トコトコ中国バスの旅 |
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▼張家界
− 世界遺産の山を巡る [2008.9.26(金)、27(土)、28(日)、29(月)、30(火)、10.1(水)、2(木)、3(金)]
【旅日記】
2008.9.26(金) 久々の一人旅に中々腹が据わらない
ずっと以前から延び延びになっている張家界に、今年の国慶節休みには必ず行こうと決めていた。しかし、いつもの如くスケジュールを決めたのは直前。スケジュールに地図を付け、ルートをプロットし、友人達に誘いのメールを出したが、今回は誰一人参加表明なし。久々の一人旅になった。 目的地は、張家界を始めとする4つの世界遺産。これで未制覇の世界遺産は7つになる。 @張家界(湖南省)、A廬山(江西省)、B三清山(江西省)、C武夷山(福建省) 9/23(火)から仕事で日本へ出掛け、広州へ戻ったのは出発当日の昼過ぎ。のっけから慌しい。 |
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国慶節が近いためか金曜日だからか、天河客運站のチケット売り場は大混雑。 以前、土日で張家界に行けないものかと、この窓口で張家界への直通バスが無いか聞いた事が有る。答えは「没有」。そう言う事なので、乗り継ぎが必要。乗り継ぎに選んだのは、一番確実そうな湖南省の省都「長沙」。上手い具合に21:00発の切符がゲット出来た。200元。 旅に出ると沢山良い事が有る。しかし、つまらない事も少なくない。煩わしい事を思い出すと、一人旅をする腹が中々据わらない。ここで切符が無かったら、今回の旅は計画倒れだったかも。 |
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家に帰りシャワーを浴び、そそくさと準備。着替え3日分、洗剤、シャンプー、石鹸など等。忘れてはいけないのがバイブル「地球の歩き方」と、カメラと携帯の予備バッテリに充電器。リュックに詰め込み準備万端。 準備を終えた所で日本から持ち帰った大石屋のラーメンを作り、暫く味わう事の出来ない日本の味を最後の一滴のスープまで堪能。日本に帰ると必ずこのラーメンを食べる。厚さ1cmも有るチャーシューはもちろん、スープも麺も絶品。満腹になり気持ち良く出発。 |
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ところが、空の具合が良くない。夕方土砂降りになり一旦上がっていた雨が、また土砂降りになっている。 スニーカーは止めサンダルにして靴下までも荷物を減らしているのに傘は邪魔物なんだけど、、、結局傘を使ったのは天河客運站まで。4つの山でも常にウエイトだった。 今回の旅の準備として唯一予め遣って置いた事がサンダルの修理。前回ナイキの靴が壊れ大変な目に遭った事の学習効果。去年の夏、タクラマカン沙漠を一周する前に底が剥がれ、近所のマンションの1階の靴修理屋店で、30元で修理をした。今回は2度目の修理。踵のストラップが切れ、そのまま履いていると足の甲が痛くなるので縫い付けて貰った。修理は前回とは違い、近所のスーパーの2階にある修理コーナー。持ち込んだら直ぐに取り掛かってくれ、10分ほどで完了。10元ぐらいを予想していたところ、たったの1元と言う。庶民物価の安さを改めて実感。ハードな山登りにもびくともせず、修理してくれた兄ちゃんに感謝。 |
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20:20、少し早目に天河客運站へ到着。 案内表示が不親切で、待合所に辿り着くのに一苦労。現在改装工事中だから仕方ないと言う事にしておこう。 「5分前に案内」と、デカデカと書いてある割りに5分前になっても何もアナウンス無し。改装中で電光掲示が無いのは許せるが、アナウンスが無いのは許せない。改札に聞きに行くと、『遅れている。待て』と、オバちゃんに「煩い、黙れ」と言わんばかりの口調で言われた。全く気分が悪い。どれだけ待てば良いのかも分からないし。 |
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9月も終わりだが広州はまだ暑い。エアコンの効かない待合所には扇風機が用意されている。 この扇風機、足元にタンクが有り、タンクからファンにホースが繋がっている。良く見ると、ファンから霧が出ている。う〜ん、一見涼しそうだがこれで蒸し暑さが倍増している。 |
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21:05、バスに乗り込む事が出来た。ほんの少しの遅れで助かった。 割と立派なバスに安堵。事故と故障の無い事を祈る。 |
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ベッドには余裕有り。出だしは客を拾いながらノロノロ走り高速道路に出るまでに1時間も掛かったが、一旦高速道路に出ると後はガンガン走った。 いよいよ旅のスタート。期待に胸が膨らむが、早起きして日本から帰ってきた事も有り、高速道路に出るとほどなくして、道路からの振動を背中に受けながらも心地良く眠りに着いた。 |
2008.9.27(土) 天に聳え立つ巨大な岩は圧巻。ロープウエイが有って良かった
6:40、長沙汽車南站へ到着。小雨だ。この先が心配。 地球の歩き方によると、このバスターミナルは南方面行きで、張家界行は西站からになっており最初から不安。 |
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到着直前までぐっすり眠る事が出来たし、ノントラブルで思ったよりも早く着き良かった。 |
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先ず遣らなければならないのが足の確保。早速チケット売り場に行き電光掲示などを眺めていると、ガラスに「張家界」の表示を発見。8:40から4本ある様だ。これなら早く着けそうだと嬉しく思った。 ところが、手に入ったチケットはガラスには書いていない9:20。まったくもう。まあ、行けるには違いないので良しとしよう。108元。0.28元/kmは高いなー、国慶節が近いからか? |
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体育館の様な駅舎。何でこんなに天井が高いのか?全く意味不明。 |
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中央には毛澤東像。土地柄が良く出ていました。 |
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余りに時間が有るので駅舎の外に出てみた。 ここは路線バスの発着ターミナルにもなっており、眺めていると「火車站」との間を往復しているバスがあった。 以前長沙に来た時は、夜遅く空港に着き乗った市内行のバスが火車站前の交差点を左折し止った事を覚えている。しかし、夜だったので火車站以外の風景は記憶に残っていない。 火車站までどれだけ時間が掛かるか分からないが、危なそうなら途中で降りて道を渡り同じ番号の路線バスで引き返せば大丈夫だろうから、路線バスで市内散策する事にした。 |
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中心部に近付くにつれ通勤の人が増えて行った。 思った以上に距離があり時間が掛かる。が、このバスの運ちゃんはとても要領が良く(=マナーが悪く)早い。7:45までに火車站に着かなかったら途中下車しようと思っていたが、ギリギリ間に合った。 |
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余り時間が無いが、折角なので街を眺め、火車站まで行ってみた。 小雨で肌寒い。半袖なのは私だけ。地元の皆さんは上着も羽織っていらっしゃった。 |
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火車站。そうそう、この形だった。 |
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空港からのバスはこの辺りに止まった筈だが、、、 |
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日本料理の看板(右側)。お客さんはどんな人だろう? |
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8:35、バスターミナルへ戻って来た。出発まで十分時間はある。飯だ! 何処も同じだが、バスターミナルの近所には沢山食堂が並んでいる。ここをゆっくり物色。 |
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路線バスから沿線を観察していると、「常徳」の文字のある食堂が良く流行っていた。 他所と何が違うのか分からないが、看板に誘われ、この店に決めた。 |
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面と具を選んで作って貰う。 |
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排骨拉面。5元。 スープが美味かったー。 |
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9:10、時間通り改札口が開いた。 |
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なかなか立派なバス。 |
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張家界まで高速道路が続いていた。最近の中国の高速網には驚くばかり。しかし、ここはコンクリート舗装で振動が激しい。 相変わらず小雨。山の天気が気になる。 |
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山が現れて来た。そろそろ近付いて来た様だ。 |
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高速道路が出来る前はこの道を通っていた。さぞ時間が掛かった事だろう。 |
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世界自然遺産「武陵源」の看板。いよいよだ。 |
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しかし天気が芳しくない。 |
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12:50、張家界料金所へ到着。いつしか雨は上がっていた。 高速道路はここまでだった。 |
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バスは張家界のバスターミナルに行くものだと思っていたら、道端で降ろされてしまった。 張家界は地球の歩き方に地図が載っていたので助かったが、難易度が高い。 |
