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Update : 2008.8.3 |
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▼香格里拉
− 桃源郷を求めて 5,000km [2007.4.29(日)、30(月)、5.1(火)、2(水)、3(木)、4(金)、5(土)]
【旅日記】
2007.4.28(土) 最初から計画が変わったが出発の準備は整った
4/27夜、バスターミナルへ調査に行ったが目的の昆明直行便は無い。貴陽行きなら有った。 4/28夜、4/29(日)16:00発の貴陽行きを2枚購入。この後、日本、西蔵へ行く友人達と牛蔵でお互いの無事を誓い合った。 |
2007.4.29(日) 憧れの香格里拉へ向け広州を出発
15:00、今回の旅の友、Oさんと天河城北門で待ち合わせ。 小雨のスタートとなった。 |
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地下鉄でバスターミナルを目指す。 傘を持っていなかったが、地下道がしっかり繋がっており、殆ど濡れずに済んだ。 |
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今回は市汽車站から。 いつもごった返しているが、連休のため一層激しい。 |
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大きな待合室で、キョロキョロ見渡してもどこに行ったら良いのかサッパリ分からない。係りのオバちゃんに聞いたら、一度見に行き表示が出ていない事を確認して「違う」と思ったゲートだった。表示は無いし、バスもいないし、ありゃ分からんぜ。 ゲートが分かったのでトイレに行って、扇風機の前で涼んでいたら、出発時刻の5分前に漸くバスが登場。 1,350kmの長旅なので当然寝台。見た目は割りと豪華。 |
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車内はこんな様子。まあまあ快適。 指定席の筈が、、、しょうがない。自分で選べたから逆に良かった。しかし、選んだ所が悪かった。ピラーが太く、足が窮屈。失敗! ほぼ時間通り出発。しかし、駅前通りが大混雑で進まない。走り始めたかと思うとGSや郊外バスターミナルへ寄り道。広州市外に出るまで何と2時間! GSでOさんがビールを購入。持参の炒飯お握りとで早速一息。 |
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21:30、服務区で夕食。6元分の食券が配布された。 ぐるり一回りしたが食欲をそそるモノには巡り会えず、1元の茶卵を6個貰った。それに比べて現地の皆さん凄いパワー ・・・6個の卵は下車までに完食。 ここでOさん、ドアの無い有料トイレにビックリ。以後トイレがある度に解説が聞けた。 この後、バスは更に客を乗せ、いつの間にやらフロアに寝るヤツまで出る始末。 |
2007.4.30(月) 貴陽で予定外の市内観光
貴州省に入り、貴陽が近くなった所で事故が多発。朝霧の影響か? 事故現場を避けようとする車で高速道路の出口が渋滞。我バス、それを避けて本線に戻ろうとか果敢にUターン。インチキして反対車線を走って来た車がそれを阻止してデッドロックに。結局Uターンして本線に戻り、渋滞の中をノロノロ行った。思ったより流れは早く、小細工せずおとなしく並んでいれば早かったのに、、、ここで30分はロス。 |
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14:30、貴陽到着。15時間ぐらいの予想を大きく裏切り22時間30分。 トイレで一息ついてから昆明行きの切符を買いに售票処へ。ところが当日出発は無いとの事。これで貴陽泊が決定。 切符を買い、近くの中華で腹拵え。Oさん、広州から持参されたファミマのお握り、ご馳走様でした。 |
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たっぷり時間が出来たので市内観光。 市内を歩いて明時代の楼閣“甲秀楼”へ。 道のり約4km、大きな交差点は殆ど地下道。階段がやけにしんどいと思ったら、貴陽も高地だった。 クタクタになったので暗くなる前にサウナへ。夕飯もサウナで。大庁ソファーで朝までぐっすり。 |
2007.5.1(火) 何とか昆明に着いたが、、、
8:15、マックを探すも見つからず、ケンタも無い。結局バスターミナル近くのラーメン屋で朝食。 看板の“腸旺拉面”をオーダー。卵麺に具は豚腸、血豆腐など、スープは辛油たっぷり。思ったほど辛くなく美味しかった。 |
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Oさんはラーメンをパスし近所の小龍包を選択。 醤油が美味しくなかったので満足できなかったらしい。 |
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定刻の9:00を少し遅れて出発。到着予想17:00。 イスの大型バス。 30分も走ると、稲刈り真っ最中の長閑な田園地帯へ。 |
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バスは九十九折をぐんぐん登る。いったい標高何メートル? |
