トコトコ中国バスの旅 |
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▼婺源 −
中国で一番美しい農村へ [2008.12.5(金)、6(土)、7(日)、8(月)、9(火)、10(水)]
【旅日記】
2008.12.4(木) 出発準備は順調
翌日の出発に備え、海南島出張の帰りにSSさんに付き合って貰い南昌までの足を確保するため天河客運站に立ち寄った。 今回の目的地は、江西省婺源、安徽省西逓、宏村、黄山だ。婺源は、今年の国慶節休暇の旅行中に知り、どうしても行きたくなった「中国で一番美しい農村」。西逓、宏村、黄山は、未制覇の世界遺産だ。 少し前にバス時刻表の検索サイト(http://www.checi.cn/qichezhan/3_25/)を見つけた。婺源への行き方を調べると、直行便は無い。直ぐ手前の景徳鎮へも直行便は無い。一番良さそうなのが、毎日18:30に発車していると言う南昌だった。 |
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窓口で『南昌』と告げると、あっさり買えた。しかも、『今日』の席もまだ有った。しかし、インターネット情報とは出発時間が30分違う。最新情報と書いて有ったが、、、205元。 |
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暫く和食は食べられなくなるので、SSさん達を巻き添えに、出発前最後の夕飯はカンチャンのキムチ鍋。 最後にご飯と卵を入れ、なべ底がきれいになるまで食べ尽くしながら今回の旅の豊富を語った。 |
2008.12.5(金) 闇GSは初めて見た
我が家から西を望む。 新テレビ塔(左)、西塔とこのエリアの開発は目まぐるしい。 |
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18:45、バスがゲートに着いた。予定通り出発できそうだ。 |
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チケットを見せて乗り込むと、一番前の上段と言われた。 チケットは『座席10』になっており不可解だが良い場所だったので、これ幸いと滑り込んだ。 バスはガラガラ。乗客は10名にも満たない。 |
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バスは定刻に出発。インターネット情報の所要時間が正しいとすると、朝5時に到着。この時は、到着の早過ぎる事が気掛かりだった。 ところが、20分ほど走った所で路肩に停車し、動かなくなった。前には、同じ南昌行きの寝台バスが止まっている。嫌な予感。 約1時間経過した頃、中山から南昌への寝台バスがやって来て、横に止まるや否や『乗り換えろ!』の号令。嫌な予感的中。 |
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中山からのバスはそれなりの乗車率だった。窓側のベッドが上手く確保できて良かった。 出発したこのバスは所々で乗客を拾い、ついには空きベッドが無くなり通路に人がゴロゴロしている始末。その仲間にならず本当に良かった。 |
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23:30、気持ち良く寝ていたら、『吃飯!』の声に起こされた。 何もこんな時間にと思い私はパスしたが、中山からの人は夕飯を食べていない人が多かった様だ。 |
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23:50、ドライブインを出発したバスは直ぐ近くの民家前に頭を入れた。 何事かと思ったら、家の中からホースが現れ、その先端にはガンが付いているではないか。闇GSだ! だからどうしてもここに来なければならなかったのだ。 |
2008.12.6(土) 悠久の歴史を堪能
7:05、日が昇り始めた。南昌はもう目と鼻の先。 |
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7:30、贛江に掛かる南昌大橋を渡ると市内だ。 |
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7:50、到着。ところが、想像していた南昌長途汽車站ではなく、火車站前だった。 |
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南昌火車站。洒落たツインビルだ。 後日この駅から出て来る事になるとは、この時は全く想像していなかった。 |
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駅前でマックを見つけてしまったら急にコーヒーが飲みたくなり、ソーセージマフィンセットを食べた。初っ端から軟弱。 広州と同じ17.5元。 |
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火車站前のバスチケット売り場の窓口で婺源行きの有無を聞くと、直通は無く九江で乗り換えが必要な事が分かった。 インターネット情報では、南昌長途汽車站からは直通が毎日数便有るとの事なので、歩いて南昌長途汽車站に向かった。 南昌はもう冬。冬装束の準備はして来たが、この先大丈夫だろうか?少々心配になった。 |
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8:25、南昌長途汽車站に到着。ここも立派な駅舎だ。 |
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歩いて来た甲斐あり、ここには婺源行きがあった。しかも、インターネット情報通りの10:25発。86元。 広州からのバスが順調に走って来ていたら、もう一本早い6:25で行けたかも。 |
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婺源までは338km。何時頃到着するのだろうか? |
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出発まで2時間有る。待合室でボーっとしているのは勿体無いので南昌の街を歩く事にした。 |
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市中心を南北に走る八一大道と孺子路の交差点。日曜の朝であり人は少ない。 この辺りに、1927年に共産党が武装蜂起した時の総司令部が「南昌八一起義記念館」となって残っていると地球の歩き方に書いてある。しかし、探せど探せど見つからず。結局諦めた。 |
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その代わり、「南昌八一起義記念碑」が有ったので足元まで行ってみた。 |
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土台には当時の様子が彫り込まれていた。 |
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八一大道を更に北に進んだ右手の「革命烈士記念堂」。 入り口に身分証明書を提示すれば無料参観できると書いて有った。窓口のオバちゃんにパスポートを見せたら怪訝そうな顔をされたがチケットをくれた。 今回の旅行でパスポートを出したのはこの一回きりだった。 |
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偶像化し過ぎじゃないか。 |
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見学者が若者ばかりだったのでビックリした。 |
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色々な展示が有った。 特に、20代、30代の若さで命を落として行った同志の紹介が多い。 |
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獄中のジオラマ。奥のベッドは三清山で泊ったお茶屋のものと同じだ。 |
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こんな機械で拷問を受けたらと思うとゾッとする。 |
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毛沢東主席の訪問を歓迎する当時の姿はこうだった。 |
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佑民寺に向かうため八一大道の地下道に入ったらこの光景。 ダンプが入って来ているとは。しかも、蛍光灯を修理するだけのために。恐るべし。 |
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地上に出ると、青空に洗濯物が揺れていた。 その横に何やら小さなものが干してある。良く見ると、肉や魚だった。ここは歩道の真上。人がこの下を通り抜けるのだが。 |
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八一起義指揮部旧址 入ってみたかったが開いていなかった。 |
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直ぐ横では壁と電柱を使って大量の肉・魚を干していた。 見張りのためか隣に年寄りが座り込んでいた。 |
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佑民寺 南北朝梁代の天監年間(502〜519年)に創建され、7回改修、9回改名を経て1927年に現在の名称になった。 |
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佑民寺天王殿 大雄宝殿後ろの仏像群彫が精美壮観で一見の価値ありだそうだが、バスの出発時間が迫って来たので今回はパス。 |
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来た道を戻ってバスターミナルに向かおうかと思いながら地球の歩き方の地図を確認すると、最初に見つけられなかった「南昌八一起義記念館」がこの近くにもある事が分かった。時計を見つつ踏み出した足を反対に向け、少し大回りだが「南昌八一起義記念館」経由にした。 時間が気になり地図を見ながら走った。この歩行天(勝利路)の先にある筈。 |
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南昌八一起義記念館 地球の歩き方の写真の通り。地図表記が間違っていたのだ! 1927年8月1日深夜2:00、周恩来、賀龍、葉挺、朱徳、劉白承の指揮の下、中国共産党が武装蜂起して南昌を占領した時の総司令部。元は江西大旅社と言った。国民党に対して武装蜂起した最初の地。この時から中国共産党は正規の軍隊を持つようになり、これが現在に中国人民解放軍となった。 大回りしたので時間が無くなって来た。歩いて戻ってちょっと迷うとバスに乗り遅れない可能性が有るので、反則だがタクシーでバスターミナルへ戻った。8元。 |
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お決まり通り出発の10分前に検札ゲートが開いた。勇んでバスに向かった私を待っていたのは、動物顔のマイクロバスだった。先が不安。 |
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南昌の東には大きな湖が続いている。 ここは軍山湖。陽澄湖に棲む上海蟹の様な蟹が名物。 |
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兎に角農地が広がっていた。 |
