ちゃんに声を掛けられた。ツアーを探している様に見えたのだろう。そのお兄ちゃん、何と日本人、もう2年もここで働いているそうだ。夕べの彼女もきっとリピーターだろう。その気持ち、良く分かる。この国の人はどこでも、どんな時でも笑顔が絶えない。 |
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早速正月行事に遭遇。 |
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お寺は新年のお参りの人でごった返していた。 |
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線香を勧められたが丁重にお断りした。 |
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お寺の直ぐ前の屋台街。 屋台のテーブルは大体この高さだ。 食べながらスケジュールを決めた。余り時間が無いので、地球の歩き方の「ホーチミン市観光モデルプラン」に沿って主要観光ポイントを攻める事にした。 |
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ピーナッツとゴマ煎餅の入った中華麺の「ミー・クアン」。これもイケた。新年、良いスタート。 更に、店のじいちゃんにタレを調合して貰い「ゴイ・クォン」生春巻を食べる。 生春巻きは、皿に山積みにしてテーブルに置いてあり、自由に取って食べ減った数を数えて清算。後入れ先出し? |
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Hくん、アイスコーヒーにチャレンジ。ペットボトルのコーヒーをジョッキに注ぎ、シロップを入れ、大きな氷の塊を放り込むと出来上がり。 19年前の苦かったコーヒーを思い出した。 |
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ホーチミン市博物館 |
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1885~1890年に創建。フレンチコロニアル風の堂々とした建物。 |
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抗仏戦争、ベトナム戦争当時のサイゴン・ジャディン地区の写真と品々をそのまま展示。 |
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ここは中には入らず外から覗き見しただけ。それでも十分楽しめた。 |
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地図を見ながら路地に突入。 日本で見かける風景とそっくり。 この路地、地図じゃあ通り抜けできる事になっているのに、、、 |
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路地の奥に教会を発見。 ここにも既に大勢の人がお祈りに集まっていた。 門を入った所でシスターに出会った。嫌な顔せず笑顔で迎えてくれ、嬉しかった。 |
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歴史博物館前のビルにBenzのショールーム。突然立派なショールームが現れビックリ。 |
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Benzの対面にトヨタ。 |
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これだけどこで笑顔だらけなのに、更に“Smile First”がキャッチフレーズ。良いわー。 |
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歴史博物館 ベトナムの歴史、チャンパ、オケオ遺跡や南部ベトナムの文化遺産、民族衣装と暮らしを展示。 |
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非常に綺麗な中庭。 開け放された窓が涼しげ。 |
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ここは中華風の建物。 |
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ホーチミンさんが迎えてくれた。 |
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こんな大きな大砲は初めて見た。 |
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高い天井に扇風機、懐かしい感じがする。 |
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古代遺跡に行ってみたい。 |
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動植物公園の建物。 歴史博物館から繋がっているので入ってみたら別料金と言われスゴスゴ戻った。 |
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アオザイのお姉さん、写真を撮らせて貰おうと思ってずっと待っていたのに、電話を掛けながら去って行ってしまった。残念。 |
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何かと問題が多いと言われている「シクロ」だが欧米人はへっちゃらの様だ。 |
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人力車はどこの国でも揉めるよね。 |
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大事なところにはライフルを持つ警備員がいる。ところが彼らも愛想が良い。 3ケツは当たり前、おおらかで良いねー。 |
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サイゴン大教会。正式名称は聖母マリア教会だそうだ。 昨日もこの角度で見たが暗くて良く見えなかった。 19世紀末建築。 |
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真っ青な空、天を突くようにそびえるサイゴン教会にマリア像、う〜ん、素晴らしい。 |
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厳かな雰囲気。 |
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ステンドグラスが美しい。 |
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漢字もありました。 |
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中央郵便局 一見駅の様な建物。19世紀末のフランス統治時代に作られ、建築文化財としても貴重。 時計の下に建築期間(1886~1891年)、1Fの窓と窓の間にある白い飾りの下にフランス人の名前が刻まれている。 |
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広々した空間にアーチ状の天井が美しい。 |
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入口を入って直ぐの左右の壁には大きな地図が描かれている。 右側、1892年当時のサイゴンとその付近。 左側(←)、1936年の南ベトナム(コーチシナ)とカンボジアの電信網。 |
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統一会堂。旧大統領官邸 1975年4月30日、解放軍の戦車がこの官邸の鉄柵を突破し無血入場を果たし、事実上ベトナム戦争が終結した。 |
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南ベトナム政権時代、独立宮殿と呼ばれた。 現在の建物は1962年から4年間掛けて建てられた。大小100以上の部屋、屋上にはヘリポート。 |
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現在でも国賓の迎え入れや会議に使われている。 |
内閣会議室(正面入口から直ぐ) |
宴会室 |
内閣会議室から見える庭 |
大会議室 |
作戦司令室 |
司令官室 |
大統領応接室 |
副大統領応接室 |
外国大使の国書呈上室 |
中庭 |
剥製や模型が並ぶ |
築山 |
全景 |
