トコトコ中国バスの旅

 

Update : 2017.7.17

 

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▼北京一卡通編 #21

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【旅日記】

2017..15(土)  清西陵とラストエンペラー

今週は広東省湛江へ出張。金曜19:55に北京へ戻る予定が、飛行機が着陸したのは土曜朝4:20。おまけにターミナルの準備が出来ておらず、30分も飛行機の中で待機。アパートに着いたのは5:45。今回は石橋さんを誘い、7:00に天橋汽車站集合の約束をしていたので急いでシャワーを浴びて出発した。

6:12 東直門内から106路で北緯路に向かう。飛行機が遅れたのは天候の原因。北京よりも途中が悪かったようだが北京も雨。回復する見込みだが、少々心配。今回は傘を持参。

 

目的地は河北省保定市易県の世界遺産、清西陵。そして、ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の墓。西太后の眠る清東陵には以前行ったことがある。素晴らしい所だった。清西陵にも行ってみたかったが、一卡通だけでは辿り着かないようなので頓挫していた。

6:59 天橋汽車站で石橋さんと合流し917快に乗車。恐ろしいほど計画通り。

因みに十渡風景名勝区へ向かう917路もこのバス停から出発する。但し、十渡の山を登り始める手前の張坊汽車站で降ろされるかも。その場合は、降りたところで十渡行きのローカルバスを待つこと。

917快は小雨の中を順調に西へ向かった。大量の石経が発見され、北京の敦煌とも呼ばれている雲居寺が近付くと道路の両側には石屋がズラリと並ぶ。そして、あっちでもこっちでも毛沢東が手を振り迎えてくれる。

この路線は北京市から河北省へと省を跨いで走る。乗車時、下車時は普通に一卡通をリーダーに当てるが、河北省の区間は別に現金精算が必要だった。5元。これは初めて出会ったシステムで、車掌の説明を聞いて漸く理解できた。早くもここで掟破りだ。

淶水汽車站が近付いて来た。さあ、清西陵へ行くバスは有るのだろうか?緊張が高まる。

9:31 シンプルな名前の汽車站で下車。降りた途端に白タクがハイエナの如く集まって来た。しかし、ここの白タクは観光客狙いではなく、次の足として普通に使われていた。

清西陵へ行く路線バスを探すため淶水汽車站へ向かって歩き始めたら、マイクロバスから声を掛けられた。清西陵へ行くとのことだったので迷わず乗った。暫くして坊主頭のオヤジが集金に来た。12元と言う。出発して直ぐ、清西陵27kmの看板があった。ちょっと高くないか?

途中、ガソリンスタンドで給油。この間に石橋さんはトイレに行き酷い目にあったらしい。ご愁傷様。私はラストエンペラーの墓へのルートを確認。すると、160m先の三叉路を右折するのが最短コースであることが分かった。ここで止まってくれて良かった〜。

 

10:39 下車。良かった、無事着いた。ここは梁格庄鎮。

ここからは徒歩。ラストエンペラーの墓まで4km。ここまで、あちこちで冠水していた。この先もしかり。水溜りに入ったり、車に水を掛けられないように、右に左に道幅をいっぱいに使い歩く位置を変えながら慎重に進んだ。時間が掛かる上にしんどかった。

10:54 永福寺を通過。チラッと見て先を急ぐ。

11:18 崇陵へ到着。ここは西太后に擁立され3歳で即位した清の第11代皇帝・光緒帝(在位1875年〜1908年)の陵墓。死因は急性胃腸性砒素中毒の毒殺。犯人は、西太后、袁世凱、李蓮英、侍医など諸説あるそうだ。

全陵(泰陵、慕陵、崇陵、昌陵、永福寺)へ入場できる通し券は120元。それほど行く時間は無いので崇陵だけの入場券にした。45元。

 

通し券を買うと全陵を回るシャトルバスに乗れる。しかし、運行時間は分からなかった。

崇陵は右上のグリーンエリア。全陵の中で最も高い所に位置している。

 

清西陵で主に紹介される泰陵の三架石碑坊は中央のグリーンエリア。

崇陵の見取り図。大きな所だった。十三陵を思い出した。

さあ、参観開始。

牌楼門。木石造りの五門六柱五楼の碑坊。

神道碑亭。楼内に光緒帝の石碑がある。碑面に、満・漢・モンゴルの3つの文字で光緒帝の廟号・徽号・諡号が刻まれている。

三路三孔橋。横に連結した素晴らしい橋。

欄干には龍などの彫り物。これも素晴らしかった。

隆恩門。宮殿エリアの玄関。東から西へ「君・神・臣」の3つの門がある。

ここも彫り物が凄い。工事中なのが残念。

明楼。下は方城と言う方形の城壁、後ろは宝頂と言う半円形土盛。宝頂の下は光緒帝の眠っている地宮が建てられている。

 

入った瞬間に温度が変わった。たくさん汗を掻いており、濡れたTシャツが冷たい!