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この道(回龍路)を500mほど進むと左手にバスターミナルが有る筈。 この街、目に映るもの、聞こえて来る音、匂い、一昔前の北京前門界隈を思い出した。 |
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リタイヤ組が将棋を楽しむ姿も同じ。 |
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13:15、バスターミナルを発見しホッとした。地図の位置のままで良かった。 世界遺産の正式名は「武陵源自然風景名勝区」。張家界国家森林公園、天子山自然保護区、索渓峪自然保護区の三大景で構成されている。全部回ろうと思ったら一週間は掛かるそうだ。 ここでの観光は翌日の昼までの予定。観光の目玉は黄河岸景区の頂上(天子山)と黄石寨景区の頂上(森林公園)と言う事で、先ずは最もポピュラーと言われている森林公園を最初の目的地にした。 チケット売り場で『森林公園』と言うと、『外に出てバスゲートから待機場に入って』と言われチケットは売って貰えなかった。 |
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ここで目に付いたのは“鳳凰古鎮”のポスター。以前、「世界ふれあい街歩き」で知って以来とても興味がある。今年春に友人のMSさんが行った。写真を見せて貰い、更に興味が深まっていた。その町が直ぐ近くにある。 |
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言われたと思われるゲートから待機場に入った。 |
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おぉ、これだ! 既に乗り込んでいる人がいる。私も乗って出発を待った。こうなると出発が待ち遠しい。 |
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13:35、出発。 森林公園行なので観光用かと思いきや、観光客は私だけ。中途半端な時間だったからかも知れないが、地元市民の足だった。 |
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14:15、張家界国家森林公園に入ったか? |
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エントリーにはホテルが並んでいる。MSさんはこの辺りに宿を取った様だ。 奥には張家界の山並みがハッキリ見えて来た。 |
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14:25、到着。 公園に入る前から圧巻。 |
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いよいよ中へ。時間が遅いためか、観光客はまばら。 |
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公園は兎に角広い!黄石寨はどこ? |
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高い! 3年前の地球の歩き方には、3ヶ所共通、2日間有効の入場券が160元と書いてある。随分値上げしてる。 |
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このカードが入場券。これに加えて、指紋登録してやっと入場できる。 指紋認証なんて難しい事しなくても、大らかにやれば良いと思うが。 |
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入場して直ぐ、せせらぎの良い響きが聞こえて来た。 清流に魚の影が良く見えた。 |
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少し進むと、この素晴らしい風景が現れた。 天気が良かったらなー。ちょっと残念。 |
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ほぼ計画通り最初の世界遺産に着いた。 |
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さあ頂上を目指し登山開始。 ところが、少し登った所でとても急な階段が現れ、直ぐに断念。ロープウエイへ変更。 |
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ロープウエイ乗り場までの道路脇で崩れ掛けていたこの建物は何だったのか? |
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急階段とは比べ物にならないが、ダラダラ坂も1km以上続くとしんどい。 時々バスが横を通る。しかし、この道を歩いて行く人は誰もいない。そう言えば、歩き始めた所の近くに人を並ばせるための迷路の様な屋根付の場所が有った。どうも、そこから送迎バスが出ていた様だ。案内表示を分り易く出してくれていれば苦労しなかったのに、、、いやいや出発前にMSさんの旅日記をちゃんと読まなかった私の落ち度でした。 |
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漸くロープウエイ乗り場に到着。 下りは当然自力。片道チケットを購入。48元。 |
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団体のツアコンが私の直ぐ前で何十枚もチケットを買った。その後になるとロスタイムが出るので嫌だ。 さっと買い、ゲートまで走った。団体を追い越し、待ち時間ゼロで乗る事ができラッキーだった。 ロープウエイは発車すると一気に高度を上げ、瞬く間に景色が変わって行った。 |
あっと言う間に頂上へ到着。 MSさんは頂上に登った所で霧が濃くなり何も見えなくなったそうだ。霧は濃くなって来たがまだ見えない訳ではない。まだ大丈夫。一周3kmの遊歩道を回ってみた。 |
霧で見晴らしが悪いのは残念だが、地球の歩き方の「にょきにょき天に向って伸びている岩山群が一望でき、あまりの素晴らしさに言葉を失うほど」は十分実感できた。 |
自然の力とは凄いものだ。 縦に撮るのは好きではないがここではしょうがない。 |
夫々の見所には名前が付いており、展望台もあり観賞し易い。 観光客が少なかった事が特に良かった。国慶節には大勢訪れるらしい。・・・後に三清山と武夷山で大変な目に遭った |
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こんな景色に巡りあえる期待を持って来たのだが、、、 |
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五指峰。確かに5本の指の様です。 |
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遊歩道一周し最後のポイント「六奇閣」に辿り着いた所で霧が濃くなり、下界は真っ白の世界になった。 結局運は良かった訳だ。 |
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頂上の遊歩道だけでも結構ハード。ロープウエイを選択して良かったとつくづく思う。歩いて登っていたら、辿り着けたとしても何も景色は見えなかっただろう。 さあ、下山。地図はあるが、実際の地形とマッチしておらず道が見つけられない。 |
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そろそろ店じまいの売店の服務員が歩いて来た。 彼女は手に荷物をぶら提げ、この坂を下って行った。その姿を遠目に見た私は、てっきりここが近道だと思い込み粘土質の舗装されていない坂を転びそうになりながら下った。 ところが、この道は先にある食堂に繋がっているだけだった。ガッカリ。 気を取り直しもう一度坂を上がり、地図(↑)を良く見直し漸く下山道を見つけたのだった。 |
下山途中の風景もまた素晴らしいものだった。 |
所々崖淵に展望台が設けられている。但し、ここに行くのは色々な意味で怖い。 今回の唯一のお土産がこの“石”。普通に落ちていた物を拾っただけ。でも持ち帰っちゃいけないかな? |
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山の中に土家族の小姐達がいた。民族衣装を貸して写真を撮る商売だ。 営業時間終了とみえ着替えを済ませている子もいたが、皆で民族の歌を合唱してくれた。 カメラを向けるとポーズを作る人擦れした子もいれば、恥ずかしそうに隠れる子も。 |
どの眺めも本当に素晴らしくて圧倒される。 |
下って来た。下りだけでも45分ほど掛かった。 最初の計画では2日目に別の風景区に行こうと思っていたが、この天気に坂の辛さが決め手となり、目的地を鳳凰古鎮に変更。 別の風景区に行く場合は風景区に泊まる事を考えていたが、鳳凰に変更したのでバスターミナル近くに泊まる事にした。 |
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張家界バスターミナルからのバスが止まった所に行くと、行きと同じ種類のバスが止まっていた。 そのバスに乗り込み出発を待っていると、仕事帰りの地元の人々が大勢やって来て満員で出発。しかし、山を降りるまで数kmの間に殆ど下車。 バス停周辺の土産物売り場も凝った作りで面白い。 |
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バスは電灯どころか星も月も無い真っ暗闇を走り抜け、張家界の街に戻って来た。 見覚えのあるサウナの前を通過。次の交差点を右折するとバスターミナル、、、しかしバスは直進。少々不安。暫くすると右折し市街地へ入った。少し走った所で、私を含めて3人に成った乗客に運ちゃんが『どこまで行く?』と声を掛けて来た。バスターミナルと答えると『ここで降りろ』と、降ろされた所はバスターミナルの正面だった。良かった、良かった。 しかし、既にバスターミナルの門は閉まっており、鳳凰行の足が確保できず少々緊張。 さあ、宿の確保。周りを見渡しただけで数軒ある。昼に「普通間 15元、25元」の看板を見た“青年酒店”に先ず行ってみた。 |
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フロントで小姐に空きが有るか確認。残念ながら15元は無かったが、25元と30元は空いていた。 30元の部屋は広くて良いと熱心に勧めて来る。取りあえず部屋を見せて貰うとツインだった(←)。ベットは一つで良いが、特別不足は無い。シャワー・トイレも許容範囲だったのでここに決定。 フロントに戻りチェックイン。こんな所でも宿泊記録を取る必要がある。身分証明書を見せろと言われ、パスポートを渡すと怪訝な表情になった。理由は2つ。@外国人だった事に驚き、Aパスポートの記録を読取り宿泊カードに書き込む事が出来ない。 と言った状況だったので、宿泊カードは私が記入。それを見ながら、小姐は『50元の部屋が有る。安全だ』と勧めて来た。『さっきの部屋で十分』と、鍵を受け取り、鍵のデポジット10元を含め40元渡した。 |
