トコトコ中国バスの旅

 

Update : 2019.9.1

 

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▼雄県 – 宋遼辺関古地道

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【旅日記】

2019.8.31(土)  驚くほど順調で呆気なく到着。しかし、、、

6:00 アパートを出発。目的地は、河北省保定市雄県の宋遼辺関古地道。今週、NHKで曹操の城の地下道が紹介されていた。曹操の地下道ではないが、その番組を見たのがダメ押しになり今回の目的地に決めた。

 

東直門内から106路に乗車。バス停到着直前に追い抜かれ、1台スルー。どうなる事かと思ったが、3分ほどで次のバスが来た。天橋で乗り換え。2路、93路、120路ならOK。ここでは1分ほどで93路が来た。

 

出発時の気温は19℃。朝は肌寒い。日中は30℃を超え寒暖差が大きく、装備に悩む季節になって来た。

地下長城と呼ばれる宋遼の地下道は、門が開いていなかった房山区張坊(左上)、門を見つけることすら出来なかった河北省廊坊市永清県(右)に続いて3カ所目。今度こそ入りたい。

 

93路は、永定門の横を南進。木樨園橋を左折し、南三環路を東進。趙公口橋西で下車。

6:57 祥龍趙公口長途客運汽車站へ到着。

 

ついこの前、満城漢墓へ行った時に保定行きのバスを探しに来た。残念ながら保定行きは無かったが、雄県行きが見つかる収穫があった。それがあり、安心して来た。

 

「北京一卡通編の掟から外れるが仕方ない」と思っていたが、帰りの高速道路で雄県まで直線距離で約20kmの覇州火車站まで、永定門長途汽車站から943路で行けることが分かり、自分の調査不足に少々ガッカリ。

インターネットで雄県行きのチケットを買っておくことも考えたが、決めた時間に到着できるか不安だったので窓口で買うつもりで来た。

 

この前は空いていたので安心して来たが、沢山ある窓口のうち2つしか開いておらず行列が出来ていた。面倒だが、並ぶことにした。

 

少し並んでいると、3つ目の窓口が開いた。すかさず移動し、15人ほど抜いた。ラッキー。

計画して来た7:30の始発のチケットが買えた。雄県まで50元。

 

待合室へ行くと既に改札が始まっていた。同じ待つにしても、バスに乗っていた方が安心。安全検査を受けてバスへ向った。

ここからバスに乗るのは178年振り。しかし、ブランクを感じさせない。

あった、このバスだ。「安全運転でお願いします」と思いながら乗り込んだ。

 

7:32 定刻から2分遅れて発車。時計のせい?

いや、このせいだったのかも?

 

発車したバスは、南三環路を西へ進む予想に反しバスターミナルの東をどんどん南へ進んだ。

 

南五環路の手前で路肩によって停車。何事かと思ったら、横付けした軽1BOXから発泡スチロールのケースに入った荷物を幾つも積み込んだ。最近良くニュースになる海上の“瀬取り”のような光景。運ちゃんの懐に入るのか?

南六環路で進行方向が西に変わった。

 

間も無く営業を開始する大興空港の標識が現れた。う〜ん、遠い。開業したら、この道も混むことだろう。

9:16 終点の雄県へ到着。ところが、雄県汽車站ではない。それらしい建物も見えない。

 

地図アプリで確認すると、近くに在ることは間違い。それならば、確認は後にして先に進もう。

 

次は目的地を確認。路線バスで行くつもりだったが、2.8kmと出て来たので歩いて行くことにした。

街の中心を南北に貫く雄州路を南進。

 

最初のバス停で路線バスの状況をチェック。汽車站が起点のバスは幾つもあるので安心。

 

しかも、バスは頻繁に走っている。素晴らしい所。

ヘルメットも被らず走って来たバイクが目の前で止り、再度にぶら下げたトランクの蓋を開け携帯電話のようなモノを取り出した。

 

モノは携帯端末。駐車違反の取り締まり。

 

こんな田舎でも厳しいんだなぁ。

9:39 左折する文昌大街が見えて来た。

 

電動バイクは縦横無尽。これはお咎め無いようだ。

 

Mobike置き場が空なのは何故?

文昌大街を東へ。

いるいる、将棋に興じる爺さん達。

右折する将台路が見えた。あと少し。

 

ここも空。さっきは気付かなかったが、この看板、片面中国語、もう片面は英語。マクドナルドもケンタッキーも無いこの街で誰が読むのか?