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道路は凸凹、穴も多く、決して楽な旅ではない。 対向車は殆ど無い。 |
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12:30、漸く高速道路だ。 |
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最初に現れた標識によると景徳鎮まで76km。 婺源まで約150kmだが道路事情が分からず、到着時間が読めない。 |
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13:30、景徳鎮を通過。 高速道路は更に東に延び、婺源まで繋がっていた。高速道路の発達は凄まじい! |
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14:20、婺源長途客運西站到着。 バスが停車すると、バイクが集まって来た。さすが観光への依存度大。 色々言われるが、聞く気無く追い払う。しかし、聞こえて来た所によると、観光ポイントは分散している様だ。事前に情報収集して来たが、そこまで分からなかった。 |
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しつこい客引きをぶっち切りバスターミナルへ行ってみると、地図が有った。確かに分散している。 売店で地図を買った。5元。距離を確認すると、何れも10km以上離れている。 最初のポイントに選んだのは「千年前の宋代に造られた廊橋」と言う彩虹橋。バスに乗って行こうと、チケット売り場で『彩虹橋』と告げると、『北站』とつれない返事。 北站の場所は地図で分かった。地図にスケールが無いので距離が分からないが、折角なので歩いて町見ながら行く事にした。 |
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歩き始めて最初に現れたこの建物、手前はホテル、山の上は博物館だった。 |
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右に折れた所に商店街があった。 |
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ガキンチョがコマで遊んでいた。う〜ん、元気でよろしい。 |
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“中国で一番美しい農村”の看板だ。早く見たい。 |
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超田舎の町だが立派。 |
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15:15、バスターミナルに着いた途端に目の前にマイクロバスが現れた。 “彩虹橋”と書いてある。車掌のオバちゃんに声を掛けると『乗れ』と言われた。ラッキー!6元。 殆ど立つ羽目になったが待ち時間ゼロは嬉しい。 |
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それらしい風景が現れて来た。 |
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15:50、『ここだ』と言われバスを降ろされた。 |
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『商店街の突き当りを左に行けば良い』との教えに従い、両脇の商店を物色しながら歩いた。 |
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突き当りを左に曲がった所で川が現れた。 川に沿って歩くと大きな駐車場がある袋小路になった。しかし、橋が見当たらない。 キョロキョロしながら歩いていたら、目の前のホテルの様な建物が橋への入り口である事が分かった。全く予想外。 |
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このホテルのフロントの様な所がチケット売り場だった。オフシーズンで、しかも日暮れ間近のためガラガラ。 チケットは少々複雑。婺源には10ヶ所の観光スポットがあり、発券から24時間有効で3ヶ所に入場できるもの、48時間有効で4ヶ所/6ヶ所のもの3種類。24時間後には次のバスに乗っている筈なので3ヶ所OKのチケットを購入。110元。 『4ヶ所目以降は個々にお金を払えば入れる』とも教えてもらったので安心。丁寧に教えてくれたので、『写真を撮らせて』と言ったら、恥ずかしそうに逃げられた。 |
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彩虹橋 素晴らしい。 |
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千年間とは、、、 |
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悠久の歴史を感じる。 |
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一体どれだけの人を支えて来たのだろうか? |
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水車を使って脱穀。 |
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橋の下流は飛び石が置かれていた。 前を行くオバちゃんが遅い!渡る人が多くないからまだ良いが、そんなに恐ろしいなら来るな〜! |
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清流でホッとした。 |
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橋を越えた所に寺があった。 |
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懐かしい感じのする農村だ。 |
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唐代の路地。 人の集まっているここは、食堂&民宿だ。 |
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この風景、ワクワクする。 |
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多くが往時の姿のまま今も現役で活躍している。 |
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元映画館。この界隈随一の社交場だったのだろう。 |
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病院もある。 |
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ここは床屋。 |
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16:45、バスで北站へ戻ろうとしたら、ズラリと並んだバイクタクシーが代わる代わる近寄って来て行き先を聞く。彼らによると、17:00過ぎると婺源行きのバスは無いそうだ。そんな馬鹿な。 5分ほど待ったらバスが来た。ほらみろ。ところが、手を上げると運ちゃんが手を横に振り返し、乗車拒否して通過して行きゃあがった。今度はバイクタクシーのオヤジ達が「ほらみろ」と思ったに違いない。 そのバスが300mほど先で止まったので追い掛けた。しかし、乗客を降ろしバックして脇道へ入った。営業終了だったので手を横に振ったのだ。 さあ困った。更に先の大きな三叉路で待ったがそれでも来ない。 |
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少ししたら、『17:00を過ぎたらバスは来ない』と言っていたバイクタクシーのオヤジがやって来た。 足元を見て吹っ掛けて来る。交渉を重ね、最終的に北站まで20元で手を打った。 交渉中に、『ガシャン!』と大きな音が聞こえた。目を向けると、写真奥のタバコ屋にバイクが突っ込みひっくり返っていた。そして道路には自転車と女の子がひっくり返っていた。次の瞬間、タバコ屋からヘルメットを被ったオバちゃんが飛び出して来て、自転車の女の子に凄い剣幕で怒り出した。自転車が悪い訳ではないと思うが、、、そして一瞬にして野次馬が二人を取り囲んだ。 |
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初っ端からバイクに乗る事になるとは。日が暮れて来て寒い。 |
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白壁部落の美しい姿を楽しむ余裕は無い。 |
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17:40、北站到着。寒くて堪らない。 バスターミナルは既にクローズしており、ガッカリ。明日の予定が立たない。 ガタガタ震えながら宿を探していたら、露天のビリヤード場に迷い込んだ。薄暗く寒いところでも田舎では大事な娯楽場のようだ。 |
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最初に声を掛けた宿。『部屋は無い』と言われたが、一人かと聞かれ、小さい部屋なら有るので見る様に言われた。寝られればどこでも構わないので後に着いて見に行った。 この宿はバスターミナルから100mほどで便が良い。 |
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本当に小さい。 でも、布団は有るし、シーツも綺麗で問題ないのでここに決めた。15元。 実はココ、階段の踊り場を仕切った部屋。だからこんなに小さいのだ。 |
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宿が決まったので次は夕食。 地元料理の店を物色して回り、決めたのは宿の数軒隣のこの食堂。 |
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ここもメニューは無く、食材を選び調理方法を指定するスタイル。 |
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今度は、周りの人が食べている物を物色して豆腐の炒め物にした。 実に良い味だった。これで少し身体が温まった。10元。 18:30、二日目が無事終了。寒いので布団に包まって読書。それも長続きせず、まだまだ早いが眠りに着いた。 |
2008.12.7(日) その名の通り美しい農村だった
6:35、宿のオバちゃんを叩き起こし、夜が明け切らぬうちに出発。今日はバッチリ防寒対策。 宿の直ぐ前には既に屋台が並んでいた。惹かれるが先ずはバス。 |
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バスターミナルに行くと目的の「江湾」行きが止まっていた。 出発時間を聞くと、10分後だと言う。チケット売り場で「黄山」行きの発車時間を確認。狙いを12:40と16:30に定めた。満員になるとは思えないのでチケットは買わず。 |
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次に、宿の前に戻り屋台で朝食。 色々有り目移りする。一通り見て周り、この雪菜入りの焼餅に決定。1元。少々辛く身体が温まり、美味かったー。 |
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『10分後』と言われたバスは案の定ぐずぐず発車しない。更に15分ほどして漸く出発。9元。 霜の降りた田んぼが懐かしい。 |