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看板に偽り無しの24時間温水の出る共同シャワー。 夕食の後に使ったが、前の人が中々出て来ず随分待たされた。 |
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長くは居座れないが、割かしきれいな共同トイレ。 安宿に泊まる時には、部屋・シャワー・トイレの確認は必須。どうせ一泊、これだけ整っていれば十分。 |
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宿が決まったところで夕食。宿の小姐に『良い所は無いか?』と聞き、指差された方向に回龍路を歩き物色。 200mほど歩いたところで、この看板を発見。湖南の田舎料理が食べられそうなので入ってみた。 店の中には地元の人々が数組。部屋で盛り上がっている人もいれば、一人で食べている人も。良い感じなのでここに決定。 |
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しかし、一人では何種類も食べられない。こう言う時に選ぶのはメニューの一番上の料理。 ここのメニューのトップは「農家小炒肉」だった。肉の種類を聞くと、豚だと言う。私の持つ湖南料理のイメージにも合うので、それに決めた。 『唐辛子は?』と聞かれ、『少し』と答え出て来たのがこれ(←)。美味かった〜。ビールが進む進む。至福の時。25元。 ご飯は木桶にどっかり来た。残念ながら美味しく無い。大部分が残り勿体無いと思っていたら、客が帰ると木桶に残ったご飯をお釜に戻して再使用していた!これがこの土地の流儀なのかこの店だけなのかは不明。 |
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宿は、昼に歩いた回龍路に面し、バスターミナルまで1分。 外の騒音が気になったが、山登りの疲労に軍配が上がり直ぐ眠りに着いた。 4:00頃、猛烈に頭が痛くなり目が覚めた。まいったなー、まだ始まったばかりなのに。兎に角明るくなるまで寝て直さねば。 |
2008.9.28(日) あんな山奥に、あんな素晴らしい町があったとは、、、
6:30、起床。頭痛は随分良くなっていた。旅は続けられそうだ。そそくさと荷物をまとめ宿を出発。鳳凰への足を確保するため、早速バスターミナルに向った。 窓口に並ぶと、横に立っていたオバちゃんが『鳳凰、鳳凰』と、声を掛けて来た。話し掛けると、『8:30、窓口でチケットを買って』と言う。提示版で確認した時間と同じだ。しかし、これで予定通り行ける事が分かり安堵した。 窓口でも問題なく、8:30のチケットをゲット。61元。 それにしても、一日2本しかないバスの呼び込みをチケット窓口の横で遣っているとは不思議だ。 |
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足が確保出来たので次は朝食。 宿の3軒隣の食堂に人だかりが出来ていた。昨夜食堂を探した時、最初に目に付いた店だ。地元民で人だかりが出来る店はそう外れが無い。 覗いてみると真っ赤な鍋が食欲をそそる。これを具にした米粉を食べている人も多い。お世辞にも綺麗と言える店ではないが、ここにした。 私は、店のオッチャンお薦めの木耳米粉(←)を食べた。スープが絶品!汗をかきながら全部飲み干した。5元。 入口で揚げていたパンも売れ行き抜群。これも食べてみた。1元。お兄ちゃん、かなりカメラを意識。 |
8:10、随分早いがもう乗車が始まっている。 座席指定だが遅くなると席が取られ、面倒なので乗り込んで待った。 |
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暫くすると満席になり、ほぼ定刻に出発。 |
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鳳凰までは高速道路は無い。 MSさんの旅日記によると5時間。このバスは街からなので4時間で着くらしい。 |
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30分も走ると山岳路になって来た。 |
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巨大な岩山も現れて来た。 |
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暫くワインディング路が続いた。 |
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10:20、峠の頂上のトンネル手前でトイレ休憩。 |
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有料トイレ。1元。 中は写すに耐えられない状態。 |
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豚までも放し飼いとは大胆。 |
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沿線の所々で旧家の集落が目を引いた。 |
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並行して列車も走っている。 |
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11:43、首吉站通過。 列車の場合はここで下車しバスに乗り換え。 |
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トラックが生活の足として大活躍。 キャビンの上が一等席? |
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12:50、予定より20分遅れて鳳凰到着。 先ずは次の足の確保。次の目的地は江西省の廬山。 掘っ立て小屋のチケット売り場で話を聞くと、江西省の南昌を通過するバスが15:00に有る事などが分かった。しかし、鳳凰を見て回るのにどれくらいの時間が掛かるか読めなかったのでチケットは買わず。 鳳凰古鎮を目指してバスターミナルを出たものの、どこに町が有るのか分からない。バスが来た方には無かったので反対方向に進んでみた。 |
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バスターミナルから頭の見えていた時計台の正体は、新バスターミナルだった。 観光客が増えているのだろう。 |
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鳳凰古城の道路標識を発見!これでひと安心。 |
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ところが、行けども行けども辿り着かず。 |
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反則だがタクシーに乗ってしまった。 |
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なんと、初乗り3元! 地方の物価は安い。 |
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4元で到着。最初からタクシーにしておけば良かったとも思う。 楼閣の奥が鳳凰古城だ。 |
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城外にも時代を感じる建物があった。本当に時代物かは不明。 |
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城内に入ると、先ず目に飛び込んでくるのがこの広場。 MSさんも言っていたが、「後から作りました」そうろうで拍子抜け。 広場中央の“鳳凰”のモニュメント。鳳凰には「訪問者を歓待」する意味があるそうだ。 鳳凰古城は、小説「辺城」の作者”沈従文”の故郷としてとても有名だそうだ。 |
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古城景区入口にチケット売り場。 ここから先が目的の古城。漸く着いた。 |
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ガイドマップはあるが、今一つ分からない。 取り合えず直進。 |
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2日間有効のチケットが236元、ここも高い! チケット無しでも入場できそうなので買わず。 |
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朱嫆基さんによる“鳳凰城”碑。往時はこの広場が民族の憩いの場だったのだろう。 鳳凰は湘西で今最も人気の観光スポット。立派なカメラの観光客のスポットを浴びていた。 |
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こう言う所に入るのは有料。 時間も限られているので外からの鑑賞のみ。 |
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奥に行けば行くほど味わい有り。 |
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歴史を感じる石畳。 子犬がウロウロしていても誰も気にせず。観光客の食べ残しも有り、彼らにとっては恵まれた環境だ。 |
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苗族のオバちゃん達が商売に励んでいた。 |
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脇道にそれると更にエキゾチック。 |
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将棋に屯するオヤジ達は働かなくて良いの? |
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鳳凰の屋根瓦は、独特の青色。青色の方が硬いことに加え、赤色は“喧嘩をして赤くなった顔”を想起させるので、青い瓦を好むそうだ。 屋根には瓦を積み重ねて行くが、瓦の反りが風を通し、家屋を涼しくさせる効果がある。 そして、鳳凰を模った飾り瓦が非常に多くみられる。 |
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上手に色々な物を作ってらっしゃいました。 |
