トコトコ中国バスの旅 |
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▼北京一卡通編 #78
【旅日記】
2018.8.26(日) 永清県宋遼辺関古戦道遺跡はどこに?
6:10目的地は河北省廊坊市永清県瓦屋辛庄村の地下古戦道。北宋初年、今を去ること1000年以上前に遼国南侵の防御のために作られた。東西65kmと言うから物凄い。以前行った張坊まで続いている。国家文物鑑定委員会の偉い人が万里の長城と並ぶ奇観と言ったそうだが、調べても調べても場所が分からない。行ってみれば見つけられるだろうと、往復12kmの徒歩を覚悟でアパートを出発。 先ず東直門内から106に乗車。永定門長途汽車站で943快へ乗り換え。 7:15 初めてのバス停で見つけるのに少々手間取ったが、無事乗車。 |
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二環路沿いを東に向け走り始めたバスは、永定門で右折。三環路を西へ向い、京開高速を南へ進んだ。 北京野生動物園を左に眺め、来年完成予定の新空港を超えて更に南へ。南四環路より南はゴルフ場以外足を踏み入れていないので、殆ど未知の世界。 |
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9:10 最寄バス停の王龍で下車。ここからは徒歩6.1km。 |
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早速農村へ突入。田舎の香水がプンプンして気分が悪くなった。 |
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ピシピシ聞こえると思ったら、羊飼いの爺ちゃんの鞭だった。 |
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次の村へ。 |
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9:34 集落が現れた。多くの家がリフォーム中だった。家の前には自家用車。農村も裕福になっている。 |
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農道には煉瓦が敷き詰められ、歩き易かった。 |
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とうもろこしの実はまだ小さい。 |
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全く標識が無いので、今日はNAVIが頼り。 |
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飛行機のエンジン音が聞こえるが、機影は見えない。南から北京空港の滑走路に進入する時は、この上空を飛ぶ。昨日、上海から帰って来た。生憎地上は見えなかったが、天気の良い日は真っ平らな大地が見渡せる。 |
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バイクから先ずステップアップするのが、この三輪車。後ろに2人乗れて寒さもしのげる。しかし、今は暑そうだった。 |
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ビール瓶のピラミッド。パフォーマンスかと思ったが、一番コンパクトに片付ける方法がコレだった。 今年2月にM4.3の地震がこの地方で発生した。このピラミッドは大丈夫だったろうか? |
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何せ、こんな格好で納品され、きっと回収されないのだろうから。 |
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農村の中でトマトの移動販売。大きな荷台にカゴが2つ。しかも、お客はゼロ。今日の商売は厳しそう。この日陰を選んで、スマホをいじっている所を見ると、売れなくても良いのかも。 |
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10:28 瓦屋辛庄村の迎賓路に出た。そろそろ看板が、、、 |
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村のど真ん中、中心路まで行っても、出て来ない! |
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村の中を散策しても見つけられない。 百度情報では、劉樹甲老漢院内とのことだが、、、 |
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中国郵政貯蓄銀行。ビックリ! |
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11:09 道行く人に聞いても見つけられず、諦めて村を後にした。 |
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農場の中の一本道を、王龍より一つ北京寄りの牛駝バス停を目指して進んだ。 酷暑の日本とは比べものにならない気温32℃だが、目的地が見つけられなかった喪失感と腰を下ろして休憩できる所が無い辛さに加えてアパートに帽子を忘れた失態が重なり、ヘトヘト。しかし、間違いなくもう来ることは無いので農場の風景をしっかり目に焼き付けながら進んだ。 |
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農場の展望台で、老板と数人の子分が指を指しながら話し合い。村の役人?不動産デベロッパー?新空港目当ての後者かな? |
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カットしたのか?されたのか?綺麗な葉っぱトンネル。 |
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12:34 牛駝バス停へ到着。やっと腰を降ろし水分補給。救いは、943路が直ぐに来たこと。“快”じゃなかったが、クーラーの誘惑には勝てず。 それにしても、余りで会うことの無い田舎具合だった。山の中ならいざ知らず、最寄バス停が6km先とは。動力の付いた乗り物を持っていないと不便で仕方ない。 |
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久し振りに検問に出会った。そう、近いが河北省だったから。全員降りて、身分証明書のチェック。 やっぱり持っていない輩がいる。しかし、しっかり管理されていて、IDを言うとコンピューターで照合されて通過できる。外国人がパスポートを忘れたらどうなるの?空港では指紋照合をやっているけど。その前に罰金か? |
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北京野生動物園。車で回るサファリパークのイメージだったが、違っていた。 |
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14:55 永定門長途汽車站へ到着。慢車だったことに事故渋滞が加わり、朝よりも30分ほど時間が掛かった。少しでも早く帰ろうと次は特12路を選んだが、二環路が大混雑で106路の方が早く着いたかも知れない。 本日の歩行距離17km、26,432歩。上った階数2階。上った2階は歩道橋。今日はどこまでも真っ平らだった。 目的地に辿り着かなかったことに未練はない。新しい路線と南部の開拓が出来たことで十分満足。しかし、この旅日記で永清県宋遼辺関古戦道遺跡の素晴らしさを伝えられなかったことが残念。 |