7:30、江湾に到着したところで太陽が昇って来た。 |
どこへ行ってもいつも人の多い国だが、この町はまだ眠っている。 |
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千年古村「江湾」。いよいよ白壁の世界へ突入。 |
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彩虹橋同様とても立派な入場ゲート。 昨日買ったチケットに穴を開けて貰い入場。 結果的に分かった事だが、江湾は入場券無しでもOK。このゲート以外からも入場可能で、朝早かったためか幾つか有ったチケットをチェックするポイントは係員不在で機能していなかった。それを知っていれば、4ヶ所観光できたのに、、、 |
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蓮花池 静まり返った町は、良く整備された庭園と言うのが第一印象。 |
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祠堂井 先ず初めに現れたこの舞台は今でも現役の様子。 |
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水思堂 祠堂井の背中側に立派なお寺が有ったが、早過ぎて開いておらず。 |
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碑坊 まだ殆ど人影が無いメインストリートに足を向けた。 向かって左手が古い町並み。 |
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おー、きれいだ。 |
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小学校も景観に合わせたもの。 |
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小学校前の広場に江澤民さんの巨大看板。 |
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路地を隈なく歩いてみた。 |
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これは古そうだ。今にも崩れそうだが、風格がある。歴史の重みを感じた。 郷賢園は回廊が印象的な素晴らしい庭園だった。 殆どの民家は今も普通の暮らしが営まれていた。 |
8:10、日曜日に学校?リックサックを背負った子供達が朝食を買うために列を作っていた。 |
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地元料理らしき店を発見。見ているうちに食べたくなった。鉛山燙粉、4元。 細切り肉入り、薄味の湯粉だった。美味しい上、冷えた身体を温めてくれて良かった。 |
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江永記念館 素晴らしい風格の旧家。 |
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中も実に素晴らしい。 |
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往時はどんな生活が営まれていたのだろうか? |
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8:35、水思堂が開いていた。 やたら大きい。 |
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しかも、彫刻が素晴らしい。村人の魂を感じた。 |
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水思堂を最後に江湾を離れ、李坑に向かった。 ここでもまた走り始めたバスに飛び乗った。ラッキー。ところが、危うく乗り過ごす羽目になる所だった。 オレンジのダウンを着ている小姐が車掌。行き先を『李坑』と告げ、5元支払い出発。走り始めは乗降客が有り、頻繁に停車。その度に彼女は代金回収などで忙しかった。暫くすると乗降が無くなり、彼女の仕事が無くなった。そろそろ李坑の筈だが、普通は有る知らせが無い。そのまま乗っていたら、“李坑”の看板が見えた。しかし、止まる気配が無い。『李坑』と、大声を出したら急ブレーキで止まった。車掌の小姐が居眠りしていたのでこうなった。ハハ。 |
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李坑は江湾と違い幹線路から離れている。しかも高速道路に遮られ、位置が分からなかった。看板を見落としていたら厄介な事になっていた。 後に行った黄山までは117kmだ。 |
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9:10、李坑到着。 この時間になると駐車場には観光バスが止まっていた。もしかすると、李坑の民宿に泊まったのかも知れないが。 |
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ここも入場ゲートは立派。 江湾とは違いバイパスは出来ないと思われる。 |
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ゲートに入ると大きなパネルが目に飛び込んで来た。 |
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「李坑は李という苗字の人が多く集まっている古い村落です。北宋の、、、」と、中・英・日・韓で説明があった。 |
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分かり易い所に地図があり、村の概略は直ぐに分かった。 |
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春になったらさぞかし綺麗だろう。 |
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濁りの無いきれいな水の川で気持ち良さそうだった。 |
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中書橋 ここで休息を採りながら農作業に励む? |
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村の出口に筏が並んでいた。川を上手に使っている。 |
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文昌閣 開放されており、自由に入ることが出来た。 |
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文昌閣からは田んぼが一望できる。 |
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所々に休憩所がある。 |
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あちこちで生木を1cmほどの厚さにスライスし、コースターとして売っていた。 木の良い香りがし、田舎気分を更に盛り立ててくれた。 コースターは余り売れている様子は無かった。 |
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獅儺廟 不気味な布袋さんが鎮座していた。 |
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農閑期でもあり、みやげ物屋がズラリ。ただ、朝早いので準備出来ていない所が多かった。 |
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みやげ物屋街を抜けると、これまた魅力的な風景に出会った。 |
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明・清時代そのもの(だと思う)。素晴らしい! |
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生木のコースターと双璧のみやげ物がこのマグカップ。 デジカメで撮った写真をその場でプリント。1個8元は安い!しかし、荷物が増えるので買わず。 |
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オバちゃんたちが洗濯していた。それが出来るくらいきれいな水だ。 |
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婆ちゃん達が抱え込んだり座ったりしているのは炭が燃料のストーブ。 以前テレビで、この地方の赤ん坊の歩行器を紹介していた。木製のいかにも年季を感じるもの。インタビューを受けた70歳過ぎの爺ちゃんが『私が赤ん坊の頃のもの』と言っていた。このストーブもそれに近いかも。 |
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大夫第 最初に現れた故居。 |
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門脇の人垣はこの彫刻の説明を聞いていた。 非常に凝った作り。 |
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内部は天井が吹き抜け開放的。 石と木をふんだんに使った豪華な屋敷。完璧な姿である事に大変驚いた。 |
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李瑞材故居 ここも立派な屋敷だった。 |
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川沿いに立派な屋敷が続く。 |
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申明亭 村の行事主要はここで行われていたそうだ。 |
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通済橋 記念撮影のポイントになっていた。 |
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通済橋を渡るとこんな風景。奥の方に庶民の家がある。 |
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通済橋の袂。ここが’04年に映画「青花」の舞台になったそうだ。 |
李知誠故居 南宋時代の武状元(学者)。 門を潜ると、子供が土産を売りながら勉強。実に感心。 |
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立派な庭園を持つお宅。村人から“魚塘屋”と呼ばれていた。 |
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庭には珍しい紫薇樹。武状元が植え、樹齢800年ほど。 夏に紅い花が咲き、100日も咲き続ける。満開にしたその姿は江南一の美しさだそうだ。 |
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部屋には主人を物語る“武”の掛け軸。 |
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山に登ってみた。そこは野原だった。春になると景色が全く違うのだろう。 |
山の上からは李坑の村が一望できた。 |
もう一度行って隈なく歩いてみたい。 |
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庶民の家。 |