書斎 |
映画館 |
戦車がやって来たレユアン通り |
突入した戦車のレプリカ |
ヘリポート |
南東の庭 |
屋上 |
地下司令室 |
地下秘密軍事施設通路 |
各種機器類 |
米国と連絡を取り合った放送局 |
当時のJeep |
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大統領専用車 |
1975年4月30日 |
無血入場 |
2番目に入場した843番のレプリカ |
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次は戦争証跡博物館へ向う。 |
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戦争証跡博物館 ベトナム戦争の歴史を、実際に使用された戦車や大砲、爆弾などの戦争遺物、写真などを展示。 |
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目を覆いたくなる凄惨なパネル、枯れ葉剤による被害状況の記録、ホルマリン漬けの奇形胎児など、戦争の傷痕を生々しく証明。 |
ベトナム戦争を如実に物語る |
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パイナップル爆弾 |
凄惨な写真 |
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コンソン島牢獄レプリカ |
トラの檻 |
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ギロチン台 |
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ベトちゃん、ドクちゃん |
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ホーチミン観光はこれで終了。ホテルへ戻った。 |
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2本の大通りに挟まれた面白い建物。 |
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これぞベトナム! |
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皆さん気持ち良さそう。 |
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デタム通りに戻って来た。 ここで探していたTINTIN
Tシャツを発見。灯台下暗しだ。まとめ買いし120,000VND。 ホテルに帰りシャワーを浴びて、早速このTシャツを着て意気揚々とチェックアウト。ところがここで問題発生。我々の宿泊記録が無い!夕べはクタクタで部屋を見せて貰った所で部屋代とパスポートを渡したのでフロントの仕事は分らない。夕べの当番を呼んだりTELしたり、30分近く待たされた。 朝、ここに大型バスが並んでいた。カンボジア行きもあった。ノービザの国だったら乗ってしまったかも。 朝、この交差点の角にサンドウィッチの屋台が2つ有った。昼に食べようと計画していたが、どちらも姿を消していた。その後サンドウィッチを探して彷徨ったが結局見つからず。悔しい。 |
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昼食は好きなものをチョイスする屋台@ベンタイン市場横。 地球の歩き方を見せ欲しいものを指差したが、残念ながら無かった。 |
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ここも美味しかった。 |
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14:50、ベンタインBT。中部の「ホイアン」へ向け出発。先ず市内バスに乗る。 |
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事務所でバスの乗り方を教えて貰った。 全て手作業のためか事務員だらけ。 |
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この国もバスには時刻表が無い。 一台乗り過ごしたら中々来ない。次に乗る長距離バスは17:00が最終らしい。周囲ののんびりした雰囲気とは裏腹にだんだん焦りが募る。 漸く来た。長距離BTは終点。乗り過ごす事は無いので安心。 |
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車掌さんが集金してくれるので迷わず良かった。3,000VND。 ホーチミンも’89年に訪問したが何一つ記憶と一致しなかったが、歩いて、歩いて、とことん歩いたお陰で中心部の地理はもうバッチリ。 |
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16:00、ロンビエンBT到着。最終便まで1時間有る。もう大丈夫と安堵したが、、、 長距離BTな市内に数ヶ所あり、夫々行き先が違う。地球の歩き方が無かったら大変な事になっていたかも。 中国のイメージでどの窓口でも同じだと思っていたら大違い。バス会社毎にカウンターが有る(ことが暫くして分った)。 |
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何度も盥回しにされた挙句、「今日はもう無い」と言われる始末。困っていると、後ろから兄ちゃんが「ついて来い」としつこく言ってくる。身分証明書らしきカードまで出す。ここでもう一泊は勘弁して欲しいので着いて行く事にした。 連れて行かれたのはエアコン無しのボロバス。しかも、シートバックのパイプが背骨に当って痛い!言葉が通じないのも有るが、幾らか聞いても中々教えてくれない。紙に書いたのは100,000VDN。安いと思ったら0を一つ書き加えやがった。このやろー! |
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2人で1,000,000VND!高い!窓口は178,000VND/人だった筈。桁違いだ。しかし、ホーチミン泊りは困る。 仕方ないので乗る事にしたが、キャッシュが無い。荷物を日高くんに託しATMを探しに出た。しかし、見つけた2機は拒否、故障とお金を下ろす術が無い。 オロオロしていると彼が荷物を抱えてやって来た。「直ぐに出ると言うバスがあります。綺麗です。235,000VNDと言っています」と言う。即鞍替えした。 |
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それならギリギリ手持ちで足りる。でも窓口には178,000VNDと書いてある。釈然としないので確かめると、バスの言う金額で間違い無い。食事付きだからとの話も有ったが、食事は付いていなかった。テトのためだろう。 |
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ここで残金76,000VND(←)。約530JP\とは寂しい。 16:50、バスは我々を乗せると直ぐに発車した。他の乗客はきっと1時間近く待たされたに違い無い。 |
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我々は先ずダナンに向かい、そこでローカル線に乗り換え、ホイアンに向う事にした。 |
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19:10、ドライブインで夕食休憩。 |
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皆さん美味しそうに食べ始めた。しかし、こっちはキャッシュが無い。ビール2本とこの一皿を2人で分け合った。 |
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これが絶品!本当に悔しい! |
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運転手連中は鍋を食べ始めた。実に美味しそう。しかも、いつも客を連れてくるから無料なんだろう。 これで手持ちは27,000VND(約190JP\)になった。 |
2008.2.8(金) バスに乗ったはいいが、キャッシュが足りない
前の席の姉ちゃんがシートバックを思いっ切り倒すので一晩中窮屈でしょうがなかった。 7:50、どこまで来たのだろうか? |
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田園地帯を走り抜ける。 |
