トコトコ中国バスの旅 |
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▼北京一卡通編 #40
【旅日記】
2017.12.2(土) 歴史を感じる霊水挙人村
今週は内蒙古・呼和浩特へ出張した。10年振りだった。記憶も薄れているが、それ以上に発展が凄まじく初めて訪れた場所のように感じた。朝の気温は-13℃。寒い。北京から西北西へ500kmも離れていないが、気温は10℃も違う。空から、湖が氷りついていることが分かった。「次は夏に来て下さい」と言われたが、全くその通りだと思う。緑の大草原に行ってみたい。 |
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6:35 慌てて出発。本日の目的地は門頭溝区の霊水挙人村。修理で元に戻った靴を履きながら、「コーヒーを飲んでいないが時間が無いので仕方ない」と思った。随分経ってから思い出したが、コーヒーは淹れた。しかし、コーヒーメーカーのスイッチを切っていない!案の定、帰った時には水分は全部蒸発し、良い残り香が充満していた。 慌てたのは、612路の始発が6:45頃東直門内に来るため。霊水挙人村は遠いので、どうしても始発に乗りたかったが準備に手間取り、気が付いたら6:30を過ぎていた。夜のうちに準備しておかなかったことを反省。 夜明け前の街を走って東直門内のバス停に向かった。危ないかな〜と思っていたら、バスに追い抜かれた。そこから50mダッシュ。今日の運転手は良い人で、私は乗るまで待っていてくれた。感謝! 7:18 展覧路で快速公路4線に乗り換え。ちょうど本日の日の出時間。バスは直ぐに来た。順調。 |
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8:10 候庄子で892路に乗り換え。何度も乗っているので安心。ここでも5分ほど待っただけでバスが来た。 ライバルが多いことは予想していたので、バスが停まる前に道路に降りて準備。3番目に乗り込み、一番後ろの窓側席をゲット。ノロノロしていると、この通り席が無くなってしまう。 |
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9:48 東胡林で下車。地図アプリの指示通り降りたのは良いが、標識がないのでどっちに行けば良いのか分からない。 こんな時にNAVIは有り難い。早速チェック。すると、バスが来た道を1.4km戻り、左折するルートを示した。「そんなに戻ったら一つ手前のバス停に着くんじゃないか?」と思いながらも、他に道は無いので指示に従った。 |
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10:04 あと100mまで来た。標識が出て来たが、ここには出ていない。しかし、標識の向こうに軍响のバス停が見えた!クッソ〜、またも地図アプリにやられた! 最終的に分かったことだが、更に一つ手前の桑峪口で下車することがベスト。 |
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NAVIに従い左折。その直後、およよ!ここ行けるの? 辛うじて端っこが通れたので直進。 |
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おやっ?行き止まり? いやいや、となりのトトロの影の下の隙間を通れた。 この辺りでも随分歴史を感じる家が多い。 |
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少し広い通り出た。しかし、この先も工事が続き、NAVI通りに行けたのが奇跡に思えた。軍响村、恐るべし。 |
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村を抜けると何も無くなった。あと3.5kmぐらいの筈だが、、、 前方のカーブで、軍响村から桑峪村になった。 |
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立派な舗装の県道に出た。今度はこの道を進めとの指示。 前方に「検査場」の紅い旗が見える。昨日ビザ更新が終わり、今日はパスポート持っているので堂々と進んだ。が、ノーチェックだった。ヨボヨボのお爺さんが椅子に座っていたが、何をチェックするのだろう? |
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その先にはサンデー毎日の方々が大勢。お元気で! |
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やっと看板を発見。先を急ごう。 |
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あと3km。緩やかな登りが続いた。 |
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一カ所、大きな石が敷き詰められ舗装していない部分があった。長さ5mほど。歴史的なものかと、看板を探したが見つからない。 帰路、丁度ここで車が来た。霊水村方向から坂を下って来る車は、どれもこの手前でスピードを落とす。通り越した先に左カーブがあるのでスピードブレーカーと言う訳か。少し雪が残っている所やもう融雪塩が撒いてあったが、山影なので真冬に雪が降るとカチカチに氷るのだろう。それにしても、スピードブレーカーがあることは看板で知らせないと危ないでしょう。 |
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10:53 漸く着いた。しかし、ここは售票処。ここから村の様子は見えない。良く考えて作ってある。 |
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見張りのお婆さん。声は大きい。 |
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門票20元。いざ「中国歴史文化名村−霊水村景区」へ。 |
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噴水で自然作った氷の芸術。沢山の鳥が彫られているようで、素晴らしかった! |
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歴史を感じる家々が見え始めた。 |
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村の名は「霊水」。そこに「挙人」と付けているのは、明清時代に挙人や進士を世に送り出したからだそうだ。 村の中を一回りしてから、村の入り口でこの看板を発見。北京市の観光地はこのタイプで統一されている。この看板には、重点お奨めスポットが書いてある。今日は行き当たりばったりで、行き止まりでUターンや同じ所に出たり、この看板を見てから戻ったり、お奨めに行けなかったりした。先ずはこれを探し、お奨めスポットを確認してルートを決めて歩くことが必要だ。 |
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村の入り口。クルマならここまで来れる。時期的なものかも知れないが、近くの川底下村のような賑わいは無い。 |
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紹介サイトに必ず出て来る村のシンボル。 |
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往時はこんな行列が行きかったのか。 |
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実に良い表情。面白い。 |
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さすが挙人村。 |
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子供が可愛い。 |
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さあ、村を散策。 この村には、四合院が162棟、約1,100室、原型保存率80%で残っている。 |
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原型を保存しつつ宿を営む。そんな所が数多くあったが、泊まる人がいるのだろうか? |
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高台に有った霊芝柏と小学校跡。 |
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どっしり座っていた。 |
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「知識改革運命」などが、壁にデカデカ書かれた旧小学校の校舎。 |
