トコトコ中国バスの旅 |
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▼三江
− トン族の文化と生活を訪ねて [2008.6.27(金)、28(土)、29(日)、30(月)]
【旅日記】
2008.6.27(金) 広州から桂林へ (の筈だったが、、、)
朝8:30、出張先の濰坊から青島経由で広州へ戻り、身支度をしての出発。青島までの中国新幹線は極めて快調。しかし、最近の例に洩れず青島で飛行機が2.5時間遅れ、18:00に着いた広州空港から直行した会議も45分遅れて終了。慌しいスタートになった。 21:55、家を出発。キャッシュが無いのでATMに立ち寄り、今回のパートナーのスーさん宅を訪ね、省バスターミナルに着いた時には既に22:25。チケット売り場に行くと、心配が的中。「今天没有了」とのつれない返事。市バスターミナルに向ったその時、背後から「去那里?」と白いTシャツの若い兄ちゃんが声、来た来た! 「桂林」と答えると、「ここにはもう無い。外には有る」と来た。この兄ちゃん。我々の足元を見て「200元」のオファー。150と返し、最終的に170元/人で決着。出発できる事が決まり杉浦さんの顔に安堵の笑顔が見えた。しかし、、、ほんの数分後には緊張の面持ちに戻っていた。 |
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彼は客引き専門で、バスに連れて行くのは別の兄ちゃんだった。着いて行くとタクシーに乗せられ、向った先は芳村。先ずここでタクシー代20元を騙し取られた。 「あれに乗れ」と乗れと言われたバスは桂林行きではなかった!「今日はもう無い」「待ってろ」の会話が暫く続き、漸く我々を乗せてくれるバス(←)が現れた。ヤレヤレ。 ベッドを見つけ滑り込んだ所にオヤジが集金に来た。タクシー代天引きどころか、180元じゃないと乗せないと言う。腹が立ったがクタクタで面倒臭く、財布に無かった10元をスーさんから借り、360元払った。すると、100元一枚が偽札だから交換しろと言う。良くある手口だ。 |
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「毛澤東の人民服の襟にザラザラが無い。触ってみろ」と言う。襟どころか、紙に触れた瞬間に分かる質の悪い偽物だった。交換は断固拒否!強い口調で「俺のじゃねー」と言うと、スゴスゴと引っ込んで行った。偽札との戦いはそういうものである。しかし、本当は自分の財布から出したものだったかも。しかし、その根元は中国銀行のATMだからね。 長い長い一日だった。全身にゴツゴツしたショックが伝わって来るが、直ぐに深い眠りについていた。 寝台バス初体験のスーさん、少し緊張の面持ちだったが私と競う様に眠りについていた。 |
2008.6.28(土) 平南から桂林を経由して三江へ
6:00、とんでもない悪路に全身を強打しながら着いたここ平南で、「あのバスに乗れ!」と言われ、小雨の中で乗り換え。桂林に着いてもおかしくない時間だったのでガッカリしたが、このパターンは慣れっこで特別な驚きは無し。中国バスの凄いところはココ。予想しない所で乗り換え指示が出るが、その指示に従えばちゃんと目的地に着ける。勿論この場合は追加料金不要。これが最低限のルールです。 平南なんて聞いた事が無い。いったい何処だろう?地図で探すと、国道321号から随分南に外れた所。未だ半分しか走っていない。これじゃあ到着は昼過ぎ間違いなし。 バスに乗ったのはターミナルの外。その後ターミナルに入り、出発の6:20を待った。この辺りがいかにも中国的で素晴らしい。 |
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出発すると直ぐに農耕地の風景が現れ、これが延々と続いた。最初のバスよりも乗り心地が良い。車内も、毛布も清潔。寝台バスに乗っても日中は余り居眠りをしないが、このバスでは寝てばかりだった。余程くたびれていたか。 空がスッキリしない。雨が降ったり止んだり。今回は傘を持って来たが、使わないで済む事を祈る。 |
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水量が多い。6/初の大雨で広西チワン族自治区でも洪水が発生し大変だったと聞いていたが、この辺りもそうだったのかな? |
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道端の肉屋です。車やオートバイが直ぐ前をブンブン走っています。この肉には当りたくないなー。 |
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雑貨販売、バイク修理、何でもやってる便利なお店でした。 屋根のタイヤの意味は? |
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崖崩れ。これは序の口。直径1m級の岩が崩れ落ち車線を半分以上塞いでいた所が何十ヶ所もあった。 崩れていても通すところが凄い!ここは迂回路が作ってあった。 |
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カルストの山が見えて来た。やっと桂林が近付いて来た。 道路脇の樹が邪魔になり中々写真が撮れない。やっと撮れたこの山は全体が墓地だった。 スーさん、この頃には完全に順応されていました。 居眠りをしている間に陽朔の街を通過していた。少々残念。 |
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12:50、漸く桂林バスターミナルへ到着。 超A級観光地だけに客引きが凄い。それを振り切り、窓口で三江行のチケットを購入。33元/人。 |