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田舎でもバイクが多い。 8:45、ダナンへ到着。降りた所でコミューターに乗り換えるように指示された。市内まで送ってくれるようだ。到着直前にホイアン行きのバスとすれ違ったので近くのバス停まででも良いのだが、キャッシュを手に入れるため送って貰う事にした。 他に2人乗客がいたが、彼らは市内で降りた。運転手がどこで降りるか聞いてきた。次のバスを見失っていたので乗った所まで戻りたいと伝えたいが伝わらない。 |
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そこでホイアン行きのバスが横を通り過ぎて行った。「HOI AN! HOI AN!」と叫ぶと、被せてバスを止めてくれた。変な外人が降りてくれて彼も助かった事だろう。 この時直ぐ目の前にATMも有ったが、、、 |
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キャッシュが無いので、車掌のオッチャンに財布の中を見せて幾らか聞いても「乗れ、乗れ」と、分らないまま乗せられた。 案の定足りない、、、 VNDの有り金全部+1US$で勘弁して貰い無事ホイアンに到着。良かった〜。 |
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アッという間に駆け抜けたダナンは大きな街だった。ゆっくり見たいとは思わず。 |
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外人がバイクに乗っていた。こんな所に住んでいる外人がいるんだ、と思っていたら、、、 GSを過ぎた所でATMを発見。早速トライ。中国銀行のキャッシュカードを入れると表示とアナウンスが中国語になり、無事VNDを引き出せた。 |
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キャッシュが出来たので何はともあれ朝食。ホーチミンで見つけられなかったサンドウィッチがどうしても食べたい。市街の入口になる所にホテル街があり、その前に並んでいたカフェに入った。 隣の白人のオバちゃんがノンビリ本を読んでいた。これ位の余裕が無くちゃね。 |
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一口食べてビックリ!サンドされていたのは豆腐!あれー。 それはそれで美味しかったが、フランスパンが良かったなー。 |
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右がホイアンの地ビール「LARUE」。 |
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直ぐ隣にレンタバイク屋があった。 GSで見掛けた外人はきっとレンタルしていたんだ。どうも免許もいい加減の様子。驚く事に、この街には全く警官がいない。 バイクでチャンパ王国のミーソン遺跡に行く事も考え値段を聞いたら10US$/日だった(結局借りず)。 |
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地球の歩き方に紹介されていたBooking Office で次の足やミーソン遺跡ツアーをチェック。 遺跡ツアーは早朝以外ない事やハノイまでのバスなど重要な情報をゲット。 しかし、これまでの移動と比較してハノイまでのバスが高い気がしてここでは決めず。 |
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次のここで決めた。 ホテル、チャンパ遺跡ツアー、ハノイまでのバスを頼み2人分で770,000VND。 |
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ここのチケットで後々大失敗。 |
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少ししたらホテルのお姉さんが迎えに来てくれた。 |
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我々は左側の「Hop
Yen Hotel」に泊まる事になった。 |
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ホテルに荷物を置きシャワーを浴び、早速市内散策に出掛けた。 先ずは中心から外れ、ホテルに近い名物ホワイト・ローズ「バイン・バオ・バック」の生産元へ行ってみた。しかし、テトのため休業中で残念。ホイアンのホワイトローズは全部ここで作っているそうなのでまあ良い。 ホワイト・ローズとは、米粉で作った皮にエビのすり身を詰めて蒸し上げたもの。 |
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ニーチュン通りの一筋奥に入った所に有った大きな建物。 ホイアン最大のフォーホイ2レストランか? |
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旧市街へ向った。 ここから先が世界遺産の旧市街。ワクワクする。 ホイアンはダナンの南東約30km、トゥボン川が南シナ海に流れ出る三角洲の沿岸都市。チャンパ王国の時代には中国とインド、アラブを結ぶ中継貿易の都市として栄えた。16、17世紀にはアユタヤ、マニラと並んで日本人町が造られ、最盛期には1,000以上の日本人が住んでいた。 |
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ニーチュン通り 古い建物がそのまま残っている。 朱印船に乗ってやって来た日本人商人達がここに出入りしていたかも知れない。 |
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新しい建物も街の景観を崩さない配慮がされている。 |
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チャンフー通りの「廣肇會館」 “會館”は華僑の同郷人集会所。ここには広東人が集まっていた。他に福建會館、潮洲會館がある。 華僑は、江戸幕府の鎖国政策で日本人町が衰退した後に移り住んだ。 |
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“世界ふれあい街歩き”を見て憧れていた来遠橋に来た。 |
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1593年、日本人によって架けられたと言われ、日本橋とも呼ばれている。 |
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橋には屋根が付いており、中央にお寺、両側を猿と犬の像が守っている。 |
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橋を境に内側(東側=写真右側)が日本人町、反対側が中国人町だった。 |
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橋は自由に渡れるが、寺に入るためには5枚綴りの総合チケットが必要。 |
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そこまで徹底して観光するつもりは無く、寺も入口から覗けば十分なので買わず。 |
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来遠橋西側。中国人町 ところが、最近の調査ではこっちが日本人町ではないかとの説が出ているそうだ。“會館”は全部東側にあり、この説が当然の様に思うが。 |
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みやげ物屋の前を通ると、店番のチビッ子がカメラを意識してポーズをとった。 |
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ファンチューン通り 旧市街から一歩出ると近代的な大きな建物が並ぶ。 |
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このポンポン船、非常に欲しかった。しかし、無事持ち帰る自信が無く諦めた。 |
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サラダ油を燃料に、煙突から煙を吐き、後方へポコポコ空気を排気しながら走る。原始的ながら実に面白い。 |
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日本にいると錯覚してしまう。 |
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日本人町に戻り、「カオ・ラウ」が美味いと地元で評判と言うチュンバックに向った。 |