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時間が有ればどんどん中へ入って行きたかった。 |
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「払わんと病気になるぞ」と、MSさんがとんでもない額のお布施を要求された所。教えに従い中には入らず。 |
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1階は土産物屋ばかりで興味が沸かないが、2階は実に面白い。 |
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東門。立派な楼閣と城壁に心が躍る。 有料で楼閣に登れるそうだ。 |
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古い町並みは城外も続いていた。 |
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沱江に掛かる虹橋。 見た目は蔵の様だがれっきとした橋。ここも有料で登れるそうだ。 |
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石城周囲2km余り、城高5.7m、頂寛3.7m。 1203年に最初の土城ができ、1556年に改築、1715年に石城に改築された。 古城1.8kuに古民居建築300以上、大小街道20余りなど、細かく記されている。 |
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虹橋から東門を望むとタイムスリップしたような感覚になる。 |
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虹橋の内部はアーケードのような作りで、ずらりとみやげ物屋が並んでおり直ぐに現代に戻った。 |
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土産物屋からの景色が絶品! しかし、中に入って撮ると2元要求される。土産は売れそうにないから、写真収入で支えられているかも。 |
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川沿いに見えるのが「世界ふれあい街歩き」を見て印象深かった“吊脚楼”だ。 川に沿って建てた狭い家の利用面積を広げるため、川にせり出すようにした作り。そのせり出した部分を“吊り下がった脚”のように支柱で支える様式。 もともとは、城壁内に住めない人々が、城壁のすぐ外側と川との間に住むために工夫したもの。現在は鳳凰名物の民宿として大切にされている。 |
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実に美しい。 余りの素晴らしさに、ここに泊まる事も考えた。 |
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屋形船に乗るのも良いかも。 |
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跳び岩に向い対岸を進んだ。 |
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ここでも苗族のオバちゃんが頑張っていました。 |
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中国各地の大都市の方角と距離が書いてあった。 距離はともかく、方角が思っていたのと全く違っていた。曇り空で太陽の位置が確認できていなかったとは言えガッカリ。 |
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この人のモニュメントは何だったのだろう? |
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田家祠堂。 |
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跳び岩が見えた。あと少しだ。 |
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民族衣装の貸し出し。良く流行っていた。 |
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跳び岩。四角い石を並べて対岸まで渡してある。 もちろん手すりは無く、ただ足元に気をつけて渡るのみ。慣れてくると“跳ぶ”ように渡れる。 水面からあまり高さが無く、増水した時は水面下に沈む。 隣の橋から写真を撮るため大混雑。 |
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跳び岩から虹橋方面を望む。 |
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スカッと晴れていたら、さぞ良い眺めだろう。 |
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奥に見える鳳凰大橋からの眺めも素晴らしいらしい。 |
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随分長い事このポーズでいたなー。お疲れ様。 |
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北門。実に立派。 |
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吊脚楼と城壁。 吊脚楼には“今日有房”の札が並んでおり、「泊まってみようか」と、少し心が動いた。 MSさんはここで食事を摂り、大満足されていた。残念ながら私は素通り。しかし、後で美味しいものに巡り合い挽回。 |
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吊脚楼の構造をじっくり観察。 |
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洗濯は沱江で。ベットのシーツも洗います。 |
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漂亮! |
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鳳凰名物”生姜飴”の実演。金ピカの飴だった。 |
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売っているものには興味無いが、看板に惹かれた。 |
路地で屋台を発見。どれもこれも美味しそうで目移りする。 竹に入れて蒸したもち米に黄粉を塗したもの、お好み焼き、沢蟹の唐揚げ等々。 一通り物色したところで、店の前に座り込んで食べている人がいたライスバーガー(上の写真では右端)を選択。これは、もち米をフライパンで焼き、切れ目を入れて惣菜を入れたもの。2元。 美味しかったが、顎が疲れた。 |
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次に食べたのがこの大判焼き卵バージョン。2元。 |
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これが実に美味しかったー! ライスバーガーのしっかりした歯ごたえとは正反対のフニャフニャしたもので食べ易かったし。 |
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鳳凰古城への滞在時間はたったの70分余り。それでも自分なりに堪能できた。近郊には黄絲橋古城や南方長城、苗族の村などの見所が点在しているそうだが、元々計画外なので今回は近郊までは足を延ばさず次を急いだ。 時間の関係で、復路も反則してタクシーを使用。バスターミナルまで行ったので1元高く、5元。 予め聞いておいた15:00発温州行バスの南昌までのチケットを無事購入。240元。しかし、路線バスの切符に手書きしたもので、実に怪しい。本当に大丈夫か? |
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出発の15:00まで少し時間が有る。今日は“深夜特急”、夕飯がどうなる分からないところに美味しそうなものを作っている屋台を発見、直ぐに吸い込まれた。 |
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主食となると、ここでもやはり米粉。ビールも飲んで7元。・・・ビールが4元だった。 ここで食べておいて正解だった。夜中にサービスエリアで夕食休憩が有ったが手が出ず、パンとコーラで凌いだのだから。 |
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出発時間が近付いても温州行は現れない。堪りかねてチケット売り場に確認に行くと、温州行はオバちゃんの思い違いだった事が判明!方法は武漢経由に絞られた。 それならそれで、覚悟を決めるのみ。でも、武漢は待ちが3つに分かれ、長江の南北もあり、どこに着くかで条件が大きく変わる。それが分からないばかりか、手元の地球の歩き方には湖北省は解説されていない。微かな記憶を頼りに出たとこ勝負! チケット売り場のオバちゃん、チケットに書いた内容を改める事無く、料金についても一切発言なし。心配になって確認すると、そのままで良いと言う。一応ノートに記録していた様だが、、、実に怪しい。半分ぐらいはオバちゃんの生活を助けたんじゃないか? |
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乗り込んだわ良いが、発車予定の15:10を過ぎても一向に出発しない。 暫くすると、バスの横にタクシーが乗り付けて来た。本来タクシーはここには入って来れない。無茶なヤツがいるなーと思ってみていたら、手に部品を握り締めた、この深夜特急のドライバーだった。 ノンビリしていた訳ではなく、出たくても出られなかったのだ! 15:35、エンジンが掛かり、25分遅れで出発。 |
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国慶節の直前でもあり、さすがに車内はガラガラ。 |
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トイレ休憩のサービスエリアで洗車。 休憩の短時間に完成させるため、標準業務ができていた。恐れ入りました。 |
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鳳凰の町が近付いた所で、道端の屋台に止まった。理由は、運ちゃんの買い物だったと思われる。これくらい大らかでも良いじゃないですか。 さすが湖南省、屋台にぶら下がっているのも、山になっているのも唐辛子! |
2008.9.29(月) 山頂までのドライブウェイの風景も素晴らしい