流石にこれは許されないでしょう?

大ボリュームで音楽が聞こえて来た。

 

主は2人組のオバサン。朝からテンション高く、歩道で踊っていた。近所は迷惑に思わないのか?

9:53 宋遼古戦道バス停を通過。

 

念のため路線を確認。104路が汽車站へ行く。帰りの足が決まった。

 

バス停名が“宋遼辺関古地道”ではないのが笑える。文字数の関係?

地図アプリによると、宋遼古戦道バス停南の路地を左折し東へ向うと右に目的地の北門がある。

筈だったが、、、

トタン塀の隙間から覗くと、廃品置き場?

 

もう一度地図アプリをチェック。さっきの路地を左折せずに真っ直ぐ進むと、もう一つ門がある。そっちへ行ってみよう。

それらしい感じがする。

あった、あった。

 

しかし、柵がしてある。入れるのか?

歴史奇観 地下長城

 

間違いない。

 

入場料20元。小さな窓の向こうの服務員に50元渡し、チケットとお釣りを待つ。ここで、服務員の後のモニターに監視カメラが捉えた私の姿を発見。厳重だ。

チケットとお釣りを受け取ると、マジックハンドの如く電動で柵が開いた。

地図の中心に近いオレンジで塗られた部分が、雄県。

 

オレンジの線が地下道。右上の永清県へ続く。フラグは発掘された所のようだ。

 

万里の長城は凄いが、地下道も凄い。良く造ったあぁ〜。

さて、どこが地下道の入口?案内が無いので分からない。取り敢えず直進。

清代の鉄砲。

重厚感あり。

世界遺産とまでは行かないか。

説明が彫ってあるが、、、

北門?使われている様子無し。

こんなゴツイ装備の兵士が、ここにはゴロゴロしていたのか。

門から正面に見えたココが地下道の入口だった。

いざ地下道へ。

 

雄県には多くの戦争遺跡が残る。中でも、北宋時期の国境関であるこの宋遼辺関が最も典型的。1964年以来、雄県境界内の祁崗、孤荘頭、邢村で、灌漑、土取りなどのために相次いで青煉瓦構造の洞穴を発見。専門家によって、宋遼時期の軍事防御のための地下通路と鑑定された。地下道は、南西から東北にかけて、雄県、覇州、文安、永清などの県境にまたがり、東西65km、南北25kmに広がり、総面積は1600㎢余り。分布が広く、規模が大きく、伸びが長く、種類が多く、構造が複雑で、戦争機能が揃っている。

の国境関の古い本物の建物の材料は、規格と品質が統一された青煉瓦。穴の高さは異なり、広さは一様でなく、軍用施設、通気穴、水瓶などの生活施設がある。特筆すべきは、水筒。生活用途以外に、戦時には更に重要な機能のあったことが音響研究所の専門家によって論証されている。水筒を覆い、兵士が耳を水筒の底につけると、遠くの千軍万馬の疾走する音が聞こえる。穴の出入り口は民家や廟の神棚、井戸と通じており、四通八達、神出鬼没。

お〜。

 

高い所は1.9mほどなので真っ直ぐ立って歩けるが、天井の凸部分は身を屈めながら進む。

 

一体何処まで続いているのか?少々心配。

見つけた人は、さぞ驚いたことだろう。

所々に身を隠す横穴。

休憩所。広々している。

気温16℃、湿度76%

 

内部は涼しい。何度ぐらいか気になっていたら温度計が掛けてあった。気が利くねぇ〜。

 

冬は暖かいのだろうか?地上は-10℃以下の筈。

煉瓦がビッシリ。

奥は迷路。

 

しかも、やたらと低く、腰どことか膝も曲げないと通れないので結構しんどい。

さてどっち?

会議室。休憩所と同じ様だが、最初の通路と並行した通路に作ってある。

地上に出た。

 

芝生の下が地下道だった。

入って来た時には全く気付かなかったが、チケットの写真を撮った地点の左奥が出口だった。

 

と言うことは、総延長は200mにも満たない。それが分かってしまうと、欲が出て物足りない。

 

それにしても、こんな地下道が延々と続いていたとは、改めて恐れ入った。

永清県まで延々と。

建物の影にひっそり建つ石碑。

20181011日出土と言うから、目覚めたばかり。いったいどれくらい眠っていたのか?