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有事の際には橋を引き上げ身を守る。 |
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老人が日向ぼっこしながら世間話。農閑期はこれで一日過ごすのか? |
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奥に入り込むと観光客はゼロ。ハイシーズンはここも凄い人だろう。 |
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どこも清潔なのが良い。 |
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存徳堂 厚く信仰されている様子が伺えた。 |
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古劇台 古い劇場の舞台。 |
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犬もノンビリ居眠りするほどこの村は平和。 |
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得勝巷 真っ直ぐ行くと通済橋。 |
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通済橋の上から。 これが江南の水郷だ。やはり良く聞く「江南の春」にもう一度来るべきだ。 |
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酒屋が控え目に看板を出していた。 |
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店先には立派なカメが並び、壁に掛かった竹筒に入れて売ってくれる様だ。 以前、Tnさんが桂林で病み付きになった“桂花酒”もあった。 |
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検察のパトカーが5台ほど連なって村の中にやって来た。様子を伺っていると、若い小姐が車から降りて来た。観光が目的だ! 一般車両はここまで入って来れない。パトカーを観光に使うだけでも呆れて物が言えないが、そこにズケズケと侵入してくるとは。職権乱用も甚だしい。これは許された事なのだろうか? |
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春になるとシャキッとした風景になるのだろう。 |
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マグカップ屋の看板。こんな風景にお目に掛かりたかった。 |
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江湾から来たバスを降りた所で婺源行きのバスを待った。 11:05、待つこと10分余り。マイクロバスがトコトコやって来た。 |
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11:25、婺源到着。4元。 すっかり見慣れたバスターミナルだ。 |
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直ぐ様12:40発
黄山行きのチケットを購入。36元。 |
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昼食を摂ろうと町を歩き始めたら爆竹屋に出くわした。 小さなものから、巻き付けた直径が30cmも有る連発まで色々有った。火事になったら煩くてかなわんだろう。 |
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昼食は、前日夜に覗いたが選ばなかった食堂にした。 話をしたら愛想が良かったのでここに決めた。 ここもメニュー無し。豚肉が有るか聞いたら『有』と答えが返って来たので、適当に野菜を選び炒めて貰った。 |
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中々良い味。肉もOK。満足の14元。 |
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黄山までは大きなバスだ。 席は最前列だ。しっかり風景が見えるので嬉しい。 定刻に出発したが、乗客は10人にも満たない。これでやって行けるのか?と思ったが、このバスじゃないとダメな理由があった。 |
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黄山は李坑、江湾の方向。嫌な予感的中。バスは高速道路に入らず、朝と同じ道を江湾に向かう。 地図などに写真入りで紹介されている三日月状の月亮湾。写真は高台から写したもので全景が良く分かるが、バスからでは良く分からない。ここかと思うような風景が有ったが、シャッターが間に合わず何の変哲も無い川の写真になってしまった。 |
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大きなバスだが、マイクロバス同様、手を上げればどこでも止まってくれる。 江湾でも客を乗せ更に山奥へ分け入った。これが初めから分かっていたら、、、 |
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江湾を越えると安徽省。以前婺源は安徽省だったためか、道路状況は変わらず。 |
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安徽省に入ると子供が増えて来た。 |
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見る見るうちにフル乗車になり、乗車拒否するまでになった。 |
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子供達の写真を撮っていたら、運転手が怪訝そうに『何故撮る?』と尋ねて来た。 話し始めたら彼が『農村には学校が無い。子供達は寮生活をし、週一回家に帰る。今日は日曜だから学校へ行く日だ。ほら、米など持っているだろう』と教えてくれた。 |
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町に入った所でバスは停車し、子供達が降りて行った。金曜日と日曜日の通学時間だけ特別に大きなバスを走らせているのかも。 |
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15:05、どうやら黄山の町が近付いて来た様だ。 |
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15:10、黄山長途汽車站到着。 残念ながら目指す黄山風景区まで69kmの地点が終着点だった。 |
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チケット売り場に行ってみると、殆ど人影が無く寂しい。 行きもそうだが、帰りの足の心配もしなければ成らない。時刻表を見ると、本日のバスは残り数本。往きは良い良い帰りは怖い。15:00を過ぎると、広州どころか、広州へ近付く方向のバスは無い様だ。参った! |
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ここでは、黄山風景区、宏村、西逓に訪問予定。先ず地図で位置の再確認。 どこも離れている。一番近い西逓でも54km。 |
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朝になればツアーが有る様だが、時間が勿体無い。 黄山に行っても、この時間では行くだけ。『西逓ならまだ観光できる』と思いバスの有無を確認すると、16:00発があった。13元。 これで、西逓→宏村→黄山の順に行く事が確定。5元で買った地図によると、黄山風景区にも長途汽車站がある。それに賭ける事にした。 |
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西逓行きのバスは定刻に出発。 |
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農村地帯を快走。 |
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しかし、山道も有り中々辿り着かない。 |
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だんだん日が暮れて来た。早く着く事を祈り続けた。 民家から出ている煙が懐かしく感じた。 |
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西逓へ帰る人が途中で乗り込んで来た。その人をベンチマークし一緒に降りた。17:05、漸く西逓だ。 西逓は世界遺産だ。バスを降りた所は、チケット売り場の数百m手前だった。チケット売り場に向かおうとしたら、この少女が『ここから入れるよ』と声を掛けて来た。 そこは人の家に入って行く様な路地。彼女に着いて歩いて行くと、『今晩ここに泊るの?泊る所は決まっているの?紹介してあげる』と、彼女に紹介して貰う事になった。 |
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彼女が自宅の母親に声を掛けると、母親が案内してくれる事になり、後に着いて行った。 |
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紹介された民家は、玄関は開いているが誰もいない。 暫く待つと、紹介してくれた母親が兄ちゃんを連れて来た。 兄ちゃんに案内され部屋を見た。80元。今一つしっくり来ないし、兄ちゃんの愛想が悪いので、折角紹介して貰らい、ちゃっかり風景写真を撮らせて貰ったがパスした。 |
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ここからは一人で町の中に入り込んだ。 |
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この村をして「99本の高い壁の路地に入り込むと、まるで迷宮に身を置いているようである」と表現されているが、正にその通り! 特に、薄暗くて訳が分からない。 |
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しかし、楽しくどんどん中へ引き込まれた。 |
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豚の鳴き声が聞こえた。その方向を覗き込むと、家の中で飼われていた。 |
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豚の家を通り過ぎた所で、今度はオバちゃんに声を掛けられた。また宿の話だ。 どんどん暗くなり、こちらも考えていた所なので話を聞いた。 |
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オバちゃんに連れられ行った民宿は小奇麗で感じが良かった。 熱いシャワーも完備し40元。ここに決めた。 |
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彼が主人。後で分かった事だが、案内してくれたオバちゃんは彼の母親だった。 周りの状況は一切分からない上、外に出たら迷子になって帰って来れない気がしたので夕食もここで食べる事にした。 勿論メニューは無い。彼と話しながら決めた料理は、干筍と豚肉の炒め物とほうれん草の炒め物。 |
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出来上がりを待っていると、木桶が運ばれて来た。 この木桶、なんと底が無い。 |