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バスは14:30発。十分時間が有るのでゆっくり昼食。去年、牛蔵ツアーの初日に連れて行ってもらった店が直ぐ近くだったので、記憶を辿って行ってみた。 道路に面した所に座っていたカップルが食べていた“赤い”鍋がとても美味しそうだったので同じものを注文。酸辣魚頭鍋20元。 |
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この二人、何をしているのでしょうか? |
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これです! 朝食抜きの我々は非常の食が太く、鍋をつつきながら一皿目のご飯をたいらげ、お代わりした二皿目でこのおじやを作った。生卵2個をオーダーすると、一度は持って来たが目的が分からず渡して良いものか服務員は非常に迷った様子。 出来上がりは最高に美味かった!若い男の服務員に少しお裾分け。彼は爪楊枝を使い恐る恐る(嫌々?)口に入れた。自分達の作るものの方が美味しいと言っていた。あんなに美味いのになー、テイストが違うんだ。後日、広州のキノコ鍋屋で同じ事をやったが、そこの服務員は手も付けてくれなかった。 |
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バスターミナルに戻り、桂林らしい待合室で出発を待つ。 目的地の三江は、去年行った龍勝から更に65km山奥へ行ったところ。 |
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時間になっても切符切りの服務員がゲートに現れず、暑さで皆殺気立つ。 ズルイ夫婦は隣のゲートが開いた一瞬の隙にバスに乗り込んでいた。流石だ。 |
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ほぼ時間通りに桂林を出発。 このバス、狭いが冷房もクッションも快適。 このバスは昼飯を食べに行く時に丁度バスターミナルに到着した所だった。時間通り三江を出発していたとすると、我々の到着は3時間半後の18:20頃か。残念ながら程陽橋観光は難しそう。 |
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去年龍勝に行った時は殆ど田植え前だったが、一ヶ月遅い今年は一面緑が広がっていて気持ち良かった。 山岳地帯に入った所でトン族の住宅が現れ始めた。 |
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空も水も美しい。 この辺りで広州行きのバスとすれ違った。三江から直通便の有る事が分った。 |
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国道321号に沿った濤江。吊り橋が多数、現役で活躍。コンクリートの橋が出来ると生活が変わるだろう。 |
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18:15、ほぼ予想通り三江河東バスターミナルへ到着。 広州よりも随分西のため、考えていたより太陽の位置が高い。上手くすると程陽橋に行けるかも知れない。このバスターミナルは既に門が閉じられており、同じ可能性は高いが、ダメでも明日の準備のため、バスの出る三江河西バスターミナルに向った。 三江県の程陽風雨橋と馬胖鼓楼が今回の旅の目的地。ここから先は「お世辞にも交通の便が良いとは言えない」との地球の歩き方のコメントがピッタリだった。 |
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バスターミナルを出ると、正面に。鼓楼の頭が見える。気持ちが高まって来た。 河西バスターミナルに行くため鼓楼に向って歩いて行くと、程陽橋の看板が登場。更にムードが高まる。 山奥のこの街では、軽1BOXが生活の足になっていた。 |
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広西チワン族自治区の食堂は、地元の离江啤酒の提供する“小姐がジョッキを突き出した”この看板ばかり。面白みは無いが圧倒的な支配力を感じた。我々が飲んだ10数本のビールも全てこのブランドだった。 看板は横長バージョンも有り、これも同じ様に多い。 |
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三江鼓楼。濤江に架かる橋の上より。 立派な鼓楼だが、歴史は浅い。バイブル地球の歩き方に書いてない所を見ると、’04年以降に出来たものか?(この地球の歩き方は古過ぎ!) |
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橋を渡り西地区に入ると直ぐに程陽橋の看板が現れた。程陽橋まで18km。 まだ日は高い。行けるかも。しかし、バスターミナルは既に閉まっていた。 バスターミナル前で通過のバスを狙う。しかし、通過するのはどれも反対行き。バスのFrウインドシールドに「程陽橋」と書いてあったので指を差したら、車掌と思しきオバちゃんが手を振りながら目の前を駆け抜けて行った。スーさんに「知ってる人?」と聞かれたが、勿論知らない。 |
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バスターミナル前には軽1BOXの白タクが列を成していた。その白タクに声を掛けられた。程陽橋まで、2人で40元と言う。冗談じゃない!程陽橋は諦め街の中を散策する事にした。 子供たちはビリヤードに興じ、オヤジたちは上半身裸や腹を出し井戸端会議をする見慣れた光景がここにも有った。 |
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ビリヤード風景を撮ったら、「私達も」とアピールされた。素朴で可愛らしい。 |