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これだけ保存しているのは本当に凄い。 |
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チュンバックを発見。ここも旧家をそのまま使っている。 |
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店は混んでいる。午後1時を過ぎていたが満員で待たされた。これは期待できる。 |
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チュンバックでホイアン三大名物(←)を制覇! 上左:念願の「ホワイト・ローズ」。上右:太い米麺に具だくさんの名物「カオ・ラウ」。下:豚ミンチとエビすり身の揚げワンタン「ホアン・タイン・チエン」。どれも大変美味しかった。 近郊の町からわざわざ食べに来る人がいると言うのも信じられる。 |
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ホイアン市場に向け、チャンフー通りを東へ進んだ。 |
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14:00、間食にカオ・ラウを軽く一杯って感じでしょうか。 |
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実に長閑。 木の防虫処理は中国と同じだ。 |
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トゥボン川 渡し舟やら観光船が行き交っていた。 |
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オバちゃん達に「乗れ、乗れ」と勧められたが、ミーソンツアーにボートが付いているのでパス(ところが、ミーソンツアーのボートはガセだった。ここで乗っておけば良かった)。 |
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テレビで見たが、やっぱり生の迫力は凄い! |
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上手に積み降ろしされていました。 ここで出会ったピンクのヘルメットを被ったオッチャン、真っ黒のサングラスに大きなマスクでうんこ座り、手には鉄パイプらしきものを握り肩に担いでいる。実に笑えた! |
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船着場近くの屋台は地元の人で大混雑。我々は夜ここで食べた。 白人の女の子に「そのTシャツはどこで売っているの?」と声を掛けられた。ここにもTINTIN Tシャツはあるが我等のデザインが勝っていたようである。 |
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トゥボン川に面したバクダン通りにはレストランが並んでいた。 |
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レストランも古い建物を壊さず上手に遣っており好感が持てる。 |
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橋を渡りアンホイ島に行くと、新年のお祭りをやっていた。 皆さんヘルメットが大好き!いつでも、どこでも被っている。何故なんだろう?蒸れて嫌だと思うけど。 |
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屋台によって集客に明らかな違いがある。 |
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繁盛しているのは現金をバックするところ。子供に現金バックだからね、凄い国だ。車掌の賭けトランプなど可愛いもの。 |
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ほらここも大繁盛。 |
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兄ちゃん達はひょうきんだが、商品渡しの屋台は客がサッパリ。 |
バクダン通りの街並み。 |
実に美しい。 |
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どこかの旧家を使った服屋。有料で見学させているところも有った。 一回りしたのでホテルに戻り一服。やっぱり相当疲れていたようで、まだ明るいのにうとうとしながら、しまいに眠り込んでしまった。 |
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気が付いたら薄暗くなっていた。夕食を食べるため外へ出た。 |
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やたらと現地人が群がる屋台を発見。少し様子を見て、先ずここで食べる事にした。 |
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鶏ガラスープで炊き上げたご飯に鶏肉ローストを中心とした具をのせた「コム・ガー」。 絶品だったー!もう一皿、と言いたいぐらい美味しかった。 |
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凄く立派なアオザイショップ。 |
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昼間超人気だった屋台。勢いは夜も衰えない。 |
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Hくんは豚肉入り湯麺に挑戦。少し分けて貰った。これも良い味だった。 |
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昼に食べそびれた揚げ春巻き。全然出て来ない。忘れられていたと思われる。覚えていてもコンロが一つだから無理? |
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美味しかったが、豚入りを頼んだのにエビだったのにはガッカリ。 |
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前のカップルがカオ・ラウを2杯ずつ食べていたのに刺激されて食べた。 |
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確かに美味しかった。 このカップルの女の子、ニコニコ可愛かった。 |
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お祭り会場では、のど自慢・腕自慢が始まっていた。商品は大型テレビなど。 |
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トゥボン川に龍が。 |
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来遠橋。昼間とは一味違う良さがあった。 ここで昼間「どこへ行けば良いですか?」と声を掛けられた日本人のオバちゃんに遭遇。日本人の兄ちゃん2人と一緒だった。しかし変な人だった。 |
2008.2.9(土) 世界遺産“ミーソン遺跡”で大感激!
朝食は昨日の昼の隣のコーヒーショップ。 |
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昨日の失敗を繰り返さないように、慎重にサンドウィッチを選んだ。 |
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7:55、ミーソンツアーは8:00出発だがどうすれば良いのか分からない。 取りあえずBooking
Officeに行ってみた。 |
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犬もノンビリ。 |
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暫くすると、立派なバスが来た。 やけに少人数だと思ったら、あちこちのホテルを巡回して客を拾って行くので中々進まない。 |
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お兄ちゃんがツアー参加のエビデンスを集めて回る。Hくんが持っていたものを渡した。 お兄ちゃんは皆のエビデンスを持って途中で降り、代わりに怪しいオヤジが乗り込んで来た。 ここでエビデンスを渡した事で、ハノイ行きバスに乗るのに苦労する事になるとは、この時は夢にも思わず。 |