5:00、武漢到着。下車したのは武昌火車站の近くだった。 少し前に漢口火車站前に停車。そこで下車した人も少なくなかったが、漢口の位置を必死に考えても思い出せず、近くにバスターミナルも見当たらないので降りなかった。再出発したバスは長江を渡り武昌火車站近くの小さなバスターミナルで止まった。 ここのターミナルは閉まっており、外で待っている人がいる。次に目指す方向へ行くバスの有無も確認不能。列車はどうかと思い、武昌火車站に行ってみた。 |
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確か’97年の春節にここから北京行の列車に乗った筈。しかし、大変立派な駅になっており、当時の記憶と全く一致しない。違う駅から乗ったのかな? |
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列車は本数が少ない事、椅子が硬い事など、元々検討対象外。しかし、今回は「廬山に早く着けるなら」との思いから覗いてみたが、長蛇の列を目の当たりにし直ぐ思い直し、バスが着く前に見つけた灯りの点いている大き目のバスターミナルに向った。 |
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まだ暫くしないと夜は明けないが、ここにはとても大勢の人がいた。 それに合わせて、客引きも大勢いた。彼らは目的地を書いた紙を持って呼込んでいる。それを見ると、廬山の足元の「九江」も有った。試しに聞いてみたが、良い返事は無かった。 |
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バスターミナルも長蛇の列。しかし、ここは並ばなくてはならない。 こう言う所で並ぶコツは、クローズしている窓口の動きを良く観察する事。そして、オープンを感じたら一目散に走る事。もし開かなかった場合は、何食わぬ顔をして元並んでいた所に戻る事。前に出て横は入りするのはダメです。 このコツによって、ここでも随分ジャンプアップして「九江」までのチケットを購入。80元。 |
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これで安心して朝食。 ここでもバスターミナルの周囲を一通り物色。 バスターミナル近くは流れ客が殆どで、客の入りは余り参考にならない。出しているものと客の反応をじっくり眺め、ここに決めた。 |
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炸醤面にしてみた。6元。 美味しかった。北京の味噌味とは違う。 |
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お好み焼きを食べようと思い、武昌火車站に戻った。 残念ながらお好み焼き屋は店じまいしていたが、トイレに行きたくなったのでここに並んだ。 1元コインを投入する自動式。凄いのは、汚物をビニール袋で受け、“流す”ボタンを押すと水が出るのではなく、ビニール袋が下がる事。これだけ並んでいても刺激臭は残っておらず素晴らしい!裏には大きく膨らんだビニール袋が山積みになっていましたが。 |
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体が軽くなり食欲倍増、バスターミナル前の中式ピザと思しきこれを観察。 食べようと思い、この写真を撮った瞬間に私のカメラのフラッシュの何倍ものフラッシュが店の奥で発生。屋内配線がショートだ! これで鉄板が冷めてしまい、お好み焼きに続けて2連敗。 |
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次に目を付けたのがこれ。 大きなフライパンを常に回しながら、もち米を練炭でじっくり焼いたもの。 |
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焦げた感じが最高!3元。 |
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待合室でゲートオープンを待っていると、「九江、九江」と聞こえて来た。まだ時間前だが。 聞いてみると、私が乗るバスだ。他の数人と共にオバちゃんに着いて行くと、バスに案内してくれた。バスは既に満席に近い。一体どうなっているのだろう? |
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7:40、定刻に出発。 |
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運良く右の窓側をゲット。 このバス、何となく嫌な予感がしていた。それは出発間も無く的中。1Boxと接触しよった! どうやって決着させたのかは未確認。折角ならそこまで知りたかった。 |
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南湖。長江かと思った。 |
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9:45、ガソリンスタンドでトイレ休憩。ここまでは順調。 |
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旅に出て初めて青空を見た。廬山への期待が膨らむ。 |
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人が降り始めた。そろそろ九江が近い様だ。 ところが、客が降りたのに発進しない。何が起きたのかと興味深く見ていたら、このバスの行き先を書いた幅50cm、高さ30cmほどのプレートを抱えた男が脇に止めた車に乗り込んだ。それを追ってバスの車掌が車に駆け寄り、返すように懇願している。埒が明かないのでバスを通行の邪魔にならない所に移動させ運転手も交渉に加わった。相手は3人。暫く押し問答していたが、結局プレートばかりか車掌も拉致され走り去って行った。何だったんだろう? |
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再出発したら直ぐ長江が現れた。 |
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列車と共用の素晴らしく美しい橋だった。 |
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1585年創建の鎖江楼塔と1986年に再建された水滸伝に登場する潯陽楼が見えた。 |
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11:35、九江到着。 |
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早速チケット売り場を探し廬山行きのバスを手配。 一番早いのが12:40発。15元。 時間が有るので市内散策に出掛ける事にした。 |
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地球の歩き方でバスターミナルの位置が地図通りである事を確認。これで安心。 また反則だがタクシーで行こうとしていたら、バイクタクシーが声を掛けて来た。鎖江楼塔まで幾らか聞いてみるとべら棒に高い。歩いて行く事にした。 先ず近場の能仁寺を目指した。この寺は九江三大禅寺の一つ。他の二つは現存しない。 |
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小ぶりの椀に色々な具と面、美味しそうだったが、時間が無いのでパス。 |
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野生のスッポン、鳥、亀、この辺りには同じ様な店が並んでいた。 街を見て回るのは楽しいが、目的の能仁寺が見つからない。道が違うのかと思い方向を変えてみても見つからない。結局見つけられず時間切れ。残念。思った以上に奥まった所に有る様だ。観光スポットとは言えないかも知れないが、看板ぐらい有っても良いんじゃないの。 |
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バスターミナルに戻った。出発までには少し時間がある。時間が無いなら諦めようと思っていたが、昼食タイムにした。 周囲を見渡しても気を引く店が見つからない。普通なら選択肢には無いが、作り置きの快餐にしてみた。 |
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この中から4種類を選ぶ。 回鍋肉、麻婆豆腐、豆、西紅柿炒鶏卵を選んだ。 |
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ビールも入れて11元。 期待せず口に入れた所で驚いた。実に美味い!ご飯は馴染めず食べ切れなかったが、おかずは皿がピカピカになるほど完食。 |
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気持ち良くバスターミナルへ。 ところが、発車10分前になっても何もアナウンスが無い。掲示も無いのでどうなっているのか分からない。 インフォメーションへ聞きに行くと、ゲートを教えてくれた。そこは人だかりになっており、同じバスを待つ人達で有る事が分かりホッとした。 |
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12:45、乗車。マイクロバスだ。 |
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走り始めると直ぐに市街地を抜け、山が迫って来た。 |
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九江から廬山までは40km。山裾まで10kmも走っていない。30km以上ワインディングが続くと言う事だ。 素晴らしい景色を堪能したが、バスからでは写真が上手く撮れず残念。 このドライブだけでもここまで来た価値有り。 |
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オートバイで走ったら気持ち良さそう。 |
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13:45、廬山北山門到着。 ここで一旦降ろされ、入山するためにチケットを購入。180元。 |
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14:00、廬山バスターミナル到着。 下山の最終バスを確認すると、17:00だった。それをキープして散策へ。12元。同じ路線だが往路より3元も安い! |
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バスターミナルの有る正街。爽やかな高原の町だ。 |