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街角では小さな市が出来ていた。 反対側には同じ様なスタイルで肉屋が出ていた、、、ここも遠慮。 |
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橋を戻り、三江鼓楼を目指した。 日本なら温泉町の雰囲気だが、、、 |
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川沿いからは行き事が出来ず、グルっと大回りをして三江鼓楼に到着。 門の手前には民族広場と称する大きな広場があり、遊具の準備が進んでいた。 |
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門には立派な看板が設えてあった。 |
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トン族の人達は、町を作る時に先ず作るのが鼓楼。鼓楼は人々が集う大切な場所。 でもここは明らかに観光色が強い。 |
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トン族の伝統的建築様式の鼓楼は大変美しい。 釘は1本も使われていない。 |
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地球の歩き方によると、河西に鼓楼があるらしい。西バスターミナルの横を道なりに行った所だ。折角なので、もう一度橋を渡り行ってみた。 西バスターミナルの横はかなり急な坂道。しんどい思いをして登ったが、それらしいものは一向に現れない。 更に道なりに進むと、大きなホテルの正面にこの鼓楼が現れた!三江鼓楼に比べると小さいが、「本物」の風格があった。手前の広場も、憩いの場の表現がピッタリ! 明日出発し易い様に宿は河西を選択。夕食も河西で、と思ったが良い所が無く、また橋を渡り河東でローカル料理が食べられそうな店を選択。山盛りのタニシなど、露天で食べた料理は絶品だった!42元/2人。 |
2008.6.29(日) 程陽橋、馬胖鼓楼を観光し桂林経由で帰路に着く
朝、宿の部屋から外を見ると、河の向こうに三江鼓楼が良く見えた。 6:50、荷物をまとめ出発。 |
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昨夜、夕食の後に選んだ宿がこの民族招待所。部屋の空きを確認すると、空き有り。熱い湯の出るシャワーにトイレ付き。35元。1人35元かと思ったら、ツインで、1室35元だった。部屋を見せてもらったら割と普通。直ぐに決めた。支払いのためフロントに行くと、使い捨てのシャンプー、ボデーシャンプー、歯ブラシを2人分渡された。感激! しかし、夜中に蚊に悩まされた。それもその筈、窓が10cmほど開いていたのに気付いたのは何時間も苦しんだ後だった。 |
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腹が減っていたが、先ず河西バスターミナルへ向った。 切符売り場は、宿の受付の横を通り過ぎた所。初心者には何とも行き辛い。7:30発のチケットを買い一安心。まさかの保険5角付きで、4.5元/人。 |
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次は朝食。バスターミナル前を物色したが開いている所が少なく、その中で流行っていたこの屋台にした。 ただ、食器の洗い方を見ると、、、 |
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凄い具。朝から重過ぎないの? ボンボン入れられた鳥の足はお返しし、卵入り米粉を食べた。これも実に美味しく、5元/杯。 |
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いよいよ程陽橋だ。 このバスはかなり草臥れている。 |
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バスターミナルは定刻に出発したが、直ぐ前の通りで色々な物を積み込み、中々走り出してくれない。 この車掌のオバちゃん、昨日手を振って走り去って行ったあの人だよ! |
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漸く走り始めたバスは、どんどん山奥へ進んで行った。 |
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8:25、程陽橋へ到着。 山裾に真新しい家が有った。良く見るとペンションだ。他にも幾つも有った。ここに泊まりコテコテの民族料理を食べるのも良いなー。 |
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入村料30元/人を支払い、ゲートを潜ると早速程陽橋が現れた。 |
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素晴らしい! 『世界四大歴史名橋之一』と言うだけの事はある。・現存のこの程陽橋は1916年建造。 全長74m。14mほどの杉を渡し造られており、橋全体には100tもの重量がかかっているが、橋脚部分に楼閣を建てる事で分散させ橋を安定させている。 屋根瓦と橋脚以外は全て三江産の杉を使用。 5層の楼閣が屋根付きの廊下で結ばれており、釘は1本も使われていない。 |
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立派な看板だった。 |
