トコトコ中国バスの旅 |
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▼北京一卡通編 #32−1
【旅日記】
2017.10.14(土) 京西古道は険しかった
6:30 出発。珍しくアパートから西の山が見えた。今日はあの山の向こう側、京西古道が目的地。 6:45 東直門内から612路に乗車。展覧路で快速公路4線に乗り換え、候庄子で下車。国慶節に途中で断念した千軍台行きの929路にまた乗車。乗り換えは2度とも待ち時間0分で超順調。 |
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8:27 隴駕庄へ到着。「もしかしたらこのバスは千軍台まで行くかも。ずっと乗って行ってみようか」とも思ったが、ここで下車。 |
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NAVIによると、先ずこの町を通り抜ける。售票処まで1.2km。 |
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正面の山の頂上が人工的に削られたように見える。あそこが古道か?と思ったが、あそこは採石場跡だった。その向こうに售票処があり、そこから試練が始まった。 |
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「京西古道第一村」、道は間違っていないようだ。 |
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トンネルの向こうは、、、 |
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別世界だった!そして上り坂が始まった! |
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私も馬が欲しい、、、 |
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8:46 售票処が見えて来た。門票を買わないと古道にはお目にかかれないようだ。 一番高い山に遊歩道が見える。あそこまで行くの? |
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現在位置は峠の東側。古道の位置は分かるが、高低差も距離も全く分からない地図。どうしよう? |
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膝の具合が良くないこともあり迷ったが、古道を全く見ないで帰る訳には行かない。先へ進むことにした。 門票は27元と80元の2種類。私は27元を購入。違いは後ほど判明。 |
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辮髪の皆さんが迎えてくれたが、後ろの岩に穴が! |
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いよいよ古道へ。 |
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まだ古道に出でいないがこの荒れよう。大丈夫か? |
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千百年来の道は、 |
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メチャクチャ険しい! |
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4本足でも厳しいだろう。 |
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中腹の鍛冶屋小屋で馬の蹄や農機具を作ったそうだ。 |
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大きな岩には蹄の跡がくっきり。 |
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9:30 牛角嶺関城へ到着。古道の頂上。やった〜! |
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ここには蹄の跡が300以上。一番深いものは30cm近くあるそうだ。 |
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牛角嶺に立つ「永遠免夫交界碑」(1777年建立) |
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城門洞。高さ6.2m、幅4.3m、長さ9.3m。綺麗なアーチだった。 |
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峠の向こう側。達成感あり。 おっ、本物の馬だ。 |
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城門洞の上に登る階段があったので行ってみた。すると、ガラスの橋が現れた。こちらの方は、これが大好きだ。 橋の手前に售票処。最初の售票処には値段が出ておらず、話をして2種類あることが分かったが、ここには「80元」と、手書きの紙が貼ってあった。そう、27元の人はここまでと言うことだった。 ここを進むと、最初の售票処から見えた遊歩道に行ける様子。しかし、まだ随分上に見えた。あそこまで行くと、きっと景色が良いのだろ。ガラスの桟橋の下は車道。ここまで車で来ることもできる。そんな人が登って行くのか? |
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桟橋横の展望台より。私はここからの景色で十分。先に行っても古道は無いし。 ここでどっちに下るか思案。結果、来た道を戻るのではなく、先に進むことにした。 |
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西側も厳しい。 |
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馬は、往時を味わう観光用だった。少々興味あり。 |
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関羽廟。峠のてっぺんに作るとは恐るべし。 |
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関羽廟に何故か子猿。きっと出身はこの山だろう。 |
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先ほどの展望台。右がガラスの桟橋。下が関羽廟。 |
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こっちも急だ。雲行きが悪くなって来た。雨が降って来たら恐ろしいことになるので先を急いだ。 |