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ここは広い!持ち時間とも相談し、仙人洞まで行ってみる事にした。 廬山は別名、匡山または匡廬。 言い伝えによると、殷周の時代に、匡という苗字の7兄弟がおり、この地で粗末な小屋を建てて隠遁生活を送り、その後仙人になり、彼らが住んでいた小屋が山になったと言う伝説から、山の名前が名付けられた。 北は長江に面し、長さ約25km、幅約20kmで、山の峰の大部分は海抜1000m以上で、主峰の漢陽峰は海抜1474mのところにある。山々は、雲に覆われており、幽玄。また、泉や滝、不思議な形をした石などが分布しており、見所が多い。 夏はさわやかで心地良いので、国内有数の避暑地、療養地として知られている。 |
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じっとしていると肌寒いくらいだった。 |
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如琴湖 九江の町は青空だったが山に登るにつれ雲が現れ、遂にはガスが降りて来た。 |
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見る見るうちに白くなった。が、風が吹くと飛ばされる。そしてまた降りて来る。この繰り返しだ。 |
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如琴湖に浮かぶ九琴亭も見えたり消えたり。 |
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立派な説明は有るが、その景色に中々出会えない。 |
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世界遺産マークを発見。今回2つ目の世界遺産だ。 |
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晴れていれば中央に九琴亭が見えるロケーション。 |
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やっと仙人洞へ到着。 いよいよ絶景に会える。 |
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毛澤東さんと同じポーズでの記念撮影をしきりに勧められた。 今回は行っていないが、この山にある廬山博物館は毛澤東同志旧居だ。 |
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仙人洞の門を入ると直ぐ現れる石松でも同じ。 |
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毛澤東さんの写真は1961年9月9日撮影。松って50年近く経っても形が変わらないんだ。 |
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御碑亭 どちらかと言うと、休憩所になっていた。 |
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こんな所に良く作ったなー。 |
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仙人洞 実に大きい。どこまで続いているかは不明。 |
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仙人洞の出口と思っていたら、実はここが入口で毛澤東さんの写真の門が出口だった。 私は仙人洞まで車道に沿って早歩きで来たが、私と同じ向きに歩く人がいない所を見ると、如琴湖からこのルートを取るのが正しい様だ。 しかし、後から抜くよりもすれ違いになる方が歩き易い。 |
漸く絶景に会えた。 仙人洞は夕日の名所だそうだが今日は無理。 廬山に宿泊する人の目当ての一つが日の出。しかし、綺麗な朝日を拝めるのは1年に10日も無いそうだ。 |
1946年7月から9月に、アメリカ大統領特使のマーシャル大将と蒋介石
国民党政府主席が会談をした“談判台”。 今は土産物屋になっていた。 |
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大きな岩がガッチリ組み合わさったトンネルが所々に登場。 |
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もし地震があったら、、、 |
張家界とは趣が違い、どっしりとした感じ。 |
割ときわどい所を歩く。 |
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巨大! |
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ガスが晴れるのは期待したが、むしろ濃くなって行った。 |
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突き出た岩の上に行く事も出来る。 危険区域には線が引いてあるが、年に数人は落ちる様だ。 |
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沢山の鍵が掛かっていた。 |
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もう真っ白だ。 |
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好運石 私も触っておきました。 |
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天橋 たったこれだけだが面白い。 |
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如琴湖から流れ出た水が川になって下って行った。 |
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散策路の入口に到着。 確かに前を通ったが、散策路の入口だとは気付かなかったなー。 |
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九琴亭に渡る九曲橋。 |
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石造りの立派な建物、今でも使っているようだ。 |
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如琴湖畔には立派別荘が点在。 張学良、蒋介石、毛沢東、周恩来などの有名政治家が居住した別荘が残されていることから、あこがれの別荘地として、人々の憧れの的になっているそうだ。 今はホテルとして使われている所も有り、少し惹かれた。 |
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廬山第一中学 奥の旧校舎は立派な石造りだ。 |
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門柱の「中国人民解放軍」看板と“紅星”が面白い。 |
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廬山冰川遺跡の冰卓。 その名の如くテーブルの様だ。 |
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レトロな雰囲気が良い。 |
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折角なので土地の料理が食べてみたい。 何軒か物色しこの店で「廬山活豆腐」と書かれた貼り紙を発見。それに決めた。 オーダーは「廬山活豆腐」だけ。すると、服務員のボスの態度が非常に悪くなった。気分は悪いが気にしない事にした。 歩いている間に大汗をかき、着ていたポロシャツはベチャベチャ。豆腐を待っている間にだんだん寒くなって行った。着替え様かと思っていた所に出て来たので、「拙いなー」とは思ったがそのまま食べた。恐らくこれが原因で、後にとても苦しい思いをした。 |
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飯付きで8元。辛さ無しの麻婆豆腐と言った所。 隣の大勢のグループは何種類も食べられ羨ましい。しかし、彼らは美味いそうに食べている私の姿を見て追加で頼んでいた。ガハハ。 |
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16:40、バスターミナルへ到着。待っていたバスに乗車。さあ下山だ。 漸くここでシャツを着替えた。 大きなバスで良かったと思っていたら、全員別のバスに移れと指示が出た。次のバスは来た時と同じタイプ。仕方ないと諦めていたら、更に別のバスへ移れと指示が出た。一体どうなっているのか分からないが、早く動くためには指示に従うしかない。 |
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それがこのバス。廬山は行き先の中に無い。一体なんだろう? 17:05、漸く出発。 |
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少し下ると青空が戻って来た。 |
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18:10、再び九江バスターミナルへ到着。 次のバスを考えながら掲示板を見ていたら、オバちゃんが行き先を尋ねて来た。咄嗟に『景徳鎮』と答えたら、『6時半が有る』と教えてくれた。次の目的地は「三清山」。元々考えていたのは、景徳鎮か南昌を経由するルート。午前中に十分見て回れなかった事もあり九江に泊まる事も考えていたが、景徳鎮に行けるならと、先を急ぐ事にした。 列に並び窓口で聞くと、やはり18:30が有った。ラッキー。56元。あのオバちゃんは何者だったのだろうか? |
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18:40、10分遅れで出発。 珍しくこのバスではチケットに印刷された座席が守られていた。 空席5つ。私が最後にチケットを買った様だ。 |
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九江−景徳鎮間はずっと高速道路。町どころか街路灯も無く、灯りと言えば星だけ。そう言えば星を見るのも久し振り。ぼんやりと見ていたら景徳鎮の料金所に着いた。 料金所を出ると直ぐ派手なライトアップの建物が現れた。陶器のマーケットか? |
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20:40、バスターミナル到着。 ターミナルビルは既に閉まっており、本日は景徳鎮泊まりが確定。 |