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到着したばかりのこの時は誰もおらず、ゆっくり気持ち良く見る事が出来たが、1時間もすると土産売りのオバちゃんだらけになり、ゆっくり見学できる雰囲気では無くなっていた。 両側の袂にベンチが作られており、ここで休憩できる様になっている。川から冷ややかな風が吹き涼しい。農作業に疲れたり、雨が降ると、ここで休むのだろう。風雨橋は創意と工夫の結晶だ! |
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釘を1本も使わないトン族の素晴らしい建築技術。 |
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川で洗髪している人がいた。 川から田んぼに水を汲み上げるため、この辺りには水車が多い。 |
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奥の山の上に楼閣が見えた。後でそこまで行く事とになるとは、この時は全く考えていなかった。 |
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チケットを見ると他にも観光ポイントが幾つかある。村に入ってみる事にした。 |
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鶏と雛が散歩、長閑な村だ。 |
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別の風雨橋と鼓楼が見えて来た。 やっぱり鼓楼は村のシンボル。何処からでも見える 合龍橋。程陽橋の様な美しさは無いが、今も人々の生活に密着している気がする。 ここでは伝統文化が大切に育まれている事を実感する。 |
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この村ではすれ違う人が挨拶をしてくれたり、返してくれたりして、気持ち良い。 トラクターがピッタリ似合う。 |
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鼓楼は修復中だった。 募金を迫られた杉浦さんは、他の人に習い1元募金し記帳。きっと名前と金額が張り出されるのだろう。 |
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共同の井戸。ここの水は、そのまま飲める様だ。 |
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村を散策すると、更に小さな風雨橋に遭遇。 |
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そこでは親子連れが休んでいた。 カメラを向けるとちびっ子は恥ずかしがり後を向いてしまった。 |
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日本の田舎の風景に似ている。 |
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子供が土遊び。こんな普通の光景だが、広州では見たことが無い。何故だろう? |
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この風雨橋は住宅街の中。 オバちゃんの青い上着はトン族の民族衣装。 |
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お母さんたちが川で洗濯をしていた。 ここではこれが当たり前の光景。 |
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山から下りて来たおばあちゃんと孫娘、腰に下げた籠の中身は何? |
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村の中のお土産屋。自分で作ったものを売っていた。 この地区にはここ一軒なので許せる。土産屋街が出来ない事を祈る。 スーさん、ここで帽子を買われました。8元。 |
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天秤棒の笊の中は米と卵。今日一日の分かな? |
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軒下には投網が干してあった。必要な時に取りに行っているのだろう。 |
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高台の村の鼓楼。 中に入って一休み。涼しかったー。 |
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鼓楼の横に有った紹介看板。これをみたスーさん、左下の写真が撮りたいと仰る。それで山に登る事にした。 |
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家の直ぐ前まで田んぼが広がる。 |
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共同の井戸と洗濯場。最近整備されたようだ。 |
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この風景、実に清々しい。 |
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中腹から程陽橋の全景が良く見えた。 |
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スタスタ登って行かれるスーさんに全く着いて行く事が出来ず。情けない。 漸く山頂近くになったところで展望台から声が掛かった。ご心配お掛けしました。 |