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これはストーブだった! 炭を入れた鍋を床に置き、ごつい金網を入れ、その上に足を載せタオルケットで全体を覆う。足がポカポカして温かい。 この辺りの家には部屋全体を暖める暖房器具は無い。そればかりか、寒くてもドアを開けっ放し、服で調整している。このストーブは大変助かった。 |
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料理が出来上がった。 良い匂い。 |
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調理中に奥さんが帰って来ていた。 一人では寂しいので一緒に食べ様と誘ったが遠慮され、彼等は調理場の横に有ったテーブルで食事を始めた。 私は、ご飯2杯も加え完食。美味しかった。50元。 |
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居間の机にパソコンが置いてあり、隣にモデムが有ったのでインターネットにアクセス出来るか聞いてみた。 アクセスできるとの由。使って良いと言う事なので、『あなた達もここに出るんだよ』と、このHPを紹介した。面白がって暫く見ていたが、QQでチャットが始まった。相手は宏村の友達。そこで『写真の送り方を知っているか?』と質問された。QQは触った事が無いが、やってみたら簡単に出来た。カメラは持っていないがお客さんが撮って残していった物があり、それを送りたいが遣り方が分からず困っていたのでとても感謝された。ところが、7Mと巨大で送るのにも時間が掛かったが、相手からクレームも有った。 それを20枚ほど送り、その間世間話をしながら楽しい時間が過ごせた。二人の生活を余り邪魔しては悪いので、20:00頃部屋に戻りシャワーを浴び、床に就いた。本日もタップリ睡眠。 |
2008.12.8(月) 明清代へタイムスリップ
夕べのQQの一件で、奥さんが村を案内してくれる事になっていた。 明るい時間は目一杯観光に使いたい私は、前日の婺源同様日の出と共に行動開始を計画していたが、『どこも未だ開いていない』と言うことで、出発を遅らせ7:45にした。 ここが宿の玄関。良い所だったのでメモ。 西逓村后辺渓 「臨渓客楾」
主人 胡逢新 13083220881 |
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宿の玄関から。 素晴らしい! |
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聞いていた通り完全な形で残っている。 |
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勝手知ったる宿の奥さんはヒョイヒョイ前を行く。 物珍しく写真を撮る私はズルズル遅れる。 |
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膺福堂 ご忠告通り開いておらず。 徽州建築の立派な屋敷。 |
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明るくても迷子になりそう。案内して貰えて本当に良かった。 |
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月曜日の8:00過ぎと言うのに全く人通りが無い。寒いからか? |
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大理石が敷き詰められた道路は実に歩き易い。大したものだ。 |
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敬愛堂 大きな建物。集会場になっているそうだ。ここも未だ開いておらず。 |
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西逓は長さ700m、南北幅300m、世帯数300、人口1000余りの町。 |
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村を見渡せる高台に登ってみた。 これは素晴らしい!「桃花源里」の名の通り、4月になると桃の花が咲き乱れ、もっともっと素晴らしい風景になるそうだ。 |
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近代的な建物が一切無いのが嬉しい。これからも変わらないでいて欲しい。 |
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春は菜の花も美しいそうだ。 |
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どこも未だ開いていないので一旦宿に戻って待機。 途中、村の小学校が有った。こじんまりしていた。 |
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8:45、再出発。今度は開いていた。 青雲軒 1870年築 最初に入ったここで少々面食らった。世界遺産に今も人が暮らしていたのだ。 村全体が世界遺産なので、当たり前と言えば当たり前だが、中を見せる所もそうだとは。 |
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ここも生活空間? |
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歴史的価値の高い民家には“保護民居”のプレートがある。 |
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尚徳堂 大きな屋敷だ。 |
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とても緻密な彫刻が目を引く。 |
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内部も素晴らしい。 |
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山奥の貧しい村でも、心豊かで、さぞ幸せな暮らしだったことだろう。 |
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漸く人が姿を見せ始めた。 |
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骨董品屋を覗いてみた。 |
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『この硯は良いぞ』と、気の良い主人に熱心に勧められた。 |
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それよりも、この時計が気になった。 |
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敬愛堂も開いていた。広い、広い。 |
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太い柱を石の土台で支える建築方法だ。 |
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屋台が見えた。何も食べていないので腹ペコ。早速屋台に向かった。 |
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途中にまた骨董品屋。 |
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この毛澤東ポスターがやけに気になった。 中に入ると、他にもレトロなポスターが色々有り面白かった。 |
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このお宅も素晴らしい窓枠彫刻だった。 |
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角のお宅にはベランダがあった。さぞ旨いお酒が飲める事だろう。 |
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並んでいた3軒の屋台を一通り物色。 宿の奥さんのアドバイスで、このオバちゃんが売っていた地元名物と言う一口パイに決めた。 |
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5個 2元。宿の奥さんと分け合って食べた。 中にちょっと酸っぱい野菜が入っていた。不味くは無いが、3個食べれば十分。 |
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更に村を散歩。 |
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このお宅、池や置き物など、見物は色々あったが、 |
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一押しは、この松の窓枠彫刻。惚れ惚れする。 |
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どのお宅も天井が吹き抜けている。 雨も降るし、冬には雪が降る。それが庭に落ち、積るのが風流で良いそうだ。 |
どこも素晴らしい村だった。 |
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チケットを買って入った時の村の入り口。 |
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左側に世界遺産のプレートがあった。未制覇の世界遺産はこれであと6つ。 |
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牌坊 1578年に建てられた胡氏一族の反映を象徴する巨大なシンボル。 |
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素晴らしく精巧な彫刻。 |
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宿の奥さんとはここでお別れ。感謝感謝! |
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宏村行きのバスは10:30発だと聞いていた。まだ一時間ほど時間が有るので村をもう一度見て回ることにした。 |
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迷わず屋台へ行き、今度は黒ゴマ入りの焼餅。1元。こっちの方が美味かった。 |
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チラチラ覗きながら見て回っていたら、天井からぶら下がったこの看板と遭遇。 これは、繋がった紐で操作する巨大団扇だった。 |
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バスの時間が近付いて来たので検札を通って外に出た。 オフシーズンなので入場料は65元だと思われる。が、結局チケットは買わず終い。 |
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バスが通る道路沿いにチケット売り場があった。 ここまでバスに乗って来ていたら、こんな満足な旅にはならなかっただろう。 |
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宏村行きのバスは西逓が始発だと聞いていたが、そんな気配はどこにも無い。 駐車場も見渡せる道路沿いに腰を下ろしていたら、小姐が『車に乗れば早い。50元』と声を掛け来た。ボッタクリもいいとこ。問答無用で断ったら、今度はオバちゃんが『直行は無い。黟県で乗り換えれば大丈夫』と教えてくれた。 絵描きのオッちゃんを見ながら待つ事20分、バスが来た。 |