周囲には畑が続いているが、雄安新区の開発が進むと住宅に様変わりして行くのだろう。

 

そして、新たな発見があるに違いない。

10:32 参観を終えバス停へ。

 

間も無く104路が来た。

クーラーが効き、1元と安い!カードで精算の人は更に半額?それが縦横無尽にバンバン走っている。これではMobikeの需要は少ないだろう。

 

往路は大通りを歩いて来たが、このバスごちゃごちゃした市街地を走り楽しい。

10:52 終点で下車。「汽車站」の筈が、後ろに「南站」と付いている。やるな〜。

 

ここでも汽車站は見えない。人の流れも無い。“ここが南站なら、北に行けば良いだろう”と路地を進んだが、全く気配無し。観念し、地図アプリに頼る。すると、バス停の100mほど先だった。

レトロなバスターミナル。

乗客は疎ら。

 

チケット販売の窓口で、パスポートと100元札を1枚出し「北京」と告げると、「11:20」と返って来た。素晴らしい。代金も朝と同じ50元。

 

ベンチに腰を降ろし電光表示を眺めていたら、11:20の次の北京行きは13:00だった。それならそれで、ゆっくりランチタイムにするが、早いに越したことは無い。

この小さなバスターミナルにも、北京行きの専用ゲートがあった。

 

セキュリティーの関係?などと考えていたら、発車5分前に始まった改札は隣のゲートだった。ハハハ。

これだ!

 

13:00発は、朝のバスだった。振動の多い草臥れたバスだったので、違うバスで良かったと思ったのも束の間、、、

11:20 定刻に発車。乗客は疎ら。

 

時間に正確で、動き始めてからドアを閉めるせっかちな運転手なのでバンバン飛ばして行くかと思ったら、、、

朝のバスよりも相当ボロい。

 

走り始めると、振動どころか至る所がガタガタで煩く、恐ろしい。

 

しかも、遅い!

その上、朝とルートが全く違う。

 

朝は高速道出口から街まで15分も走っていない。それが、あちこちで石油の露天掘りが行われている畑を進み、挙句の果てはすれ違いも難しい狭い道になった。

 

高速道路に入った時には、50分ほど経過していた。北京でラーメンを食べる計画を立てていたが、とても間に合わない。

北京界で検問。

 

降りて安全検査を受けるのかと思いきや、運転手が立ち上り身分証の回収を始めた。

 

全部集め終わると、バスから降りて行った。暫くして戻って来ると、一番前の乗客に全部渡し、後は前から順番に手渡し。このパターンは初体験。プライバシーなど有ったものじゃない。

13:38 祥龍趙公口長途客運汽車站へ無事到着。

 

ラーメンは夜に変更し、アパートに向かった。

14:57 趙公口から2路に乗車し、天橋で106路に乗り換え。この乗り換えに時間が掛かり、更には朝の様には進まず、朝の1.5倍時間が掛かった。

 

先週辺りからあちこちのバス停で、昨日、8/30に封切られた中国版“深夜食堂”の映画ポスターを見るようになった。TV版は中国でも大人気だった。街には“深夜食堂”を謳う店が山ほどある。きっと映画もヒットするだろう。DVDになるのが待ち遠しい。

 

夜、旅日記作りを中断し、昼に外したラーメンを食べに出た。前回、色々問題は有ったが、味が良かった“泥山鳥稲”の「泥丸鶏湯拉麺」。確認をしておきたいこともあったので、8月のキャンペーンが終わる直前に滑り込み。

今回は、店内が賑わっていた。お客さんは現地の人ばかり。しかも、20代が中心。リッチな人が多い。カウンターに座りオーダーすると、早速麺を茹で始め、直ぐに出来上がった。それを見て、“ふふふ”。前回は、チャーシュー入れ忘れだ!キャンペーンが終わると、28元から正規の39元になるが、ハマりそう。

 

本日の歩行距離9.7km16,112歩。上った階数4階。漸く地下長城に入ることが出来た。地面に溝を掘り煉瓦を積めば出来上がるとは言え、根気のいる作業。崩れたら下敷きになり、危険を伴う。やっぱりスゴイ!

 

順調なことは良い事だが、多少はスリルも欲しい。さあ、次はどこへ行こうか。



 

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