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街の西の端にある孔子廟。 街の中には関羽を祭る関公廟もある。 今日は天気が思わしくない。スカッと晴れて欲しいものだ。 |
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バスが郊外に出て暫くすると、ガイドの怪しいオヤジがミーソン遺跡の入場券代を集めに回り始めた。 このオヤジ、茶化して釣を渡そうとしない事を何度もしつこく繰り返すので気分が悪くなり、一旦渡したお金を全部取り返して自分で窓口に行って買う事にした。結果的にこれが正解だった。 |
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ツアーのボートはここで乗るのか? |
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遺跡入口に博物館が有り、我々はここでチケットを買った。60,000VDN。バスで前の席に座っていた親子は20豪州$をガイドのオヤジに渡していた。彼女達は随分余分に払った。 入口から遺跡まで約600m。ハイエースのシャトルバスが有るが、中々乗れそうに無いので往復歩いた。 |
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チャンパ王国は2世紀末から17世紀まで、ベトナム中部の海岸平野を中心に栄えた。特に9世紀以降は東南アジアの海上交易の担い手であった。 ホイアン、ニャチャン、ファンティエット等の港町は、高地で取れる栴檀・伽羅などの香木や香辛料を主要産品としていた。 東南アジアにおけるチャンパ王国の存在は、中国とオリエントを結ぶ中継貿易の拠点だった。 、、、そうである。 |
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王国の繁栄していた時期に建てられた建造物の遺跡は、8世紀末から17世紀の物が各地に残っている。 @「ミーソン遺跡群」 Aダナン近郊の「クアンナム遺跡群」 Bクイニョン近郊の「ビンディン遺跡群」 Cニャチャン地区の「ポー・ナガル遺跡群」 Dファンラン、ファンティエットの「ホー・ハイ遺跡群」 E王国末期の「衰亡期の遺跡群」 是非行ってみたい。 |
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チャンパ王国の聖地、ミーソン遺跡。ホイアンの南西約45km。山に囲まれた盆地の中央に遺跡群がある。 王と一体化したシヴァ神などを祭るために多くの建造物が造られたそうだ。 歴史は4世紀後半に遡り、チャンパの王がシヴァ神を祭った木造の祠堂を創建した事に始まり、7世紀にはレンガを使って再建された。現在は8〜13世紀末までに建てられた70棟を越える遺構が草木に埋もれて残っている。 |
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接着剤を使わずレンガをすり合わせて造られている。壁面にはチャンパの女神像。 |
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まさに聖地。来ることができて良かった。 |
怪しいガイドのオヤジ |
遺跡群はこの山の中 |
グループH遺跡 |
林を掻き分け進んだ先に現れた |
次に現れたグループC,B |
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焼成レンガを少しずつずらして積んで屋根を支える迫り出し構造。このため大きな空間が作れなかった。 |
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装飾彫刻が素晴らしい |
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グループA |
崩れてしまい形は殆ど分らない |
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遺跡の上に登るとジャングルに囲まれている事が良く見て取れた。 |
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グループE,F |
保存は大変だ |
ドヴァラバーラ神(守護神) |
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王のリンガ? |
ベトナム戦争時に爆弾でできた穴 |
これも爆弾の影響? |
この小道の先にも遺跡 |
グループD |
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例の怪しいオッチャン、ツアー客の数が分らなくなってしまいバスが出発できなくなった。バイクを借りて探しに行ったが、既に全員乗り込んでいた。いい加減にしてよ。 ハノイからホーチミンへ行った時に直ぐ近くを通っていたんだ。 |
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大きな船。予想通りレストランだった。 |
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日本と同じ様な風景でホッとする。 |
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ついにボートには乗らず。文句の一つも言いたかったが、時間が無くチケット問題も発生し、そんな状況では無くなってしまった。 |
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最初に乗ったので最後に降りるものだと思っていた。ところが、この学校より手前で降りるのが正解だったらしい。例のいい加減なオヤジは最後までいい加減ぶりを発揮してくれた。挙句の果てには自分が先に降りて行きやがった。 結局大きくタイムロスし、戻って来たときにはハノイ行きのバスが出発する14:00直前。慌ててホテルに荷物を取りに行った。 |
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それでもここだけは写真を撮っておきたかったアオザイのお店と隣の工場へ走って寄り道。 |
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奥の工場で作ったものを販売。 |
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間に合った。ところが、チケットと言われてもミーソンツアーで渡したので持っていない。そんな話をし始めた時には我々にチケット売ったオッチャンがいなかったが、少しして現れバスには乗れた。我々を探しにホテルへ行ってくれていた様だ。しかし、バスに乗って行っていたので、ひょっとしたら置いて行かれる事になったかも知れない。 |
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バスはオッチャンを乗せたまま走り出した。逆方向へ行く。大丈夫か? それにしても、こんなバスでハノイまで行くの?運ちゃんも一人だし。 |
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ビーチは大賑わい。 この辺りには高級リゾートホテルが並ぶ。バスはそこの客を迎えに来たのだ。オッチャンはこのビーチの前で運ちゃんにキャッシュを渡して降り、バスは海沿いにダナン方向へ走り始めた。あのキャッシュはどんな意味なんだろう? |
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こんな所に塔を造るのは中国と同じだ。 |
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ダナンへ戻って来た。 対岸に漁船が並んでいた。正月で漁は休みのようだ。 |
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前に行くのはハノイ行きの寝台バス。 抜きつ抜かれつ、フエまで同じペースで走って行った。明るい間は寝台よりも椅子の方が良いと思う。 |
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防波堤に大きなザルが沢山並べてあった。漁の時には取れた魚をこれに入れて引き上げるのだろう。 |
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ハイヴァン峠からダナン方向を望む。 ベトナム語でハイは海、ヴァンは雲を意味する。この峠を境に、気候も人の気質もガラリと変わるそうだ。確かに思い当たる所がある。 19世紀初頭に造られ、第二次世界大戦時に日本軍が、ベトナム戦争時にサイゴン政府軍が使った砦がり、そこからの眺めは絶景だそうだが、トンネルを通ったので眺められず。 |