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親切なオバちゃんは、このバスの車掌だった。2元。 |
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黟県客運站到着。オバちゃんは乗り継ぎ方法も教えてくれた。 |
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チケット売り場で『宏村』と告げると、『外面』と言われた。 オバちゃんの説明はそう言う事だったのだ。 |
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黟県の町は近代的。 |
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橋を渡った所に宏村行きのバスが止まっていた。これで宏村に行ける。 バスに乗り込み出発を待っていたら、Ezさんから電話が来た。ビックリするお話で、残り少なくなった電池に、より冷や冷やする事になった。 |
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11:25、宏村到着。 |
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この川が境。西逓の様にいつの間にか入ってしまう様な所は無さそう。 |
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チケットを買って堂々と入場。65元。ハイシーズンは80元。 入場して直ぐの風景がこれ。少々ガッカリ。 |
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世界ふれあい街歩きで見た南湖だ! 宏村は水路と半月形の池など、独特の構造の「牛形村落」と呼ばれる街。これは、600年ほど前の有名な風水師のデザインによるもの。当時洪水に悩まされていた村は、風水師の指導によって村全体を一頭の牛に見立てて大改修した。村の北側にそびえる山を「頭」、村の入口の銀杏と紅楊(どろのき)の二本の樹を「角」、村の家並みを「身体」、中央の池は「胃」、水路は「腸」、南側に掘った大きな池を「腹」とし、牛の形で富貴を呼び込もうとした。その後、宏村は大いに繁栄したのだとか。 |
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街はおよそ800年の歴史を誇り、昔から商売人を多く出したため、「安徽商人」の名は中国では商売上手で有名。稼いだ富を故郷に持ち帰り、水路や白壁の建物などの美しい町並みを作ることが、安徽商人の誇りだった。 映画「グリーンデステニー」など、中国の時代劇の撮影地としても有名で、昔の中国の暮らしを偲ばせる街並みがそっくり保たれている。 今回はオフシーズンで見掛けなかったが、水墨画のような美しさから中国中から人々が写生に訪れ「中国画里郷村」と呼ばれて愛されている。 |
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南湖に面した立派な書院。 |
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この机と椅子で勉強したのかな? |
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色々な野菜を細かく切って干していた。 |
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宏村の街中を縦横に走る水路。近くを流れる川から水を引いている。 水路の水は昔から炊事や洗濯などに使われて来た。 |
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水路の脇に見えたお宅。普通に暮らしている様だ。 |
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水路に沿って奥へ入ってみた。。 |
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竹のしおりに、南湖越の宏村を彫って売っていた。 |
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絵の才能が有れば書いてみるのだが。 |
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半月形の月沼に出た。ここには「これから満ちてゆく月にあやかって栄えるように」という願いがこめられている。 |
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美しい。 |
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ハイシーズンは観光客だらけになり、こんなにゆっくり見て回れないだろう。 |
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池の畔のお宅。公開されており、じっくり見学した。 |
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表ではおっちゃんが昼食を食べていた。外は明るいから? |
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子供が子供らしく遊んでいる姿を見てホッとした。 |
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承志堂 絵になる。 |
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現在位置や順路がきちんと明示されており、この村は歩き易かった。 |
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所々検札があった。ここもその一つ。 |
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ここには人は住んでおらず。 |
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宏村も春が一番いい様だ。 |
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一体部屋が幾つ有るのか?大きな屋敷だった。 |
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細かな彫刻に感動。 |
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西逓と同じく、柱や壁を石の土台で支えていた。 |
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牛の頭の山に登ってみた。 |
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順路表示が無かったらここも迷路。 |
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水路は今も生活に欠かせない。 |
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桃園居 1860年築のこのお宅がルート上最後の参観ポイント。 ここも彫刻の素晴らしいお宅だった。 |
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土産物屋の並ぶ大通りを町の中に進み、もう一度南湖から村全体を見渡し宏村を後にした。 |
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いよいよ黄山。地図によると、直接繋がっている道が有り、30kmぐらい。 黟県からのバスを降りた所へ行ってみたが、それらしい表示は無い。キョロキョロしていると、3輪バイクタクシーのオバちゃんが声を掛けて来た。80元と言う。『危ない、遅い、寒い』が頭を過ぎり気乗りせずパス。その後何人かに話し掛け情報収集。総合すると、『午後は直接行くバスは無く、黟県で乗り換え。黟県1:30発が最終』と言う事らしい。 目の前に止まっていたこのバスは黟県行き。1:30に間に合うか聞くと『没問題』の返事だったので乗り込んで待った。 しかし、一向に出発の気配が無い。その間に『どこまで行く?俺の車で行ったら早い。300元』と、兄ちゃんに詰め寄られた。 12:55、漸く出発。2元。本当に間に合うだろうか? |
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私の心配をよそに、余裕で間に合った。 チケット売り場で『黄山』と告げると、またも『バスで払って』と言われ、駐車場のバスを指差された。 |
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バスは定刻に出発。このバスは西逓経由。朝は右回り、午後は左回りで、黟県・宏村・黄山・西逓を繋いでいた。 一番前の席に陣取ったので車窓の景色は抜群。15元。 |
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西逓だ。 |
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西逓にこんな塔が有ったとは。歩いている時には気付かなかったなー。 |
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バスは乗客と料金で駆け引きをしながら山の中を進んで行った。 |
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14:40、突如、黄山が現れた。 黄山は「天下第一の奇山」などと称され、古来中国でも最高の山の一つと言われて来た。黄山山脈は南北の長さ40km、東西の幅30km、全山の総面積は1200ku。その内、黄山風景区の面積は154ku、天都峰(1810m)、蓮花峰(1873m)、光明頂(1841m)の三つの主峰を筆頭に72の峰を持っている。峰にある奇抜な形の石と、そこに生える松、そして雲海が、黄山の水墨絵のような景色を作り出していると言われている。 |
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14:55、黄山南大門汽車站到着。 到着間際にバスの運ちゃんが『宿は決まっているのか?』と、声を掛けて来た。宿よりも早く山に登りたいが、この時間では無理なようだ。 効率良く観光するには、ここから20分ほど車で走り、そこからロープウェイを使う。頑張れば山頂のホテルに泊り日の出を拝む事も出来たが、クタクタで断念。 |
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『良い所が有る』と、連れて行かれたのが、バスターミナル内のこの黄山汽車站大酒店だった。 部屋を見せて貰い、悪くなかったので値段交渉。80元を60元に値切り、ここに泊る事にした。部屋は2F、玄関のキャノピーの向かって右端。 出発前、中国暦30年のOkさんに『温泉に泊ると良いよ』と、教えて頂いたが、更に進む元気が残っていなかった。 |
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部屋に荷物を降ろし、周囲を散策。南大門を潜り山道を少し登ってみた。 |