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食事にするか宿を探すか、はっきり決めないまま屋台を覗き込んでいたら、この少年が話し掛けて来た。 宿の客引きをしていた。一度は断ったものの、後をついて来るので話を聞くと、彼の家を紹介して来る。40元と言われ『高い!』と言うと、30元に下げて来た。面白いので見に行く事にした。 連れて来られたのがこの「祥和招待所」。シャワー・トイレ、部屋の鍵も問題ない。ここに決めた。30元。 彼は朱くん。16才。彼の話を聞くと、「婺源」と言う所が良いらしい。しかし、そんな所は聞いた事が無い。地図を見て場所は分かったがどんな所かは分からない。翌日、計画通り三清山に行ったが、その後何度かこの「婺源」を耳にした。良い所らしい。 |
朱くんに美味い食堂を聞いたら、ここへ案内してくれた。私を案内した彼は次の客を探しに行った。働き者である。 「婺源」とはどんな所か調べてみると
・・・ “中国で一番美しい農村”だった。『桃花源記』の情景をそのまま体験する事が出来るそうだ。そして、“まるでほこりをかぶったネガのように、長い年月を経てセピア色になった風景は、心の奥深くに根付いている昔の「家」の記憶を呼び起こし、前世へ戻ったかのような気分にさせてくれる”そうだ。残念な事をした。いつか必ず行ってみたい。 |
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この拉面、メチャ辛かったー。ビールも入れて8.5元。 |
2008.9.30(火) 今一番ホットで大混雑。案内が不親切なのでマップは必需
6:50、寝ていた朱くんの親父を起こしチェックアウト。 夕べロータリーでライトアップされていた壷。さすが陶磁器の町。奥に見えるのがバスターミナル。 |
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振り返ったこの奥が朱くんの家。こんな所やったんや。 |
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残念ながら景徳鎮から三清山への直行バスは無かった。想像していた通り、上饒で乗換えだ。 上饒行きは9:00発。50元。 今日、三清山に登れるのか心配になった。 |
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2時間も有る。バスターミナルの外で先ず朝食。 幾つか屋台が出ていたが、このおばあちゃんの作る米粉が美味しそうだったのでここに決めた。 期待通り美味しかった。しかし、辛くて朝から汗を掻いたのは失敗。2元。 |
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メラミン混入が問題になっている「蒙牛」のヨーグルト。 そんな事、おばあちゃんは知る由も無いだろう。 |
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たっぷり時間が有るので街の中心に向ってみた。 道端の肉屋。朝から豪快に捌いていた。 |
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人民公園に入ってみた。 |
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皆さん楽しそうに遊んでいた。 |
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さすが景徳鎮、遊歩道に陶磁器の欠片が埋め込まれていた。 |
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船を繋いだ浮橋。 潮州の湘子橋よりも面白い。 |
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漁船もいた。 |
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蜂蜜屋も。 |
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町の中もそうだったが、急ピッチで観光化が進んでいる。いずれはこの橋も有料になるかも。 |
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歴史と趣を感じる街並みに出た。 朝の街は何かと忙しそう。 |
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昔の街並みを彷彿させる通りに出た。再開発が進んでいる。 |
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御窯址 昔もこんな感じ? |
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龍珠閣 隣の塔。ここに登る事が出来れば内部が見渡せるだろう。 |
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市中心を走る珠山中路。都会だ。 真っ直ぐ進むとど真ん中の人民広場。 |
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御窯址正門。大きな所だったんだ。 |
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さっきのレトロな街並みの、反対側の入口だ。 でも作った感じがありあり。 |
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脇道の風景は悪くない。この生活空間が本当の姿だと思う。 |
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2階以上は見て面白い所も有る。 |
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こんな立派な所も。 |
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全体的に印象は只の歩行者天国。 でも、あと数時間経つと変わるかも。 |
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再び浮橋を通ると沢山の釣竿を見つけた。 暫く見ていたが、中々難しい様だ。 |
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投網でも捕れず。 |
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人民公園横の民家に見惚れた。 |
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バスターミナルに戻り一息つく。 |
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8:50、ゲートが開き乗車開始。 |
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ほとんど満席で定刻に出発。 |
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市内の道路は極めてフラット。 |
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10分も走ると田園風景になった。 |
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割とスピードも出ている。この分なら早く着くかと期待し、スピードメーターを覗き込んだら、針は“0”を指していた。 |
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対向車が見えてもチキンレースの如く反対車線を突っ走る。 とんでもない事故が良くある筈だ。 |
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出発から1時間経った所で道路工事をしていた。 砂埃も酷いが、路面は更に酷い。首が痛くなるほど。 こんな埃でも、道端ではどの店も普段と変わらず商売をしていた。 |
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田舎の舗装の多くはコンクリート。厚み25cmほどで、中間に網目の鉄筋が入っている。 この工事、さほど長くは続かないだろうと思ったが、45分も続いた。完成すると30分は早くなるだろう。 |
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いやいや、完成しても変わらないかも。 |
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11:20、白鶴寺(↓)前に停車しトイレ休憩。 バスはラジエータに給水。決まったパターンの様だ。 |
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歴史の有りそうなお寺。 反り上がった屋根が迫力満点。 |
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仏像が3体並んでいた。 |
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門から中を覗くと、色彩豊な塔が正面に見えた。 |
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弋陽で国道に出た。 ところがこの道、舗装され所々補修もされているが、凹凸、割れ目、穴と、耐えられないほど酷い!スピードも出ているので、ガツンガツンと大きなショックが首を襲って来る。 |
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月亮山 陽朔(広西チワン族自治区)と同じ名称。この格好をしていると皆この名称か。 この山を越えたら、突然都市が現れた。遊園地もあり、ここで下車する人もいた。 |
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更に少し走り上饒の町に入った。 |
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13:05、上饒バスターミナル到着。 降ろされた所で“三清山”行きのバスが目の前を横切り、バスターミナルの奥へ入って行った。 後を追おうとしたが警備員に制止され、正面玄関に回るように言われた。 |
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運良く13:30のバスが有った。28元。 あと105kmで三清山。イメージよりは少し遅いが、今日登れそうだ。 |
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ゆっくり飯を食う時間が無い。非常食を調達。9元。 |
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ゲートは既に開いていた。 |
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やっぱりさっき前を横切ったバスだ。 |