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このトンネル、’02年に約200億円(VDNにしたら凄い単位だろう)掛けて工事を始そうだ。この開通でダナン〜フエ間の所要時間が大幅に短縮された。 |
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トンネルを出たところで右手に旧道が見えた。トンネルが無かった時は相当時間が掛かったに違いない |
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ランコー村 美しい砂洲の広がる椰子の木に囲まれた小さな村。「真っ白な砂浜に囲まれ、絵画のような美しさ」と地球の歩き方に絶賛されているが、こんな天気で今一つ。この辺りから雨が降り始めた。 西側(写真左)が干潟。東側の砂浜は鳴き砂。鳴き砂には興味あり。 |
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どの町にも教会がある。 ボーっとしていたら「キー!ガシャン!」と事故の音。直ぐ目の前で、若いカップルの二人乗りバイクがコミュータに追突していた。大した怪我は無い様で不幸中の幸い。こちらのバスがコミュータを追い越そうとしたので、コミュータが急にスピードを落とし、そこに突っ込んだんじゃないかと思う。 あれだけバイクだらけなのに事故目撃は、ホイアンでバイクが自転車を引っ掛けたのに続き2件目。優秀。 |
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16:50、フエの街に入ったようだ。 |
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フエで乗換えを指示される。出口に来た兄ちゃんが誘導してくれると思ったら関係ないBooking Officeの人だった。ややこしい事は止めてくれ。 |
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バスに戻り、運ちゃんに助けを求めたら我々の行くべき所を教えてくれた(←)。 しかし、チケットを持っていないため乗車を認めてくれない。タバコを吸いながら休憩していた運ちゃんに出張って説明して貰い、更にホイアンに確認して漸くOKが出た。ホッ。 シートが確保できると知恵が出て来る。フエも良い所らしい。一泊して明日の18:00発のバスでも良い。しかし、それは交渉が成立しなかった。 |
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バスに乗る前に腹ごしらえ。 ホーチミンで食べ逃した「バイン・セオ」の店がある。そこを目指して歩き始めたが意外と遠い。バスに乗り遅れるとややこしいので今回も諦め、別の店を探し始めた所に、このオバちゃんの店が目に飛び込んで来た。 鍋の中を覗くと実に美味しそう。ここに決めた。 |
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血豆腐入りピリ辛スープの「ブン・ボー・フエ」はめっちゃ美味かった!15,000VND。 |
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このバスに乗れば明日の朝にはハノイだ。 18:00過ぎても発車の気配無し。18:30過ぎに漸く出発。これなら「バイン・セオ」も食べられた。 |
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出発して間も無く阮(グエン)朝王宮前を通過。かつてユネスコのアマドウ・マボウ氏がフエを「賞賛すべき建築上のポエム」と語ったそうだ。いずれゆっくり見学したい。 バスが進むに連れ、季節が冬に戻って来た。 |
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例によってドライバー懇意のドライブインで夕食。 この焼きそばもOKだったが、フエの「ブン・ボー・フエ」が良かったので影が薄い。 |
2008.2.10(日) 改めてハノイを堪能したらややこしい事になってしまった
6:20、無事ハノイへ帰って来た。何回目の車中泊になったのか? いよいよ出国。入国したのとは違うゲートから出国できないかと、モンカイ行きのバスが無いか聞いてみたが無かった。しょうがないので入国の逆ルートで出国する事にした。 しかし、どこに着いたのか分らない。 |
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取り敢えず歩き始め、道行く人に方向を尋ねホアンキエム湖方面を目指した。 40台以上もずらっと並んだタクシーに声を掛けられたが、時間が早いのでタクシーに乗って行っても着いてから時間を持て余しそうなので歩いた。 10分ほど歩いた所で現在位置が分りホッとした。 |
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’89年に泊まったホアビンホテルへ行ってみた。 |
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入口の回転扉は変わっていないが、全体は大変綺麗になっていた。 |
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この階段、昔のままだ。 地球の歩き方によると、「1926年開業、ヨーロッパ調でしっとりとしたムード、客室はゆったり、設備も整っている」。昔は雷が鳴ると直ぐに停電していたのだが。 残念ながら部屋は見られず。流石にもう無いだろうが、昔は蚊帳が吊ってあった。 階段の奥のトイレを借りて用を足し、顔を洗い、歯を磨き、お世話になりました。 |
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トーストに蟻がついていたレストランも立派になっていた。雰囲気、味ともに好評だそうだ。 19年も経ったとは思えない。つい昨日の出来事のようだ。 |
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ホアンキエム湖。帰ってきた事を実感。 亀の塔の場所に、黎潮の始祖レ・ロイが剣を亀に奉還したと言い伝えられている。 |
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湖畔に建っているこれは何? |
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ホアンキエム湖上の玉山祠 13世紀創建。現在の建物は1865年建立、後に再建されたもの。つまり、新しいものだ。 内部には13世紀に元の進撃を撃退した英雄、チャン・フン・ダオと、文・武・医の三聖人が祭られている。その隣に、1968年にこの湖で捕獲された体調2mの大亀の剥製がある。発見当時、これが還剣伝説の亀ではないかと話題を呼んだと言う。 |
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歩道どころか車道の安全地帯もバトミントンコートに早変わり。これも許されるようだ。 |
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7:50、旧市街に戻って来た。さあ、朝飯。 フォーを中心に屋台が出始めた。タニシが美味しそう。 |
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夜には見えなかった建物を見ながら、フランス統治の面影を感じた。 |
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白馬最霊祠 ステーキ屋台のナム・ビッ・テットの直ぐ隣。正月のお参りがまだ続いていた。 ここに来た目的は飯。この辺りに出ていた屋台は全く開いておらず残念。 |
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東河門 旧ハノイ城の門の一つ。当時の軍隊が使用した。1749年に建てられ、19世紀に修復された。 |
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東河門からドンスアン市場に続くタンハー通りは路上市場。 |
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8:20、ドンスアン市場北側のこの屋台の人だかりを見てここに決めた。 |
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残念なことに、食べ始めてからタニシが登場。食べたかったのに。 |