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西側の售票処には誰もいない。こちらから上ればタダで行ける。 |
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いやいや、直ぐ下の道路の、50mほど先にもう一つ售票処があった。古道はこの先数十mで藪に包まれ歩行困難の様子。道路に降り、この先は車道を下った。 と言う具合なので、ここで古道に登ると車道の售票処から制止されると思われる。 |
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車道で分かれ道。嫌な予感がしたが、右側の下りを選んだ。嫌な予感的中!500mほど先で行き止まりになった! |
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次は道路工事。ガッツリやっている。 ここを逆へ進むと元代の著名芝居家・馬致遠故居。随分山の中に住んでいたんだな。 |
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作業が一段落するまで見学。後から来た2人組のオヤジが話をつけ、アームを上げ通してくれることになった。 キャタピラと穴の間の崩れそうな石の上を、足場を確かめながら慎重に通過。 |
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西側は、售票処のずっと手前で古道に触れることが出来る。 ここの馬、左前脚を開放骨折しており、針金むき出しで痛々しかった。左足の膝を開放骨折した私には他人事ではない。 |
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この橋、ガッチリ作られ、 |
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今も現役。 先が気になったが、進む元気なし。 |
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行けども行けどもバス停が無い。広い道に出たがここにも無い。 |
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11:10 漸くバスが通る道に出た。 |
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朝降りたバス停の5つ先の石古岩まで歩いて来ていた。 11:23 先に来た929路に乗車。双峪環島西で快速公交4線に乗り換え、西釣魚台で下車。航天橋北から特8路に乗車し亮馬橋で下車。 |
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西釣魚台までは順調だったが、航天橋から三環路を右回りで亮馬橋までちょうど1時間掛かった。沿線の変貌ぶりを楽しむことができたが、やはり車が多過ぎる。 |
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遅目の昼食はラーメン荘の汁無し二郎ラーメン。最近出来た新メニューで、初めて食べた。生卵との相性抜群。美味しかった。 本日の歩行距離14.3km、18,608km。上った階数67階。頑張ったな〜。まさかこれほど歩くことになるは思わなかった。古道が期待以上だったからだ。車ではなく、歩いて上ることが断然お奨め。 |
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▼後日記−歴史遺産にしてはチャラくなった |
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‘19.10.5(土)晴 天津に向け出発。ところが、高鉄は空席無し。趙公口からのバスにした。事前調査では20分間隔で発車あり。 ところが、チケット販売の窓口で天津行は『没有!』と言われ敢え無く断念。 |
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時は既に9:00。困った。思案の末、京西古道へ目的地変更。雨上がりで、良い天気になった。 入場料は中途半端な27元で変わっていない。さあ行こう! 歴史遺産にしてはチャラくなった。しかし、古道を目にすると、千年前の山西商人に思いが馳せる。 |
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でも、これは戴けない。が、写真写りは良いなぁ。 凸凹、ツルツルの岩に蹄を落として行った跡がクッキリした所や頂上の牛角嶺関城は変わっていない。そりゃそうか。 ここでもドローンを飛ばす人民がいた。時代は変わった。 |
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帰り道、612路のバスを北京四中で下車し、西城区の護国寺街を散策。 |
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人民劇場。京劇をやっている。 |
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護国寺街には食べ物屋がズラリと並ぶ。 |
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東端が梅蘭芳の住んでいた家。 |
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専属料理人が痛そうだが、どんな料理を作っていたのか? |
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そのまま什刹海へ。 |
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10/1は休んでいた店も営業再開。 |
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国の内外を問わず、観光客がじゃんじゃんお金を落としていた。 |
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この連休、何度目の鼓楼? |
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一旦帰り、改めて夕食へ。 向かった先は、朝陽区曙光西路の東北料理、北方又一村。 店のドアを開けると、正面の壁に楽しい画が書いてあった。 |
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メニューは壁に写真付で貼ってある。分かり易いが、どんどん客が来るのでゆっくり選べないのが難点。 本日の歩行距離16.0km、26,129歩。上った階数52階。千年古道と言えども、現代では2年経つと変わってしまうか。 |