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11:30、関嶺プイ族ミャオ族自治県の食堂で昼食。 店の中のショーウィンドウに並んだ食材を指して自由に調理をして貰う方式。 厨房が外にあり、抜群の匂い。しかし2人ともお腹が減っておらずパス。美味しそうなキノコが並んでたなー。 昼食後、昆明への最短ルートが通行止めになっており、バスは石林を通過する迂回路を進んだ。 |
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興義市の大きな峠。これを越えると雲南省が近い。 この直後に大きな滝を発見。しかしカメラの準備が間に合わなかった。 |
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貴州は色々な所に石積みが多い。 |
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センターラインの無い峠道が延々と続く。 |
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空が青くて気持ち良い。 |
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19:10、漸く石林を通過。昆明まであと70km。 |
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石林風景区は離れているが、高速道路脇だけでもカルスト地形を楽しめる。 |
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19:30、陽宗湖を越える頃には日も沈み始めていた。 |
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20:00、昆明バスターミナルへ到着。またも予想を大きく裏切り16時間の旅。 貴陽泊で既に計画が半日遅れ。早速当日出発の香格里拉行きを探す。售票処に聞いたが“完売”。更に麗江行きも完売。 Oさんから「貴陽からのバスを降りた所で“香格里拉”と言っていた」と聞き、戻ってみたが見つからずウロウロしていたら謎のオジサン登場。“麗江”なら乗れるとの事でこのバスへ案内された。 ところがちょっと迷っている隙に“完売”となり、またウロウロ。しかし、そうこうするうちにこのバスの席を安排している兄ちゃん(写真中央)が“ある”と言い出した。え〜い、どっちだ! |
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「麗江まで160元、9:30に着く」と到着には自信有り気。出発21:00と書いてある割には遅いと思ったし、値段もちょっと高いような気がしたがこれ以上遅れる訳には行かず、このバスに決定。 バスが決まったので腹ごしらえ。過橋米線、キノコ炒め、東波肘肉で大満足! 21:00出発は切符を買った時点で21:30になっていた。食事をするには有り難いと思っていたが、21:30を過ぎてもちっとも動かない。23:00、漸く出発。 |
2007.5.2(水) 香格里拉到着の一日は騒がしい目覚めと不安で始まった
4:00、大理に到着。何人か降りた。そのまま眠っている人もいる。次の出発に備えトイレを済ませて待っていたが一向に出発しない。隣のバスも同じ調子なので“こんなもんか”と思い眠って待っていた・ 6:00、「麗江行くヤツは荷物まとめて降りて向こうの車に乗れ!」と号令。 |
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さっさと降り、得体の知れないオバちゃんに着いて行くと、民族衣装のオバちゃんにバトンタッチし、門の前に止まっていたIvecoのバスへ連れて行かれた。 手口は分かったものの、また料金を請求されたら対応が面倒だなーと思いながら出発を待った。 ポトポツ乗客が増え、6:50に漸く出発。料金の事は話が通っていた様子。 10分後に別のバスターミナルへ行き更に乗せ出発。 |
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7:05、?海が見えてきた頃には空も明るくなっていた。 |
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崇聖寺三塔の横を通過。 |
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塔の頭がナイスチョット! |
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大理の街を後に峠を駆け上がる。 またも思わぬ出来事発生!大理で乗ったIvecoは鶴慶止まりだった。また「あれに乗り換えろ」の号令で乗り換え。 |
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玉龍雪山が見えて来た。麗江が近い。 |
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素晴らしい青空に美しい雪山。ワクワクする。 |
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4年前にお世話になったSS。 健在で良かったが、この立派な看板は何だ? |