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トマトをふんだんに使ったこのフォー・ボーも美味しくて身体が温まり良かった。 |
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しかし、25,000VDNは高いでしょう。ちょっとぼられた。 |
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面白そうな建物を覗き込みながら、ファンディンフン通りをバーディン広場に向けて歩いた。 |
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道路を湾曲させているこの建物は一体何だ? |
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この一団、後にTVに登場しているのを見た。 |
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旧ハノイ城北門 |
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軍事施設なので門の中には入れないが、登る事はできる。 |
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クアバック教会 歴史を感じる立派な建物。 |
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ハノイにはもっと大きな教会もあるそうだ。 |
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ホーチミン廟前のバーディン広場に続くフンブオン通り。 大使館街のため静かだ。 |
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大統領府 ホーチミンが1954年から無くなる1969年まで執務を行った。 |
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1945年9月2日にホーチミンがベトナム民主共和国の独立宣言を読み上げたバーディン広場からホーチミン廟を望む。 写真右に大統領府がる。大統領府奥に1958年に建てられた木造高床式の住居がある。 |
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ホーチミン廟 ’89年に入った。こんな立派な建物だったかな?安置されているホーチミンさんが今にも目を覚ましそで恐ろしかったのは良く覚えている。だから北京の毛沢東記念堂には一度も行っていない。 私は入るつもり無し。Hくんは沢山並んでいるのでと言い、2人とも見学はパス。 |
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軍事博物館 サイゴン開放の「ホーチミン作戦」や色々な戦争のジオラマ、#843タンクのオリジナルなどを展示。 |
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今はもう無いハノイ宮殿から持って来た国旗掲揚塔。登れるらしい。 |
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ハンザ市場の前でサンドウィッチ屋さんを発見!食べる事にして並んだ。 カウンターに20個ぐらいパンが載っていたが、帽子のお姉さんが全部持って行った。店の奥から次のパンが出て来るだろうと思っていたら、パンは直ぐ前のパン屋で買って持ち込む仕組みだった。 |
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それがこの店。直ぐ前だが全く目に入っていなかった。 このパンが実に美味いんだ。 |
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9:30、街角に屋台が増えた。人も多くなった。正月でゆっくりしていたのか? |
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ハノイは、味わいのあるこんな面白い風景のある街だ。 |
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バスを確保するため、中国国境からのバスが止まった場所へ行き、チケット売り場があるらしい目の前のホテルへ向った。 10:00、ホテルに着きフロントで聞くと、隣だと言う。行ってみると姉ちゃんが一人いた。聞くと、今日はもう無いと言う。9:30が最後だったらしい。30分違いだ。そこで翌日の切符を買うのも手だが、余りの態度の悪さに、もうそこは使わない事にし、朝のBTに戻って仕切り直し。 |
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何とか国境まででも辿り着けないかと、市内バスを乗り継ぎ、鉄道駅や違うBTまで行って探したがダメ。 そこで今日国境を越える事は諦め、モンカイから中国に入るルートに方針を戻した。 しかし、直行便は無いので「ダメならハロン湾の世界遺産でも見て」ぐらいのつもりでハイフォン経由で行く事にし、今にも出発する勢いのバスに飛び乗った。 |
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ハイフォン到着。しかし、どこに着いたのかサッパリ分らない。道行く人に聞くが、分らない。それもその筈、この地図より外だった。 |
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行きたい方向は指差してくれた指の向きが皆同じなので間違いないようだが、いつまで経っても地図と一致しない。 かれこれ30分も歩いただろうか?漸く現在位置が分った。モンカイ行きの船、バスの出る埠頭までもう暫く掛かりそうだが、地球の歩き方によると最終バスには間に合いそうだ。 |
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モダンな建物を発見。地方の街でもこう言うのが有るんだね。 |
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15:30、モンカイ行きのバスを見つけた。このバスも今にも発車する勢いでトロトロ動いている。船は未確認。気になるが、ハイフォン泊まりになると最悪なので乗る事にした。 乗り込み席を確保すると、チケット売りの姉ちゃんが来て、400,000VNDだと言う。ハノイからのバスが着いたBTでテト期間は70,000VNDと書いて有ったのを見ていたのでアホらしくて降りると言ったら交渉になった。結局100,000VNDで手を打ったが、後で70,000VNDの貼紙がこのバスにも有る事が分りガッカリ。 |
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ハロン湾。「海の桂林」と呼ばれるベトナムきっての景勝地。世界遺産。 |
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ここもいずれゆっくり行こう。 |
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’04/5にはこの橋はまだ建設中だったそうだ。当時はフェリーに乗らないとモンカイへ行けなかった。大変だった事だろう。 |
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19:00、山の中のドライブインで夕食。 延々と続いた山道は、昨年末に広東省から福建省への移動で味わった以上に過酷だった。 最後部に座っていたので天井に頭をヒットさせたり、大変な目に遭った。 |
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オープンの食堂は寒い! |
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最後に、ビールの友Baet3に数えられる孵化寸前のアヒルの卵をゆでた「ホビロン」を食べた。苦かった。 |
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暖かくなるものと思い、厨房を見ているとラーメンを作っていた。インスタントの袋を破り麺を取り出し茹でていたが、他に無い様なのでしょうがない。 |
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味はまあまあだったのでOK。 |