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世界遺産マークだ。これで残す所5ヶ所になった。 国慶節に行った張家界、盧山、三清山、武夷山での苦しかった登山の記憶が甦り、これでOKにしようかとの思いが頭を過ぎった。 |
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バスターミナルで帰りのバスを調査。窓口は開いておらず、時刻表を見ると希望のバスが無い。宿に戻りオヤジに確認したがやはり無い。結局、遠回りになるが一番早く広州へ着けるであろう、翌日16:30発の杭州行きをこの宿で手配。95元。 足が決まったので部屋に戻り、布団に包まり暫し読書。ここも暖房が無いので寒い。 18:45、夕食を摂るため宿の食堂へ向かった。部屋から出たら真っ暗で1Fへ降りる階段も全く見えない。恐る恐る前進し、転がり落ちない様に手摺をしっかり握って一歩一歩階段を踏み締めて下りた。 食堂には辛うじて電気が点いており、兄ちゃん4人が飯を食っていた。 メニューを見て頼んだが、出て来たものは西逓の民宿と同じ様な物だった。味はまあまあ。55元。 |
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夕食の支払いを済ませると、コックの兄ちゃんが土産物屋の店員に早代わりし、水やパンなど登山に必要なものを勧めて来た。 面白かったのがこのアイススパイク。靴に引っ掛けると、スパイクシューズに変身する優れもの。これが無いと山で困ると言われ、思案の末、騙されたつもりで購入。20元。(結果はやっぱり騙されていた。これが必要な時に登山は無理っしょ) 20:30、余りの寒さにシャワーもパスして就寝。睡眠は毎日十分。 |
2008.12.9(火) 水墨画の世界を堪能
6:50、バスターミナルに黄山風景区行きと思しきバスが現れた。早速荷物を持って部屋を出発。 宿の玄関は開いていたがフロントに人がいない。部屋の鍵を返したいが返せないので手に握り締めたままバスの行き先と出発時刻を確認するため外に出た。すると、後ろから『喂!喂!』と、呼び掛けられ、振り返ると「逃げるな!」と言わんばかりの形相でオバちゃんが立っていた。 デポジット40元と、バスチケットのお釣り5元を受け取らなければならないのでそのままトンズラなどしない。これで清算できて良かった。が、その処理をしている時に黄山ツアーのオファーがあり、説明を聞いていたら、話ながら申込書を書き始めた。壁の張り紙によると265元。それを180元と言う。タクシーで行くと往復60元など割安とアピール。バスなら往復26元なので、それでも高い様に思ったが、三清山の時の様に肝心のポイントに行けないのも寂しいので参加する事に決めた。7:30出発との事であり、バスターミナルから出て朝食。焼餅2元。 |
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7:30、宿に1Boxが迎えに来た。運転手以外誰も乗っていない。悪い予感。これが的中し、風景区とは逆の方向に走り出した。1Boxを待っている間にバスが2台出発して行った。そんな事もあり、この時はツアーに入った事を少々後悔。 1Boxはホテルを2ヶ所経由し、5人乗せ満員になった。いよいよ風景区へ、と思ったら、『あのタクシーに乗り換えろ』と言われ、全員降ろされた。5人は、3人組のオバちゃんとカップル。私はオバちゃん達とセットにされタクシーの助手席に乗った。タクシーは既に待ち時間分のカウンターが回っており、そこにメーターを倒して出発。やけに回転が速い。一人なら慌てる場面だが、ローカルのオバちゃんが一緒なので心強い。 結局、タクシー代はツアー代に含まれていた。メーターを倒すからややこしい。 |
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高度が上がるにつれ美しい風景が広がって来た。 |
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8:20、ロープウェイの雲谷寺站へ到着。 ここでガイドの兄ちゃんが登場。後は彼の指示に従って移動。 |
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手持ちの地図と見比べ位置関係を確認。 |
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歩いて登っても良いと言っていたが、それではツアーと離れるので意味が無い。全員ロープウェイに乗った。ツアーとは別料金、65元。 |
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オフシーズンなので全く混んでいない。 8人乗りの大型ゴンドラだったので全員一緒に乗り込んだ。 |
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ガイドの説明を聞きながら登り始めた。 |
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雪だるまの様に岩の載った奇観が早速現れた。 |
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白鵝峰へ降り立った所で一旦ガイドと別れ、竪琴松、観音峰、連理松の順に移動し、2本並行して作られたもう一つのロープウェイの白鵝峰站で落ち合う事になった。 水墨画の世界だ! |
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松はどれもこれもビシッと枝を横に伸ばしていた。 |
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9:50、白鵝峰站で待っていたら、ガイドが現れた。ここで、他のツアーと合流して100名近くの団体になった。 そう言う事だったか。 |
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担ぎ屋が石柱を担いで来た。重そうだ。足がよろけている。手ぶらで歩いても3時間は掛かると言うのに。 他にも沢山担ぎ屋がいた。食料品程度ならロープウェイを使えば良いと思うが。 |
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素晴らしい!日の出はさぞ絶景だろう。 白鵝峰站からは、電視台、気象站、光明頂、海心亭、鰲魚洞、百歩雲梯、迎客松と進んだ。 どこも絶景で感動もするが、約7.5kmの山の上の散策は急な坂が沢山あり非常に随分しんどかった。 |
所々雪が残っていた。 が、アイススパイクを使うことは無かった。 |
全員で岩に登ってガイドの説明を聞いた。 話を聞くより、休憩できるのが嬉しかった。 |
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10:50、光明頂 1840mに到着。 もうヘロヘロ。 |
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11:00、山頂レストランで30分間休憩。 定食も有ったがパッとしない(その割りに40〜60元もする)ので玉米にした。広州の玉米は割りと美味しい。そのつもりで最初の一口を食べてガッカリ。シャッキリ感が無く、バサバサだった。それでも暖かいのは嬉しいので、冷える前に急いで食べた。5元。 |
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11:30、出発。 担ぎ屋が頑張ってこういう物が建っていると思うと、高い入場料も仕方ないと思う。あれ?入場料はいくらだった? 抜群に天気が良いので“雲海”は拝めなかった。 写真で見ると素晴らしい“雪松”も残念ながら拝めなかったが、そんなに寒い時に来るのもねー。 |
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こんな急な坂が続いていた。 |
切り立った岩の間を縫う様に遊歩道が作ってある。大したものだ。 |
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送客松 迎客松まであと少し。 |
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12:55、迎客松前の広場へ到着。 |
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ホッとして座り込んで休憩する人が多かった。 |
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岩に「雲海奇観 黄山第一処 奇松怪石」と彫られていた。 |
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迎客松 絵や写真は食堂なので良く見る。これが本物。きりっとしている。千客万来だ! 帰りに高速道路脇の農家の玄関にも書いて有るのを見た。 |
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ここでも、南京錠を掛けて平安を願う人が多くいた。 |
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ガイドはここで終了。降りはロープウェイでも歩いてもご自由にと言うことだ。 「黄山は自分の足で登ってこそ、最も美しい風景を堪能できる」と言われている。登るのは辛いが、降りなら何とか成るだろう思い、ガイドに所要時間を聞いた。普通に歩くと2時間、早い人は1時間半だと教えてくれた。 バスには十分間に合う。ロープウェイで早く降りてもしょうがない。歩いて降りることにした。 一線天、天門坎、金鶏叫、半山寺、立馬橋、从容亭の順に進み慈光閣まで約9km。 |
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確かに絶景が続いた。 しかし、途中から景色を楽しむ余裕など全く無くなった。 半分までは駆け足で快調に降りた。1時間ぐらいで着くのではないかと思うぐらい快調。ところが、急に足が動かなくなった。膝が笑って足が出ない。太ももの前の筋肉が根を上げていた。 そこからは、駆け下りては止まって休憩を繰り返す事に成った。調子の悪い事に、時々登りに成る。これがまた辛い。 |
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平らな所はこの橋ぐらいだった。 |
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川には殆ど水は無く寂しい。 この坂を時折登って行く人がいる。迎客松まで3時間と言う。私には真似出来ない。 |
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14:30、バスターミナルの有る慈光閣へ到着。しんどかったー。 廬山での反省から、ここで直ぐに汗で濡れたTシャツを着替え。今回は風邪を引く事無く帰って来れた。 |
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さて、行きはタクシーに乗せられたが帰りはどうすれば良いのか分からない。 見た顔の人が歩いていたので同じグループになった人が来ないか暫く待ったが来なかったので諦めてバスのチケットを買って下山した。13元。 |
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杭州行きのバスが出発するまで随分時間が有る。黄山汽車站大酒店に行き昼食。目に付いた徽州炒飯を選んだ。22元。 胡瓜とハムを刻んだ薄味の炒飯だった。地元の名を冠するに値するのか?因みに、揚州炒飯は14元だった(ビールは4元)。この値段じゃあ蝦は入っていないよなー。 |
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更に時間が有ったのでバスターミナルの周りを散策。そこで駅舎の痕跡を発見。入ってみると、バスターミナルから見えた土産物屋に繋がっており、駅舎としては使われていなかった。もしかすると、以前はもっと各地にバスが有ったかも。 |