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麗江市内は随分整備が進んでいた。 |
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10:30、麗江到着。昆明の兄ちゃんが言った9:30から1時間遅れ。兄ちゃんには行程が全部分かっていたって事だ!だったら先に説明しろよ! 鶴慶から麗江に運んでくれたミニバス。 この車でも料金は一切請求されず。しっかりした連携プレーに感心。 |
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またもトイレで一息ついて直ぐに香格里拉行きの切符を購入。 11:40発が買えた。席には割と余裕があるようだ。 ここで成都へ行くバスを発見。これだけ長い距離乗り続けるとどこへでも行ける様な気がして興味津々。毎日13:00発。 |
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1時間ほど余裕が有ったのでバスから見えた古城の南門まで散歩。 きれいに整備されていた。 今回は街の中まで行けず本当に残念。 |
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貴陽から昆明のバスに乗っていた兄ちゃんが着ていた民族衣装風の服が欲しい。麗江なら有りそうだ。 |
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散歩した道端の食堂。大物を軒下にぶら下げていた。 |
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11:45、麗江出発。またもミニバス。4時間の旅には辛い。 麗江の街を出て直ぐ、緑のトンネルが気持ち良かった。 |
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所々に集落が点在。 |
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この辺りは瓦屋根に白壁。 |
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香格里拉の哈巴雪山と玉龍雪山の間を北へ流れる金沙江。 |
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全長15kmの虎跳峡。 断崖絶壁からの虎跳峡の眺めを期待していたが、道が変わっていた。 |
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トイレ休憩でのショット。 |
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道端に屯する老若男女。 労働節で休みだから? |
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雲が近い。 |
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香格里拉までほんの少し。 麗江→香格里拉172km、3時間45分。海抜3,300m。素晴らしい景色を堪能。 丸一日の滞在でも満足したが、しっかり観光するには現地で4日は欲しい。 息苦しかったが2人とも頭痛は無く助かった。 バスで拉薩まで行ける。3日は必要? |
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15:30、古城北門に到着。 ここでバスから降ろされたので帰りのバスを手配するのに苦労した。 正面のビルは今回泊まった宿。名前はOutDoor GuestHouse。 この後、バスターミナルを探して歩き回ったので市内の地理は完璧。 |
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「24時間熱湯が出る」とオバちゃんが豪語するから決めたのに、、、75元/人/泊じゃあしょうがないか。でもどう計算したら75になるんだ? 入り口の掲示板に貼り出されたツーリスト募集のメモを見て、宿のオバちゃんにTELして貰い、メインイベントの5/3の観光を安排 ・・・良かったー。 |
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古城北門から。 街は麗江の方が圧倒的に良い。 |
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北門から直ぐの老家。 運良く中に入れて貰う事が出来た。 |
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木造の立派な造り。この地方の家は木造。 周囲が観光化されている中、現在も生活に使われている
・・・それが売りか。 |
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くたびれた家はリフォーム中。その数多数
・・・急ピッチで観光化が進んでいる。 |
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メインストリートから一歩入ると人が少なく良い感じ
・・・でもこれじゃあ商売にならんだろう。 |
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街を見下ろす大亀山公園に立つ朝陽楼と巨大マニ車。 |
