トコトコ中国バスの旅 |
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▼北京一卡通編 #51
【旅日記】
2018.3.3(土) 京西第一紅村−馬欄村
昨夜、上海から帰って来た。昨日は小正月・元宵節。日本では小豆粥を食べるが、もち米で作った団子を食べる。昨夜のフライトは1時間遅れたが、ビジネスクラスにアップグレードしてくれたので広い席で団子も食べることができ満足、満足。加えて、満月に照らされた地上から上がる無数の花火を見ながら飲む冷えたハイネケン
ビールはとても美味しかった。 6:30 昨夜の帰宅が22:00。残務整理をしていたら日付が変わってしまった。早起きは少々辛い。「近場にするか」との悪魔の囁きを振り切り、計画通り門頭溝区の馬欄村へ向けて出発。東直門内から612路の始発に乗車。展覧路で快速公交4線に乗り換え。待ち時間ゼロで直ぐに612路を追い抜いた。しかし、このバス、電光掲示板の本日の日付が『2058年3月3日』になっていた。40年後はどんな世界になっているだろうか? |
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候庄子で892路に乗り換え。10分ほど待っただけなので順調。予定通り左の窓側席も確保できた。 9:42 斎堂へ到着。すかさず白タクの客引きが始まった。「川底下村へ行くのか?」と声を掛けて来る。ここからは歩くと決めて来たので全く相手にしなかったが、川底下村へ行くなら乗った方が良いと思う。相場は20元。しかし、帰りにもっと良い方法が見つかった。それは後ほど。 |
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斎堂西口交差点。馬欄村へはココを左折。川底下村は直進。いや〜遠かった。 |
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さあ、馬欄村へ行こう。 |
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大きな広場で朝市。 |
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この店は、どう見てもガラクタばかり。商品を並べるのに相当労力を使いそうだが、これで商売になるのか? |
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直ぐに村の看板が出て来た。先ずは道があっており安心。 |
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春節を過ぎ、季節は早足で春に向かっていると感じる。流れの少ない川は未だ氷りついているが、分厚いダウンのコートからダウンジャケットに変えて来て正解だった。 |
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川を渡った所にこの標識。事前調査では、斎堂西口から徒歩5.4kmだったのだが、、、 |
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標識を越えると、直ぐに緩やかな登りになった。2km過ぎから上りがキツクなり、 |
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村の紹介があった3km過ぎからは九十九折になった。 村名の横に、小さく「京西第一紅村」と彫られている。山の中のこの村にも戦争の凄惨な歴史があった。 |
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ヘアピンの連続で、バイクなら楽しそう。クルマでも苦にならないが、無駄に距離が長く歩くには辛い。 |
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幾つ目かのヘアピンの頂点に抜け道らしき道があった。試しに進んでみたら、予想通り抜け道だった。ラッキー! |
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石造りの民家が見えて来た。 |
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10:59 馬欄村の中心広場に到着。ここはゆっくり時間が流れているようだ。 |
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台座に、毛沢東主席からの「光栄記念証」なるものが埋め込まれていた。 |
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冀熱察挺進軍の弾薬庫址。中心広場からほんの少し西。残念ながら中には入れず。 |
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弾薬庫の隣に病院。 |
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沢山標識があり親切な町だが、今一つ分かり難い。 例えば、左側の上2つのサインは右へ進めとなっているが、地元の人に道を聞くと逆を教えてくれた。確かに逆の方が近い上に高低差が少なく楽な道だった。 左側の3つ目のサインは「古石橋」。右向きの矢印に従い、ここに来たら急に矢印が左向きに変わった。通り過ぎたらしい。しかし、それらしいモノは見当たらなかったのだが? |
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戻ってみた。案内板が無かったので100%の確証はないが、病院の先にあった小さな橋のことらしい。 小さいが見事な橋。でも、サインが出いると大きなものを想像するのが一般的では? |
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広場のジジババが住んでいるのかも。 |
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文革の名残か。 |
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冀熱察挺進軍兵士の宿舎。ここも入れず。 |
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冀熱察挺進軍司令部址。ここも入れず。もしかすると、どこにも入れないかも。そんな不安が過った。 |
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冀熱察挺進軍司令部の指揮所。良かった。ここには入れる。 北京市初の農民出資の陳列館。1997年7月7日開館。 |
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綺麗に整えられている。 |
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第一展示室。中に入るとスピーカーから説明が流れてくる。突然のことで、とてもビックリした。 |
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毛沢東主席と周恩来総理。二人と野戦電話は関係ない模様。 |
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暖かいベッドなど、意外と快適だったように思える。 |
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接収した日本刀の展示も。 |
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第二展示室裏に防空壕。 |
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「暗い、狭い、恐ろしい」の3拍子揃っているので中には入らず。 |
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眺めが良い。 |
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別の入り口には「北京市青少年教育基地」の看板も。 |
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あちこちにサインが出ていた「郷情村史陳列室」は入れなかった。ハハハ。 |
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倒壊した住宅も有ったが、多くは見事な姿で残っており一見の価値あり。 |
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強烈なレリーフもあるが。 |
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八路軍紅軍衣を着て記念撮影が出来る!10元。しかし、門に鍵が掛かっていた。 |
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村民委員会。バックの山にデカデカと『马★栏』。すっげー。 |
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11:54 最後に展望台に上がってみた。観光化されているようで全くされていない。面白い村だった。何せ、食料を売っている店を全く目にしなかったのだから。 |
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さあ、帰ろう。と、斎堂方面を見ると、左の山の中腹に不自然な状態の岩の様なものが見えた。 |
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近くに行き、さらにズームインしてみると、やっぱり岩だった。しかも、落ちないようにコンクリートで固めてある様だ。 説明書きを探したが見当たらなかった。一体何だろう? |
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丁度岩の下、道路脇のゴミ箱の前に保環観察マークの付いた事故車が放置されていた。ナンバープレートは取り外され、放置されて久しい様子。粗大ゴミに出したものか? |
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帰路は九十九折を進むことにしたが、やはり無駄に歩く距離が長い。ショートカットの道を探すと、やはりあった。しかし、尖った石だらけで滑り易い山道で恐ろしかった。昔の人はこんな所を生活道路にしていたのか? |
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斎堂に戻って来た。提灯に花火。昨夜はここも賑わったのだろう。 |
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13:05 斎堂バス停へ到着。タッチの差でバスが出発してしまった。残念。25分待って次のバスで帰路に着いた。 バスを待つ間に近くを散策。反対側のバス停で、川底下村へ行くバスの出発時刻を確認。始発は一つ前。そこを9:20に出発するバスがある。今朝このバス停に着いたのが、9:42。もう20分早く着いていれば乗れる。最初に乗った612路は始発なので、いつも使っている今日のルートでは間に合わない。しかし、それくらいの時間ならバスでも地下鉄でも短縮出来る。今度トライしてみよう。 |
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氷りついた山影の滝が流れを取り戻すのも、もう直ぐだ。ゴルフシーズンも開幕だが、今年も土日は忙しく中々行けそうにない。 本日の歩行距離19.6km、27,184歩。上った階数27階。今日は良く歩いた。最後に、いつもの様にラーメン荘へ行った。今日は貯まったポイントで二郎ラーメンを無料で食べた。美味しかった〜。 |