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16:25、定刻前にバスが来た。乗り込んだら直ぐに出発した。 乗客は数名、車内はガラガラで、『1番から5番は決まっているからダメ。他はどこでも好きな所に座れ』と言う。私の買った切符は何? |
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「さーあ、黄山の絶景もこれが最後」と思い橋を渡るバスの中でシャッターを切ったら、その後この場所を4回通り最後はここでUターンした。 |
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大型バスだったが、マイクロの様に町の中のホテルを巡り、麓の町を出るまで30分ほど掛かった。 麓の町まで高速道路が繋がっており、乗った後は快調だった。 |
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沿線には白壁の農村が点在していた。このルートは面白い。 |
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バスは20:00頃、杭州西站に到着。この瞬間、大きく落胆。既に電気が消え営業終了していた。 別のバスターミナルへの連絡バスがあるが、その最終が17:00発。これは何処へ行ってもダメかも知れない。杭州行きのチケットを買った後で、心配だったのでNHくんにインターネットで調べて貰った。すると、広州行きは杭州南站から出ているが、最終が16:30発との事だった。実に拙い。 反則だがタクシーに乗り、一番大きいと思われる“中心”と名の付くバスターミナルを告げた。すると、何処へ行くのか聞かれ、広州と答えると、やっぱり無いと言う。そして、火車なら有ると言う。火車站には長距離バスがいることも少なくないので彼の提案に乗った。 |
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20:50、杭州火車站に到着。35元。 目の前にバスのチケット売り場だ。運が良い。早速聞いてみると、明日の午後とのガッカリする答え。別の売り場でも同じ。近付く方向に何とか行けないかと色々聞いてみたが結局ダメ。方針を火車に変更。ところがチケット売り場が中々見つからない。 |
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2回聞いてやっと見つかり、列に並んで『広州』と言ったら『明天、、、』。これもダメだ。買わずにその場を離れた。 電光掲示板を見ながら暫し思案。23:09発の南昌行き以外はどれも見当違いの方向ばかり。黄山からの道を戻るのに近いが、仕方が無いので次の目的地を南昌にした。南昌なら11時間で広州に着くので安心感もある。 チケットは問題なく買えた。92元。ところが、見ると「无座」と書いてある。参った。ベットどころか、席が無い! |
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座席が無いのは痛いが、次の足が決まり一安心。腹が減った。タクシーが着いた時に目に入ったケンタッキーでフライドチキンを食べた。コーヒーも付けて32.5元。美味かった。 暫くケンタで休憩。 |
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22:20、待合室に移動。 南昌までの火車は上海南発。始発では無いので席の確保は難しそう。周りが全部敵に見える。 |
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案の定満員だ。 だいたい、どの車両に乗れば良いのか分からない。最初に聞いた車掌には逆方向を教えられ、ロスタイムも発生。客車としては一番端の3号車だった。 乗り込んだ時には奥の方に空席が有った。ちゃっかり座っていたら、その席のチケットを持った人が来てあっさり明け渡し。もう空き席は無い。それどころか、通路もデッキも満員。 この状態で、火車はほぼ定刻に発車。 |
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幸いにしてトイレの横の洗面台に腰を下ろす事が出来た。しかし、辛い。加えて、ここにはタバコを吸いに来るヤローが多く、調子が悪い。しかし、他には腰を下ろす場所が無い。 1時間ぐらいしたところで、検札が来た。「どうせ席無しだから見てもしょうがないだろう」と思いながらチケットを渡すと、後ろにロール紙の付いた端末を持った小姐が立っていた。もしかしたらと思い『ベットは有るか?』と聞いたら、『有』の答え。嬉しさに小躍りした。早速買って移動。72元。 場所は13号車。10両も移動だ。通路の人を掻き分け、ベッド車両では鍵の掛かったドアを開けて貰い漸く辿り着いたら、そこに人が寝ていた。起こして揉めるのも面倒だ。車掌に事情を伝えたら『そこには人がいる。ここはどうだ』と別の所を安排してくれた。ベッドなら何処でも構わないので、それに従い荷物を降ろした。しかし、どう言うコントロールをしているのだろう?不思議だ。 |
2008.12.10(水) 最後に思わぬ試練
直ぐベッドに横になった。しかし、足が痛くて寝付けない。こんな体験は初めて。結局、朝方2時間ほど寝ただけ。それでも洗面台とは雲泥の差。あのままだったらどうなっていた事か?考えただけでも恐ろしい。 しかし、あんなにあっさりベッド(硬臥)が買えるなら南昌で売ってくれよ。 |
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外が明るくなると、朝靄の立ち込める田んぼの風景が見えた。 その風景が町に変わって来た。そろそろ到着だ。 |
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7:40、定刻に南昌へ到着。 ホームの反対側に「九江⇔広州」と書かれた火車が止まっている。もしかすると、乗り込めば広州に行くかも知れない。しかし、それが上手く行かないのが中国の火車。全ての乗降口に車掌が立ち、チケットを持っていない者は乗れない様になっている。 南昌火車站を出て、火車站前のバスチケット売り場へ直行した。ところが、広州行きは18:30発。東莞も深圳も同じようなもの。ここは諦め、婺源行きのバスに乗った南昌長途汽車站へ行った。地球の歩き方によると、9:40に広州行きが有ると書いてあり期待が持てる。 |
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南昌長途汽車站の直ぐ近くに美味しそうな拉面屋があった。しかし、先ずはバスの確保だ。後ろ髪を引かれたが通過。 ところが、ここも広州行きは午後、17:30。東莞も同じ。深圳なら8:40が有った。深圳に即決定。181元。 |
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安心した所でさっきの店に戻り、拉面を食べた。辛くするか聞かれ『少し』と答えたら、メチャ辛かった。美味しくて大満足だが、朝から汗をかいてしまい調子が悪い。4元。 この店、ドアに「湖南」と書いて有った。地元料理が良いと考えて所に丁度良かったと思ったが、汗を掻いてから南昌は「江西」である事を思い出した。行ったり来たりで、頭の中が大分混乱していた様だ。 |
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8:40、バスは定刻に出発。 深圳まで全工程高速道路で9時間と書いてある。これは嬉しい。もしかすると友人達一緒にと広州で食事が出来るかも知れない。 |
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それは良いが、乗客は私を含めて5人。中型バスなのでガラガラ。ちゃんと行くだろうか?少々心配。 南昌の町を出るまではこの状態が続いたが、高速道路の所々で客を拾い、結局ほぼ満車になった。そういう仕組みのバスだったのだ。 |
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この川を渡り南昌に来たのが、つい4日前だとは思えない。 |
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この高速道路の沿線も見ていて楽しかった。 |
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14:55、昼飯休憩。 昼飯はスッ飛ばすのかと思っていたら、高速道を降りてこのドライブインに来た。 ここが運ちゃんの御贔屓の様だ。彼等は厨房の奥に消えて行った。 |
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こんな時間だからパスしようかと思ったが、作り置きの炒粉が美味しそうに見えたので食べてみた。10元。 |
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これが絶品!完食した。 |
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17:10、今日は一日バスに乗っていた。日が暮れかかり、そろそろ9時間になるが到底着きそうにない。参った。 |
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19:10、漸く深圳に到着。 到着前に知っている場所を通った。これで安心したのがいけなかったのか、ここで思わぬ苦労をした。 最初に停車した所で、半分ぐらいの客が降りた。車掌が『どこで降りるんだ?』と聞いて来た。そもそも何処まで行くのか分からないので『これから広州へ行く』と答えたら、『ここで降りて、直ぐそこのバスターミナルからバスに乗れる』と言われた。疑わしいので2度確認し、降りた。確かにバスターミナルは有った。ところが、チケット売り場に行ってみると、『没有』との事。19:00が最終だったそうだ。慌てて外に出たが、南昌からのバスは既にいなくなっていた。 さて困った。とりあえず、知っている別のバスターミナルにタクシーで行ってみる事にした。ただ、地名がうろ覚えで心配。その近くに良く行っていたNMさんにTELし、地名を確認して出発した。 |
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しかし、タクシーは走れども走れども着かない。良く考えたら、ずっと昔、さっきのバスターミナルの少し手前からタクシーで空港へ行った時に、飛行機に乗り遅れた事が有った事を思い出した。向かっている先は空港に近い「宝安」。どうも、両地点の地図を私が頭の中で勝手に近付けていた様だ。 それでまた広州行きが無かったら大ショックだったが、まだ何本も有り良かった。20:00のチケットを買い、止まっていたバスに乗り込み、これで広州へ帰れる事に安堵した。55元。タクシーは56元! |
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21:45、広州站だ。漸く帰って来た! |
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そしてバスは、隣の広東省汽車站へ滑り込んだ。 もうヘトヘト。反則してタクシーで帰る事が頭を過ぎったが、最後はやっぱり「バスで閉めなきゃ」と思い直し、545路で帰り、22:30に無事帰宅。 |
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出発当日、携帯に付けていたストラップの紐が抜け、SSさんに『不吉ですね』と言われた。それを他所に、前半は順調だった。しかし、最後に試練があった。どうも当った様だ。 最後は足も引き摺りながらの帰宅になったが、良い旅が出来たと思う。婺源、西逓、宏村には、春に是非もう一度行ってみたい。 あと3日すると一旦中国を去る。いつになるか分からないが、残った5つの世界遺産にも行ってみたい。 |