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大亀山公園から見た古城。 ほんのちょっと登っただけだが息が苦しかった。 大亀山公園からは郊外まで見渡せる。 |
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大亀山公園以外にも楼閣あり。 |
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手すりに手を沿え一周回ってみた。何事も無く無事帰って来れたのはこのお陰か。 |
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ルーフデッキで白人が2人日向ぼっこ。長期滞在者か? 長期滞在の外国人も少なくなさそう。 |
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古城の中に建っていた。今は人通りが少ないが、ここが街の中心だったらしい。 もう一つの中心は広場。広場には屋台が沢山出ており、牛毛牛肉串など食べた。新鮮なので美味しかった。 ムシャムシャ食べていたら後ろの席のオバちゃんがうるさい。と思っていたら今度は叩かれた。振り返ると「手机」と、地面を指差す。何と、私の携帯が落ちてるじゃない。カバンのポケットから落ちた。オバちゃん、ありがとね。 この後風が強くなりパラソルを支えながら焼き上がりを待った。 |
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中心からほんの少しの所に、昔のまま使われている家を発見。 |
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左の家は「出租」で借り手を捜している。大きな立派な家で、眺めも良い。ホテルになりそうな感じ。 街中あちこちに「出租」の看板が溢れる。 |
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旧家を改造した喫茶店。 |
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内装もご立派。良い雰囲気。 雨が降り始め、雨中のバスターミナル探しになった。市内を一周、約2km歩いても見つからない。ここで西蔵のKくんからTEL。「明日エベレストのベースキャンプまで行きます」との連絡。 宿に戻りオバちゃんに聞くと、メインストリート沿いに有ると言う。「無かった」と言うと「明日は有る」と、訳の分からん答え。ミニバスで行く事を薦められたが、もう一度歩いて調査。 途中でホテル警備員の兄ちゃん聞き無事発見、昆明までの切符が手に入った。雨の中、丁寧に教えてくれた親切さに感激し、切符を買ってからお礼に行ったらニコニコしていた。 |
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切符を買う時に“麗江”や“成都”がちらついたが、休みの残り日数を数え昆明直行便にした。往路より距離が約50km短い。この時はその理由が分からなかった。 市内のミニバスは停留所に路線図が無いので最初は要領を得なかったが、これも親切なホテル警備員の兄ちゃんのお陰で乗れるようになった。 バスターミナルを探しているときに発見した新市街メインストリート沿いの食堂。ぶら下がっているモノ、看板、色々興味深い。 |
2007.5.3(木) 桃源郷だ!
8:00、今回の旅のメインデー。肉まんを食いながら車の到着を待つ。 北京から来たカップルと相乗りだ。彼らによると包車代は100元/日 ・・・4人だから25元/人になったと、お互い喜んでいた。 “普達措”国家公園入口。途中、霧が濃く心配したが公園は没問題。 |
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切符売り場には行列。 入場料110元、場内バス90元、オプションで船30元。 高額だが殆どの人が船にも乗っていた。(我々は除く) |
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一周22km、こんな大規模な所だとは全く知らなかった。 北京のカップルと12:30車集合を約束しそれぞれ出発。 |
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場内バスは乗車口で押し合いへし合い。何処にでもある行儀の悪さ。 乗るまでが大変だったが、乗ってしまうと大声のお喋り無く乗務員の説明に耳を傾け、良い感じだった。 |
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属都湖 酸素は薄いが空気が美味い! |
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水面に映る影もきれいだ。 |
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何故かこんな所で蔵族のオバちゃんが機を織る。 |
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湖畔に2.4kmの遊歩道があり、景色を眺めながら散歩。 |
