トコトコ中国バスの旅 |
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▼北京一卡通編 #48
【旅日記】
2018.2.4(日) 少々構えて焦庄戸地道戦遺跡へ
今週は広州へ出張した。ここで大事件が発生。白酒ほかを飲み過ぎ転倒。顔面を強打。右目の下に大きな瘡蓋ができた。やはり白酒は止めよう。 大事件の翌日、深夜食堂なる日本料理店へ行った。お茶だけにしておこうかと思ったが、飲み物メニューの「深夜食堂」にビール興味津々。手に取って見ると、何と青島啤酒!ローカルメーカー物を予想していたのでビックリ。深夜食堂は、中国版が放送されるほど中国でも人気がある。この店はチェーン店で、広州以外にも深圳、上海に有る模様。広州には同名異店もある様で、注意書きがあるほどだとか。北京では工人体育場の西側にあるが、外観からは中華に見える。あそこにもこのビールがあるのだろうか? |
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9:30 遅い出発。行き先は決めていたが、行くか休むか迷い出遅れた。目的地は順義区の焦庄戸地道戦遺跡。1943年から掘られ、抗日戦争、解放戦争で闘争に場になった地下トンネル。東直門から916慢車に乗車。916快の隣で乗るだろうと思って行ったら、乗り場が無かった。探すと、意外や意外、ターミナルの外だった。 |
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10:40 地鉄后沙峪站で順31路に乗り換え。ローカル路線だが対向車線を走るバスを見ていると本数は多く、割と安心。案の定、5分ほどで来た。 |
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12:07 焦庄戸西で下車。52站もあった。中には、100m間隔の所も。今日の体調で立っているのはキツかったが、座れたから良かった。さて、ここから100mほどの筈だがどこだろう?地図アプリで確認すると、この道を直進。 |
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看板を発見。 |
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看板の矢印が指す記念館路を進むのかと思ったが、目的地はその先だった。 |
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12:13 焦庄戸地道戦遺跡記念館へ到着。 |
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事前調査では無料の筈だったが、、、良く見ると、售票処ではなく発票処だった。窓口に行くと、身分証明書の提示を求められた。戦争関連施設なので少々構えてパスポートを出した。すると、何食わぬ顔でパスポートNo.、名前、国籍を台帳に記入し、赤と緑のチケットを1枚ずつ渡してくれた。おまけに、丁寧にルート説明も。 |
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看板には日本語解説もあり。 |
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この場所は順義区の最北東。山の向こうは密雲区。 |
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先ずは記念館へ。 |
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入り口には劇画。 |
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当時の建物の構造も。 |
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記念館内には凄惨な展示も。 |
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発票処で教えられた通り、記念館の西口で外に出て、裏へ回り地道へ。 |
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現在解放されているのは全長883m。さてどんな所? |
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木が生い茂り外観が分からないが、普通の家。 |
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中に入ると、トンネルの入り口。 |
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トンネル内は整備されており、所々に看板で説明があった。特別な展示物は無い。出口直前に、掘り始めた当時の部分があった。 大部分は2mほど掘ってあったが、所々腰を屈めなければ通れなかった。 それにしても良く掘ったものだ。記念館に当時のツルハシやスコップが展示してあったが、苦労したことだろう。 |
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出口も家の中。 |
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こちらは外観が良く分かる。 |
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1951年〜58年に、ソ連から357機輸入した戦闘機。 |
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機銃掃射の展示も。 |
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12:55 見学を終え、順31路の始発、焦庄戸へ来た。ここでも待つこと5分でバスが動き出した。 帰りは、地鉄俸伯站で空港高速を走る915快に乗り換え。渋滞があったが、それでも早かった。しかし、終点が予定外の東直門外だったので最後に徒歩の距離が増えた。 |
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東直門バスターミナルに戻り、フードコートで遅い昼食。1年2ヶ月ほど閉鎖されていたフードコートが昨年12月に復活。驚くことに、店も人も殆ど閉鎖前と同じ。一体何をしていたのだろう?韓国料理は以前から出来たり潰れたりを繰り返し、復活時は無かったが最近新しく出来た。石鍋が余り加熱されていないのは気に入らないが、味はまあまあ。しかも、これで12元とお得。ビールは6元。そう言えば、同じ青島の深夜食堂は18元だった。 本日の歩行距離4.7km、6,735歩。上った階数2階。何事も無く帰って来れて良かった。 |