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うぉー、素晴らしい!苦労した甲斐あり。 |
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サッカーで靭帯を痛めビッコを引いてるHくん、来たいと言っていたけど来なくて良かったよ。治ったらゆっくり行くと良いよ。 |
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橋ばかりじゃなく、地区全体が絶景。 |
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山を下り程陽橋に戻ると、そこはもうお土産屋と化していた。 スーさん、売り子のおばあちゃんのお母さんが着ていた服の生地をショルダーベルトに使った、100年モノのポーチを購入。20元。(写真のモノとは関係なし) |
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トン族の表演が始まる10:30が近付いて来たので高台の鼓楼に向った。 広場の舞台では既に準備が整っていた。 |
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村の子供たちと一緒に舞台にかじりついて見た。 |
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大小とりどりの笙で音楽を聞かせてくれた。 |
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おばあちゃん、イヤリングしてお洒落だね。 小姐達が急須を持って舞台から降りて来た。お茶だと思って振舞いを受けたら白酒だった!しかも、かなり癖あり。 |
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中々楽しい表演だったが、同じ様なものが続いていたので途中で席を立った。 もう一度程陽橋を通り抜け、チケット売り場の前に出てバスを待つ事にした。 白タクが一台来たが、暫く待ってもバスは来ない。二台目の白タクが来た時、近くで待っていた体の大きなオッチャンが運ちゃんに料金を尋ねたのが聞こえた。三江まで5元らしいので一緒に乗り込んだ。 |
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狭くて、お世辞にも乗り心地が良いとは言えないが、問題なし。 |
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ところが、例のオッチャンが途中で降りてしまい狼狽。でも三江の街まで数kmの所だったので5元/人渡したらOKだった。やっぱり昨日の白タクはぼったくりだ。 |
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11:55、直ぐバスターミナルへ行き、馬胖行きバスの出発時間を確認。13:00と言われ思案していると、「無い。外のタクシーで行け」と前言を撤回されてしまった。 白タクを物色すると、20台以上いても馬胖に行くと言うのはたったの1台。言い値は100元。そりゃ高いでしょ!70元に値切り、貸切で出発。融通が利いて結果的に良かった。 帰りに、八江、馬胖と白タクを乗り継ぐ方法の有る事が分かった。それが一番お得なのかな?(更に後で分かった事だが、’07-‘08年版の地球の歩き方には、この方法が書いてあった) |
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所々に風雨橋が有り、風景が楽しい。 |
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水道橋だ。 |
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これは古そうだ。築どれくらいかな? |
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12:45、馬胖到着。三江から約30km。 素晴らしい田舎! |
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対岸に目的の馬胖鼓楼を発見!一気に期待が高まった。 |
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川を渡ろうとした所で気持ち良さそうに眠る豚くん達に出くわし、一瞬足が止まった。 |
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空気が美味かった。 |
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上半身裸のお兄ちゃんが、今も鼓楼が生活に密着している事を物語ってくれていた。 |
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鼓楼前広場 ここで爺ちゃんが近付いて来た。金要求するので乞食かと思ったら、オフィシャルの切符売りだった。怪しげなピンクの切符だったが、爺ちゃんと遣り合っても面白くないので素直に支払い。5元/人。 |
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馬胖鼓楼。広西トン族居住地区最大。現存の鼓楼は1920年創建。 高さ13m、幅13m。屋根はそり庇の九層構造。 |
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保存状態はイマイチ。 |
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かつては巨大な太鼓が吊るされ、人を集めるとき等に打ち鳴らされた。 |