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牛毛牛が直ぐ近くまで来る。 背中のリボンで識別されている。 |
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雪山も美しい。 |
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風が吹くと寒い。 荷物を減らした結果の裸足にサンダル、薄いジャンパーじゃあ辛い。 |
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人が立ち止まる絶景ポイントには民族衣装を纏った蔵族が必ずいる。 |
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尼里塘亜高山牧場 |
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緑の時期(いつ?)はさぞかし素晴らしいだろう。 |
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生は素晴らしい風景だったのだが、、、 |
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ジャガイモ1元とソーセージ焼き2.5元を所望。美味しかった。 |
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碧塔海 オプションの船が走る。折角だからと敢えて船に乗らなかった事を後々後悔。 |
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本当に素晴らし風景だった。 ところが、街の中と同じ様にゴミをポイポイ捨てる輩が非常に多い!そんなヤツ入場させちゃいかんわ。でも選別できんしなー。 約束の12:30が迫るが一向にゴールが見えて来ない。焦る。 |
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さあゴール間近。この後、心臓破りの階段が待っていた。 |
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我等を運んでくれた“吉田栄作”号。 奥の料金所の向こうに公園の駐車場がある。通行料が16元なので手前で待ってくれていた。 約束から15分遅れの12:45に到着。誰もいない。 暫く待っていると、別の車の運ちゃんが“吉田栄作”似の我々の運ちゃん(蔵族:春ちゃん)にTELしてくれた。公園の中ですれ違った兄ちゃんも挨拶してくれたし、昨日のバスの兄ちゃんも、親切な人が多い事に驚き。 |
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戻ってきた吉田栄作曰く「北京人は3時半か4時にならないと戻って来ない」。 北京人は公園の素晴らしさに勝手に予定を変えたのだ。あいつらから時間を指定したくせに。 まあそんな事はどうでも良いので出発。 |
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走り始めた栄作が最初に止まったのはタイヤ屋。中古タイヤを2本買い、ルーフラックに放り投げた。2本で200元、うち1本はアルミホイール付き。 次に止まったのはバスターミナル。あと2ヶ所の観光はどうなった?「北京人を迎えに行かなければならないので行けない」と言う。しかも、1台100元が「2回行かなければならないので1組100元」とも。普段ならここで大喧嘩をする所だが気のいい兄ちゃんだったので、更に50元上乗せして草原まで行かせた。 |
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残る1ヶ所、西蔵寺院の松賛林寺はパス。後で知ったがOさんは寺の方に行きたかったとの事。悪い事をした。 帰り際に分かった事だが、市内を走る3路バスの終点が松賛林寺。3路に乗れば迷わず行ける。草原の帰り道にそれらしい建物が見えた。 |
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走り始めた栄作が次に立ち寄ったのは食堂。ここでタイヤを降ろした。 オバちゃんが登場し、何やら話ながら店の中へタイヤを運んだ。「あんたの家か?」と聞くと、「違う」との答え。そして、「腹が減った。飯を食おう。貴方達も」と言う。腹の減っていない我々は遠慮し、「何でさっき待ってる時に食べとかなかったんだ」と話しながら、彼が近所の食堂で米線を食べ終わるのを待った。この時栄作号は車道に尻を突き出し斜め駐車。酷い格好。 民家を見ながら栄作号は峠を越えた。 |
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草原“納?海”に到着。市内から北西8kmと近い。 周囲を山に囲まれた大牧草地。標高3,266mの湿地帯。 春から夏に掛けて雨量が増えると川から水が流れ込んで湖になり、香格里拉最大の放牧地になるそうだ。 帰りの車の中で栄作が「湖を見たか」と言う。「何処にある?」と聞くと、「500m行ったところ」と言う。たった500mなら先に言えよ!知ってたら見に行ったのに! |
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“花咲き乱れる”の香格里拉のイメージとは違っていたが、素晴らしい眺め。 Oさんもご満足。 |