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21:40、モンカイ到着。国境は16:00に閉まると書いてあるが、通過の期待も込めて場所確認に行った。やっぱりダメだった。 ホテルを決め、改めて夕食に出掛けた。 BTから歩いて来た時に、学校の校庭の様な所にテントを張った屋台が3軒見えた。最後はコテコテのベトナム料理が希望だったが良い所が見つからず、ここで“中国焼烤”にした。 晩飯のためにホテル代を人民元で払った。それでも“中国焼烤”でキャッシュが足りず。人民元を見せたら5角だった。 |
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ホテルは中国人客が多いと見え、フロントでポットをくれた。 シャワーのお湯が出ずショック。 |
2008.2.11(月) 最後もタフな一日になった
6:55、7時開門のイミグレに向け出発。まだ寝ていたホテルのオッチャンを起こし玄関を開けて貰った。 |
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この国境の街は中国語の看板だらけでベトナムにいる気がせず寂しい。 |
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この先バスが有るのか分らず、早く先に進んで行こうと思うが、その前に朝市の屋台でベトナム最後の食事。 水槽から飛び出すほど元気の良い魚。 |
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最後はフォー・ボーで締め。鍋の中に豚骨の大きな塊が見えたので期待が一層膨らむ。 |
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出来上がりも上々。 良く食べたし、良く飲んだ。行った先々でその土地の名物料理と地ビールで大変幸せな旅行だった。 これが最後と思うと、朝でもやっぱりビールだ! 全部で25元だから物価は中国と同じぐらいだ。しかし、ビールは中国製の方が安かった。 |
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この道の突き当りが国境だ。 |
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デパート、ゴルフ場と中国資本がどんどん入っている様だ。 |
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7:35、改めてイミグレへ到着。ここを越え、奥に見える建物に着くと中国だ。 |
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また通行税を取られた。今回もVNDキャッシュ無く人民元払い。 |
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免税店も有ったが開いていなかった。 |
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この橋がボーダー。 |
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両岸に堤防へ上がる階段があり、簡単に行き来できそうな気がする。 |
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左岸の中国・東興は予想を大きく外し、えらく立派な街なのでとてもビックリした。 |
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このイミグレも非常に立派。お国のお金の使い方が変じゃないかと思う。 |
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橋の向こうのベトナムが名残惜しい。 |
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暫し別れを惜しんで、長距離BTへ向った。 イミグレ前良い具合にバスが見つかった。幸先が良い。明るいうちに広州へ着くかも、と期待が膨らんだが、、、 |
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立派なマンションを幾つも作っていたが、人の数よりも部屋数の方が多そうな街。春節だからかな? |
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9:15、東興BTで広州行きを探した。8:30に一便有った。次は夜になる。この街じゃあする事ないし、寒いので待てない。乗り継いで行く事にした。 |
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一番良いのは湛江だ。しかし、無い。次のターゲットは北海。250kmそこそこしか進めないのが難点だが、方向的に良く、夏には海水浴客で賑わうぐらいなので、広州便も豊富と踏んだ。 チケットを買ってから、11:00に珠海行きの有る事が分った。もしかしたら珠海の方が良かったかも。買い直しも考えたが、北海に賭けた。 9:30、バスは定刻に出発。 |
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直ぐに高速道路を走り始めたので3時間掛からないだろうと思っていたら、30分もしないうちに高速を降りてしまった。 この後、別のBTに行った。チケットに「直達高」と印刷されているので直通の筈だが。12:50に北海へ到着。 早速広州行きを探すが、見事に裏切られた。ここも夜になるまで無い。幸い湛江行きは多い。一番早いのは13:30だ。しかし、空席が一つしかない。次は14:50、仕方無くそれにした。 |
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腹が減った。海水浴で賑わう街なら海鮮料理が軒を連ねているだろうと想像していたら、見事に裏切られた。 中山公園方面に15分ほど歩いたが、まともな食堂が無い。寂しい街だった。 仕方なくファーストフードに入った。ハンバーガーを筆頭に色々有ったが、異色とも思える石焼ビビンバにした。20分ぐらい掛かると言われ、OKして待った。確かに20分ぐらいで来た。時間は良い。しかし、石鍋が全く熱くない。これではおこげは出来ない。味も悪く、ガッカリ。 |
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この街ではバイク屋が繁盛していた。売っているのは全く知らないローカルメーカーの製品ばかり。ベトナムでは日本のメーカーの製品ばかりだったので差を感じる。ヘルメットも好きじゃ無さそうだし。 |
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北海の街に良い印象無く、バスは定刻14:50に出発。 また250kmぐらいのショートとリップになってしまった。 |
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途中、この海?川?を見ながら広州のカキ屋を思い出した。広州のカキは湛江から来る。湛江では海鮮を! |
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一回のトイレ休憩と別のBTで少し乗客を降ろし、バスは17:35に湛江へ到着。 メチャメチャ大きなBTのビル。どうやって使っているのだろう? |
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早速広州行きを確かめる。 |
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流石に同じ広東省なので豊富にある。18:20が買えた。良かった、これで今晩中に帰れる。 |
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出発前にカキが食べたいが、ここにはその様な店は無い。BT周りにも。残念、広州で食べよう。カキは諦め、菓子を買って持ち込んだ。 |
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チケットのバーコードを読み取った数と乗っている人の数が合わないらしい。何度も何度も数える。何度数えても人の数は変わらんと思うが。定刻過ぎても埒が明かず、バスは出発しない。 結局、降りる人も、乗り込む人も無く、30分近く遅れて出発。 |
2008.2.12(火) ・・・になってしまった
0:10、広東省BTに無事到着。ドライブインで一度トイレ休憩しただけで、運ちゃん一人で走り切った。私には真似できない。 ここらか夜間バス(初乗車)で体育中心まで行き、天河南二路の四川料理屋で祝杯を挙げた。 ちょっと国境を覗くつもりが、ホーチミンまで陸路で往復する事になるとは。世界が広がった気がする。 |