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梁にはトン族伝統の文様。 もちろん三江杉。そして釘は使わず。 支える柱は一人では抱えられないほど太い。 |
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確かに昼寝には良い場所だが、、、 |
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広場の周りの一角に人だかり。覗いて見ると案の定賭け事。ここではサイコロ札。 |
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切符売りの爺ちゃん(振り向いている人)もここに。ここから集金に来たのか。良く気が付いたね。 我らの10元を奪い合っているのかも。 |
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集落内を散策。歴史を感じる。 |
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人も動物ものんびり。 |
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本当に素晴らしい木造建築。痺れた! |
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投網を打つ父ちゃんの直ぐ下で子供達が水遊び。実にほのぼのとした光景だ。 ここで洗濯をしていたオバちゃんも愛想が良く、とても気分が良い。 サンダルの私は「申し訳ありませんが」と、川に入って向こう岸に戻る事をスポーツシューズのスーさんに告げた。すると、「私も」とリックの中から赤いサンダルが登場!この用意周到さには感服!でも思わず噴出しました。 |
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翌日(6/30)家で、これと同じ映像に出会ったのにはビックリ! |
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馬胖鼓楼の対岸。新市街とでも言うのだろうか。 日本の漁村的雰囲気。 |
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人集りを発見し覗き込むと、丼を持って飯を食べていた取り巻きのオバちゃんに写真撮影を制止された。 その理由は、賭博場だったから! |
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この賭博場、交番の対面にある。例のオバちゃんが丼を抱えて交番に入って行った。笑えるねー。 |
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雑貨屋の親子、表情が実に幸せそうでした。 |
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自給自足の野菜は美味しそう。でも田畑の農夫は皆噴霧器を背負っていた。大丈夫か? 肉に傘が掛けてあるが、台からはみ出してるぞ。 |
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水車を狙ったのだが、、、直ぐにピントが合ってシャッターの切れるカメラが欲しい。 |
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三江には鉄道でも行ける。 |
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どんな魚が捕れるのだろう?興味あるなー。 |
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風雨橋が景色に溶け込んだ良い風景。 |
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新しい建物が見える。木造建築物の景観が変わって行くのは寂しい。 |
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チャーター便の運ちゃんが急停車。湧き水を紹介してくれた。 きれいで冷たく、顔を洗うと、とても気持ち良かった。 運ちゃんは柄杓からガブガブ飲み。我々にも飲めと言わんばかりだったが、流石にそれは遠慮させて頂いた。 |
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八江の町。 バイブル地球の歩き方によると、「三江河西から馬胖郷行きバスに乗り、、、」と書いてあるが、バスじゃあ途中のこの町は通過できないっしょ! もし、もう一度行ったら、この町で白タクを乗り継ごう。 |
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14:00、三江河西バスターミナル前に帰って来た。お約束通り70元を支払うと、運ちゃん、ニンマリ。良い商売だったのだろう。 我々の三江観光はこれで終了。帰りは広州直行と桂林経由の選択肢がある。広州行はとんでもない夜中に到着しそうなので、桂林でゆっくり夕食を摂って帰る事にしたが、最終が14:30だった様な気がして時間が気になるが、運ちゃんに勧められるまま、目の前の食堂で昼食を摂る事にした。奥さんの店か? |
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兎に角まずビールを。オーダーを済ませたところで、バスターミナルに切符を買いに行った。すると、桂林も広州も河東ターミナルからしか出ていない事が判明。紛らわしい表示は止めてくれ! |