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動物も人も動きがスローで、ここにいると時間の流れをとてもゆっくり感じる。 |
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早速乗馬を勧められたがお断りし、草原を歩いた。 |
狙い通りの最高傑作!三脚を使った訳ではありません。 この草原が湖になるとは。その姿も見てみたい。長期滞在したくなる気持ちが良く分かる。 |
まだ水は少ない。 これが栄作の言った「湖」だったかも知れない。 |
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どこかの車友会だ。 私が散策している間に吉田栄作とOさんは仲良しになっていた。栄作はOさんに「北京人を迎えに行きたい。20分で帰って来る」と言った。20分じゃあどう見ても帰って来れない。14:20、バスの時間には未だ早過ぎるが彼が帰って来ずバスに乗れないのは困る。草原も堪能したのでツアーは終わりにした。 |
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元々栄作には4時にバスターミナルに送って貰う約束だったが、北京人のお陰で大きく計画が変わった。 栄作の昼飯の誘いを断ったものの、昆明までの道程を考えると腹拵えはしておきたい。前夜、最初に入った食堂は服務員の態度が悪くオーダー直後に出た。次に選んだのがこのCAFÉ。地料理じゃないがキノコを使ったスパゲティー等、大満足。朝餐が有り、狙っていたが9:00営業開始と聞き残念に思っていた。予定変更、ここへ栄作に送って貰った。 |
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NOAH CAFÉからバスターミナルへはミニバス。 このミニバス、何と自動ドア!乗降客がいると車掌のオバちゃんが紐を引く(本当はワンマンなので運転手が引く)。乗降が終わると紐を離す。離すと、ドアの上に結んだゴム紐がドアを閉める仕組み。素晴らしい! |
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余裕を持ってバスターミナルへ。 昆明行きは大型寝台バス。座席を探したが数字が剥がれ判別不可能な席ばかり。嫌気が指し判別できない中でここと思う所に陣取っていたら、何番か2度聞かれた。1度目は何事も無く、2度目は席が違うと言われた。一つ前だった。表示はきちんとして欲しい。 定刻から少し遅れてバスは出発。 |
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途中、玉龍雪山の展望が売りの食堂で夕食休憩。 |
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NOAH CAFÉでたらふく食べておいたので夕食はパス。 売りの展望は素晴らしかった! |
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余りの素晴らしさにバスを入れてもう1ショット。 夕食休憩までは往路と同じ道をペース良く走って来た。休憩後、待てど暮らせど麗江の街が見えて来ない。山の中の九十九折をひた走る。何時間かして街が見えて来た。ところが麗江じゃない。大理州剣川、、、バスのフロントウインドに剣川と書いてあった。直行便は麗江を通らないんだ。これが50km短い秘密だった。 |
2007.5.4(金) Oさんとお別れ
ショートカットコースだがスピードが遅い。昆明に着いたのは6:00。なんと14時間! 昆明では想定していたバスターミナルの前を通過し、別のターミナルに到着。通過後、必死で道順を記憶し始めたら、火車站が見えて来て、その直ぐ隣に入っていた。想定から500mと離れていない。 安心して降りた所で胡散臭いオヤジに声を掛けられた。深?まで行くとの由、ラッキー、バスは隣の隣、10:00発、言い値の280元で直ぐ手を打った。 |
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お金を渡すと、オヤジは切符の代わりに古臭い定額の発票を出して来た。席は決まっていない。余りの胡散臭さに発票に車両No.を書いて貰った。席番も要求したが、それは書かなかった。最初に安排してくれた席は漏水でベチョベチョ。クレームを付け変えて貰ったが安心できない。取り敢えずTシャツを置いて訂座の意思表示をしてバスを降りた。 既に疲れ果てていたOさん、ここから空路で帰る事を決断。航空券を求めて2人で街に出た。 |
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最初はバスターミナルビル1Fの旅行会社で聞いてみた。航空券も有るが、営業は8:30からとの事で次を探す。5分ほど街に歩いた所でポン引きのオヤジとオバちゃんに声を掛けられる。オバちゃんは昆明で一番安いと豪語。直ぐ目の前にも旅行会社が有ったがオバちゃんの勢いに釣られた。 オバちゃんの店、言っていたより遠い。オバちゃん安排の三輪タクシーに乗せられ連れて行かれた。PC処理に時間が掛かったが無事10:30発のチケットをゲット。 |