1938年に盗掘に遭い開いた穴。

分厚い石の扉が2枚。重厚な造り。

手前が光緒帝の棺。奥は孝定景皇后の棺。

帰りに寄ったトイレに飾ってあった写真。全景が見える場所があるのか???

12:26 ラストエンペラーの墓がある華龍皇家陵園へ到着。

 

宣統帝溥儀の陵墓も清西陵に造営される予定だったが、辛亥革命により工事が停止し、完成することはなかった。1995年、西陵に隣接する民間墓地「華龍皇家陵園」の経営者が、墓地の知名度を上げる目的で、溥儀の最後の夫人李淑賢に墓の造営を提案し、同意した李淑賢によってここに溥儀の墓が造られた。

目的が目的だけに?参観無料。

立派な入口を入って行こうとしたら、「どこへ行く?」と守衛に呼び止められた。話をすると、12:00から昼休みで14:00再開すると言う。ここで1.5時間は待てないので入場は諦めた。

 

守衛に、何人だ?今日はどこから来た?など、暇潰しに色々聞かれた。こちらも、あっちへ行くと何がある?パンフレットを見せ、この写真はどこだ?など応酬。最後に、泰陵へはどうやって行けば良いのか聞いたら、自信を持って教えてくれた。距離を聞くと「分かれ道から2km」と教えてくれた。2kmなら歩いて行ける。これで次の目的地が決まった。

分かれ道から本当に2kmなのかNAVIで確認することにして行ってみると、確認する前に標識が出て来た。7kmの。オヤジ、どんな距離感や!7km歩くのは辛いのでバスを降りた所まで歩いて戻り、そこからバスに乗ることにした。

 

商店街でガソリン補給。3元。

梁格庄鎮の国道沿いのバス停風の場所でベンチに座っていたら、5分も待たずにバスが来た。「泰陵」と言うと「乗れ」と答えが返って来たので乗り込んだ。走り出した所でオバちゃんが集金に来た。改めて「泰陵」と言うと「10元」と返って来た。泰陵まで7km10元は高過ぎる。高過ぎると言ったが、指を十字にして10元と言い張るので、バスを止めさせ降りた。もちろん無料だ。

 

少し歩きバスが停まれそうなところで待った。10分ほど待っただろうか、次に来たバスに乗った。このバスはワンマンで、降りる時に清算。泰陵の前で止まり、行き方まで説明してくれ4元。やっぱりズルしようとしていたんだ。

行き方は教えて貰わなくても絶対迷わない所だったが、それは気持ち。

見えて来た。きっとあれが三架石碑坊だろう。しかし、手前に柵が見える。柵から向こうに入るにはチケットが要ると言うことか?

やっぱり!向こう側に售票処があったら入場者が減るだろうから仕方ない。

 

全体は見ていないが、ここまで来たことで満足。国道まで戻り、淶水行きのバスを待った。最初に来たバスに「淶水」と声を掛けると「早く乗れ」と返って来た。このバスでは、暫く走ってからオヤジが集金に来た。13元。総合すると、朝乗った12元のバスが一番良心的だったようだ。あのバス、そのまま乗っていたら、きっと泰陵前で到着の合図を出してくれたと思う。

15:30 淶水汽車站から917快で天橋汽車站へ向かった。朝2時間半掛かったので18:00頃が到着の目安。朝の毛沢東に見送られ、盧溝橋を横目に、途中多少渋滞があったが17:50に無事到着。

天橋からは、35路で天壇北門から祈年殿を遠目に見て双井橋南で特8路に乗り継ぎ亮馬橋で下車。野菜マシマシの二郎ラーメンで昼抜きの腹を満腹にし、最後は416路で帰路に着いた。石橋さんは三里屯を越えた幸福三村で下車。お疲れ様でした。もう一本、気を付けて帰って。

 

ずっと引っ掛かっていた清西陵に行くことができて良かった。しかし、昨日の疲れからか、何度もシャッターチャンスを逃した。本日の歩行距離16.1km24,731歩。上った階数4階。



 

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