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黒板を見ると、今も勉強に来る人は少なくない様だった。 |
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小学校からは見晴らしが良い。でも、毎日通うのは大変だっただろう。 左の山の斜面にオレンジと白の大きな残骸が散らばっているのが見える。飛行機かヘリコプターかも?と思って近づいたら、家庭ごみの投機だった。いかんね。 この辺り、ゴミの埋め立て場になっていた。近い将来、健康問題で騒ぎが起きるのではないだろうか。 |
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ゴミの投機は、こんなモノも。原型保存率80%も徐々に下がっているのでは? |
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風水の良い所。村の形が亀ににているそうだが、それは分からなかった。 |
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今も生活が営まれている。 |
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山の上に建つ文昌閣と魁星楼。下から見上げていた時には登るつもりは無かったが、、、 |
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勉学の神様「魁星」。昔も今も願い人が多い。 |
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魁星楼の前には沢山のお札。 |
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皆さん成就するといいね。 |
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文昌閣の神様は、右手に筆を持っていた。 そう言えば、本屋や文房具屋に「文昌堂」って店名が多くあるな。 |
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ここも石がふんだんにあるので人家の橋も石造り。その上に石積みの壁まで作ったら相当重い筈。それを支えているのだから立派。 |
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犬が寝ているのかと思ったら、羊が絞められていた。 |
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早速調理に回っていた。可哀想だが、新鮮で美味しそうだった。 |
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血が滴っていた。その血は寒さで凍っていた。 |
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行き止まりに有った人民政府。屋根に大きな穴が2つ開いていたが、使っていないのか? 国旗の下の壁に「霊水村客運站」の看板。バスが来る?いやいや、それは無いでしょう。でも、以前はここまで来ていたのだろう。それが無くなったのは、自力で移動できるようになったから? |
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子供が出て来た。ここの子だろう。この家を守って行くのだろうか? |
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良く作ったね。 |
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この村には井戸が多く、水に困らないことが良かったのだろう。 |
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南海火龍廟。綺麗なお寺。1230年建立。凄いな〜。 |
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赤龍神。水とバランスを取っている。 |
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南海火龍廟の隣に並んだ天仙圣母廟。 |
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壁画が立派。と思ったら、壁紙だったのでガッカリ。でも、造りは素晴らしい。 |
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圣母三姉妹。ご利益は、商売、旅行、結婚、美容、病気、、、多岐に亘る。 |
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劉増広旧家。清光緒二十一年(1895年)、科挙試験で“甲午”を獲得。 この家は、七七事変で国民党に接収され師長の宿舎にされたこともあった。今は食堂を営んでいる。 |
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ちょっと覗いてみた。 |
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こじんまりとした四合院。テーブルの上にメニューらしきものが置いてあった。どうやら、この寒空でも外で食べる様だ。 |
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足元が良く整えられていることに感心した。 |
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劉懋恒旧家。1600年代の挙人。 残念ながら、修復中で中には入れなかった。 |
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12:50 沢山見て回った。さあ、気合を入れ直して帰ろう。 村の入り口に羊満載のトラックが停まっていた。売りに来たのか? |
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エビのような雲を見上げ、足早に進んだ。 |
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13:26 桑峪村へ戻って来た。あれは朝の人達か? 行きは気付かなかったが、この村も風格がある。 その後、県道を真っ直ぐ進むか、朝来た道を戻って軍响村を通過するか迷い一番近いバス停を地図アプリで探した。結果、県道の先にバス停を見つけられず軍响へ向かうことにした。 |
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今度はNAVIに頼らず、勘に頼って進んだ道がバス停まで最短コースだった。嬉しいやら、悲しいやら。 |
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13:46 長く待つ覚悟もしていたが、ここでも5分ほど待っただけで来た。今日はバス運が良い。 近付いて来たところで、立っている人が見えた。もしかしたら満員?心配したが、立っていたのは降りる準備をしていた人で、バスはガラガラ。2席ゆったり使えた。 さて、桑峪村の県道。国道に接続してからバス停までの距離は?注意していたら、国道へ接続した所が桑峪口バス停だった。そして、ここには「霊水村4km」の標識があった!クッソ〜、もっと良く調べて行くべきだった。 15:20 候庄子で下車。後ろから走って来た快速公路4線支に乗り換えた。乗ってから、亮馬橋への行き方を探すと、阜永路口西で下車し701路に乗り換えると一本で行けることが分かった。 |
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阜永路口西は高架に停留所がある。階段を下っていたら、目の前を701路が走り去った。バス運の良い日だったが、ここでは暫く待たなければいけないようだ。それでも15分ほどで来た。ドアが壊れて開かないオンボロバスだったが、座れたので良しとしよう。あとは早く着いてくれれば良い。 乗った時に、運転席の横に液体が入ったポリ容器が2つ置いてあり変だと思った。暫くして、それを持って運転手が走り出した。冷却水が漏れているようだ。それが2回。適量を用意しているとは、、、早く修理しろよ!ドアも。 市内を西から東に横切ったので時間が掛かった。亮馬橋で下車した時にはすっかり暗くなっていた。 本日の歩行距離15.7km、20,768歩。上った階数48回。出発前はどんな旅になるのか心配だったが、出掛けてみると意外とスムーズ。寒いからと言って尻込みせずに続けようと、改めて誓った。 |