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7:45、「有る」と聞いた火車站でマックを探す。が、無い。Dicosの事だったらしい。隣に有った日式拉面の味噌拉面で腹拵え。 タクシーで空港に向かうOさんを見送り、貴陽→昆明のバスに乗っていた兄ちゃんの着ていた民族衣装っぽい服を街で探した。しかし、見つからずバスへ戻った。 バスの位置は変わらず、Tシャツも有りホッとした。結果的に客は少なく、取り合いになる状況ではなかった。 |
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10:00発車と言われたので9:30に戻ったが看板を見ると11:00発車だ。だったらもっと服を探したのに。 定刻11:00を過ぎても一向に出発しない。11:30、漸く出発。 広州までの距離を聞くと、「1,700km」との答え。広州には11:00到着との事。 |
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出発し高速道路に出たと思ったら直ぐに降りた。別のバスターミナルへ行くのかと思っていたら、広東行きのバスが2台止まっている前に停車。何と、ここで「バス乗り換え」の号令!人数が少ないので3台で拾った客を2台に詰め込んだ模様。 「あれ」と指示されたブルーのバスに乗り、席をキープし体制を整えていたら、「広州は行かない。向こう」と、赤いバスへの再移動を指示された。赤バスへ行くと前方には席が無いから後へ回れと言われた。ところが何の拍子か一番前になった。 |
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12:20、漸く本格的に出発。 石林を通り、貴州省興義市までは往路と同じ道を戻る。そこから別れ南寧を目指す。牡蠣の産地、湛江を通り広州へ。 このリュックとサンダルだけで良く行って来れたものだ。 |
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余部鉄橋を思い出す。 |
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路上故障車が多く、頻繁に渋滞。そこで更に故障車が発生。トラックが殆ど。 18:00、夕食休憩。朝の拉面から何も食べていなかったのでペコペコ。先の行程を考えてもここで食べておく必要あり。 |
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入り口で先に食券を買う方式。 作り置きのセットメニューと材料を指定して作ってもらう事が選択できる。菜単は無い。 木桶の中身はご飯。その隣にセットメニューの料理が並ぶ。 |
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一気に3台のバスが着き厨房は大忙し。 個別メニューの材料は厨房内の棚に並んでいた。 運転手、乗務員は2Fの別室で食べる。厨房から運ばれて行く料理を見るとどれも此れも美味そう。 |
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青椒炒肉を作って貰い、ビールを頼んだ。美味しかった! ご飯と合わせて20元。田舎にしては高い。セットメニューも同じ様なものだった事から、客を運んでくれる運ちゃん達は免費に違いないと思う。 食べてる前で残飯の整理は勘弁して欲しかった。 |
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食堂の前に道路を占拠する軍団が登場。 きれいな三角形で行進する姿はとても美しかった。 |
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ルート沿いには修理工場やカーショップが点在。 5,000kmのうち3,000km以上一般路を走ったと思うが、安心して修理を任せられそうなところは見当たらなかった。これからの時代、マイカーの集まる観光地にはきちんとサービスできるお店が有って然るべきと思う。 |
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往路で撮影に失敗した滝。 フラッシュを止める事を忘れ、またしても失敗。 興義から南寧に向かうルートは山の中の九十九折が続く。 |
2007.5.5(土) Oさんと再会し健闘を称えあい、次の旅を決めた
1:30、南寧まで250km。ここまで起きていたが遂に眠ってしまった。気が付いたら外は明るくなり、南寧は通過し高速道路を走っていた。 期待の湛江では海は見えず残念! 11:40、無事広州へ到着。しかし、バスターミナルではなく、高速道路を出た所で降ろされた。 どこで降ろされるかヒヤヒヤだったが、分かる所で良かった。 夕食の時には夕方着を覚悟していたが南寧からはずっと高速道路でビックリするくらい早かった。夕食以降は一回も休憩停車無し。運ちゃんが2人とも若くて体力が有ったからだろう。カッ飛んでたし。 |
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バスを降りた所でOさんに連絡。牛蔵で一緒に昼食を摂る事になったので花園酒店行きのバスを探す。探し始めたところで、広州も中々良い街だと思った。やっと馴染んで来たのだろうか。 牛蔵でリュックを開けるとペットボトルがペチャンコになっていた。最後に飲んだのは貴州。やっぱり高い所だったんだ。 牛蔵でOさんと再会。健闘を称えあう。更にはママさんと旅行談義で盛り上がり、5月牛蔵桂林ツアーを決定! |