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この豚肉と野菜の炒めもの、美味かったー。ご飯とスープが付いて、全部で22元。 店のオバちゃん軍団に撮影をせがまれ一枚。本当に撮ったか確認まで受けた。 |
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何度も歩いて渡った橋だが、もう歩く気力無し。時間も気になるし、少々乗ってもみたかったので三輪タクシーを選択。 昨日、「これで程陽橋へ行こう」とスーさんに言われたが、やっぱ無理っすよね。 |
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14:30、河東バスターミナルへ到着。一番早い桂林行は15:40。31元。あと5分早かったら14:30に乗れたのに。残念。 メチャクチャ暑い待合室で1時間辛抱。 |
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15:40、定刻に出発。名残惜しかったですね。 |
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良い天気で良かった。 |
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銀水トン寨。龍勝県城の西約3kmのトン族の村。新娘挑水というトン族の伝統的な歌で有名。 昨年、ここまで来れなかった事が残念で心残りだった。往路で発見し、復路でナイスショットを決めるようにカメラを準備していたのに結果はこれ。またも残念。 周囲は銀水飛瀑と呼ばれる滝を代表する豊な自然に囲まれ、風雨橋や鼓楼が残り、100年前と殆ど変わらない姿が今も残っている。 |
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我々は何事も無く良かった。 |
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桂林に戻って来た。 |
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19:05、桂林バスターミナルへ到着。最後の切符を買ってゆっくり夕食、と思っていたらここで予想外の事態発生!22:30ぐらいまでは有ると思っていたバスが、20:30までしかない!170元。 時間が無くなりゆっくり探す事が儘ならなくなったので、おじやを作った食堂にまた行っちゃいました。2日続けて行くと服務員の態度が全然違う。非常に打ち解けた感じ。今度は干鍋羊肉。これも美味かった。三鮮炒粉も食べ、全部で48元。 |
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皮3列シートの豪華バス。「これなら快適だけど、夜中のとんでもない時間に着くのが困ったなー」と思っていたら、とんでもない結果だった。 |
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星がきれいだった。 が、一つしか写らなかったのか。 |
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21:55、陽朔へ到着。 バスターミナルの場所が分りラッキー。 |
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陽朔の西街は相変わらずの賑わい。 昨年の牛蔵ツアーを昨日の事の様に思い出す。 |
2008.6.30(月) 予想から5時間以上も遅れて広州へ到着
夜中に着くと思っていたのに夜が明けてもその気配無し。何処を走っているのかも不明。しかもとんでもない悪路。 |
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漸く場所が分った。地図を追うと、国道321号大きく北に外れた所を走っていた。 昨年2月、同じバス(あの時は電子レンジまで付いていたなー)で帰った時は、桂林22:30発、広州5:40着だった 直ぐ横を流れる川はとても水位が高い。今にも洪水が起きそうだ。国道321号に何かトラブルが起きのだろうか? |
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7:40、広寧通過。 朝から凄い数の人がロータリーに集まっていた。月曜日だけど皆さん仕事じゃないの? |
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9:08、漸く広州へ到着。今回は遠かったー。 このバス、足を伸ばせず窮屈で辛かった。寝台の方が良かった。三江から直行に乗れば良かったのかな?直行の場合、どこかで夕食を摂るはず。どんな所に止まるかは分らない。それもバス旅行の楽しみの一つだし。 到着した省バスターミナルの西にあるマックドナルドで久し振りにコーヒータイム。ここでトイレの水が流れないトラブル発生。 そして、締め括りもバス。545路で帰宅。 10:30、家の前で芒果取りの小僧を見つけ、今回の旅は終了。 |
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午後、Nくんと越富大厦にDVDを買いに行った。物色していると、彼が「こんなのが有りますよ」と、渡してくれたのがこれ(←)。何と、程陽橋の写真が出てるじゃない。この巡り合わせにビックリ。早速買った。程陽橋は写真だけだったけど、馬胖鼓楼の映像が流れ感激! 今回ご一緒頂きましたスーさん、本当にありがとうございました。道中色々驚かれた事と思いますが、これに懲りず、またどこかの秘境へ行きましょう! 【スーさん談】 今回の旅行 私にとっては目から鱗です。大名旅行(ツーリストにお任せ)では味わえない本当の旅の楽しさを体験しました。本当に楽しかったです。 |