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景徳鎮−上饒間は全て地道だったが、上饒を発車したバスは直ぐに高速道路に入った。良かった。 |
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高速道路を降りた玉山まで田園風景が続いた。 |
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14:20、山を登り始めた。 |
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雲が多くなって来た。先が心配。 |
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湖が現れた。 |
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大きい。どこまでも続いている。 |
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湖が川に変わった所で、子供達が川遊びをしていた。 |
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15:20、三清山到着。3つ目の世界遺産だ。 ここでは最初からロープウエイを選択。入山150元、ロープウエイ55元。 ところが、案内表示が不親切で何処へ行けば良いのか分からない。チケット売り場で聞いても、応対どころか答えも不親切で気分が悪い。 |
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漸く乗り場が見つかった。 幸いにして待ち時間ゼロで乗れた。 高度はグングン上がるがスピードは遅い。所要時間40分ほど。奇景を堪能できた。 |
中腹に有った宿。泊まるならこんな所が面白そう。 |
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三清山は中国道教の名山の一つ。別称「小黄山」。面積220ku、主峰の玉京峰は海抜1819.9m。玉京峰、玉華峰、玉虚峰の3峰からなり、中国道教の3大神である玉清境洞真教主・元始天尊、上清境洞玄教主・霊宝天尊、太清境洞神教主・道徳天尊が肩を並べて座る様から名付けられたという。 山の中に、道観、亭閣、石刻、石彫、山の門、橋などが200ヶ所もあり、その規模が大きく気勢が雄大で、青城山、武当山、龍虎山と比べても見劣りしない。それ故、「露天道教博物館」とも呼ばれている。 2008年7月に登録されたばかりの世界自然遺産。 |
十大絶景(司春女神、巨蟒出山、猴王献宝、玉女開懐、老道拝月、観音賞曲、葛洪献丹、神龍戯松、三龍出海、蒲牢鳴天)を見るにはロープウエイで上がっただけではダメ。 三清山は9つの景区(南清園、万寿園、西海岸、陽光海岸、玉京峰、三清宮、西華台、三洞口、石鼓嶺、玉霊観)に分かれ、絶景は散らばっている。 それを歩いて回るのだが、非常に広いので全部回るには何日も掛かる。山の上にホテルがあるが、べら棒に高い!夏に寝袋を持って来るのがお薦め。 この空中散歩はかなり恐ろしい。 |
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今回は万寿園、南清園を回った。急な坂を上り下りし、とてもしんどかったが、十分その価値がある景色は実に素晴らしいものだった。 しんどかった理由はもう一つある。廬山の食堂での悪い予感が的中して、風邪をひいてしまった。喉が痛く、咳が出て苦しい。 もう一つ失敗。それは麓で地図を買わなかった事。ここは地球の歩き方には載っていない。ロープウエイを降りた瞬間から躓いた。案内表示はあるだろうと、安易に考え登った事がいけなかった。 それでも、ツアーガイドの話を盗み聞きしたり、少ない標識を見て、結果的に良いルートを歩く事が出来た。 |
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十大絶景の中でも代表的な景観が、司春女神と巨蟒出山。どちらもここを左に進めば行ける。 司春女神は、三清山の紹介に必ず登場する“長髪の少女”のようなシンボル景観。門票もその写真だ。海抜1180m余り、山の高さは86m。億万年、ずっと峰の上に立ち続け、生きとし生ける者を見落としている春の女神と思われ、名付けられた。
ここは外せない。 |
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素晴らしい。 |
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急な坂が続いた。 |
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もう一つのシンボル景観の巨蟒出山。海抜1200m余り、相対高度は128mである。積年の風化により、花崗岩の石柱となった。 悠々と時が流れても、相変らず聳えている。その姿は大蛇が空へと飛ぶようだから、「巨蟒出山」と称される。 とても力強かった。 |
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人の流れに沿って歩いて来たが、司春女神が中々現れない。この山の向こう側か? |
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17:40、山を越えたら渋滞になっていた。どうやらロープウエイまで続いている様だ。下りは歩いて行くつもりなので先に行かせて欲しいがそう上手くは行かない。 どんどん時間が経過し、夕焼けも無くやがて真っ暗になった。あー、司春女神に会えなかった。悔しい。 後で分かった事だが、巨蟒出山の手前で急階段を降りた時点でミスコースしていた模様。標識には注意して歩いていたのだが、、、残念。 |
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歩いて下山するつもりが、渋滞でクタクタになりロープウエイに変更。 結果的にこれが良かった。山道には全く電灯が無く、真っ暗闇。歩いて行くなど無茶な事。もし渋滞していなかったら、下山途中で真っ暗になり大変な事になっていたかも知れない。運が良かった。 |
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19:35、漸く麓へ到着。 上りは2人乗りのゴンドラだったが、下りは8人乗りだ。しかも非常に速い。5分ほどで着いた様な気がする。 ゴンドラを架け替えたのかと思っていたら、上りとは違う場所のロープウエイだった。 三清山には2つロープウエイがあり、上りは“南山索道”、下りは“金沙索道”だった事が、後に地図を見て分かった。 |
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門票は2日間有効になっていたが、明日もう一度登る気力は無い。それよりも出来るだけ先に進んでおきたい。 麓の町でバスを探したが、この時間になるともう無い。朝7:20発が一番早い事が分かった。そうなるとここで宿を探さなければならない。 宿は何軒も有る。客引きも多い。山の上ほどではないが、どこも高い。暫く物色していると、150元が最低ラインだった。これまでの5倍だ!世界遺産登録で値上がったのか? 脇道の奥にある宿に聞きに行こうと思ったところに、客引きのオバちゃんが登場。150元と言うので着いて行ってみた。 |
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案内されたのはここ。20畳もありそうな大きな部屋の隅に木組みのベッドが置いてあるだけ。これで150元は、、、でもクタクタで他に行くのは面倒。シャワー・トイレは綺麗だったのでここに決定。 夜中に咳わ出るし、ベッドはカチカチだし、兎に角大変な一晩になった。 |
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さっきのオバちゃんに食事がしたい事を伝えると、『私が案内してあげる』と、先に立って歩き出した。 何の事はない、隣の食堂に来ただけ。でも案内して貰って良かった。そこでは既にまかない飯が始まっており、一人では入れなかっただろう。 |
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この店にはメニューが無い。冷蔵庫の前に連れて行かれ『何にする?』と聞かれ困った。 まかない飯を見に行き、皆に話を聞きながら2品決めた。 |
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調理場を拝見。コック長が私の西紅柿炒鶏卵を調理中。 |
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おかずを持参してまかない飯の輪に加わろうかと思ったが、2品揃うのを待ち切れず箸をつけてしまったので寂しく一人で食べ始めたら、外国人は珍しいらしく店員達の質問攻めに遭った。 雰囲気が良かったし疲れもあり、ビールを2本飲み、46元。やはり割高、1.5倍ほど。 そろそろ食べ終りと言う所で、宿のオバちゃんがやってきた。絶妙のタイミングだ。オバちゃんと一緒に宿に戻った。 |
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この宿、実はお茶屋。こっそり空き部屋を貸しているのだ。 お茶を飲まないかと誘われ、テーブルに着いた。 さすがお茶屋、実に美味しい。『日本は抹茶でしょ』などと言われながら、話もはずむ。一年に数百gしか採れないと言う武夷山の“大紅袍”を飲ませてくれた。美味しかったー。今年、この店の老板が江沢民さんに出したと言う代物らしい。店にその時の写真が飾ってあった。その老板とは、その場にいた女性3人とは違う若い女性だった。 お茶を入れてくれた小姐はここの従業員。もう一人は娘かな? |
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ここで正しい湯飲みの持ち方を教えて貰った。 女性の場合は、小指を立てる。 |
2008.10.1(水) 長〜い一日だった
咳が出て眠れないところに、夜明け前から外が騒がしいので更に眠れない。 外を見ると、騒がしいのはロープウエイ乗り場だ。日の出を見るために山に登る人に整理券を配り案内していたのだ。良い事だとは思うが、もう少し音量を絞った方が良い。 |
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宿の隣に旧家を発見。どうせなら、こう言う所に泊まってみたかった。 |
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このお茶の3階に泊まった。 奥の駐車場の更に奥の建物が夕べの食堂。営業許可を取って宿もやっていた。 |
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麓からだったが日の出を見た。 昨日の感じじゃあ日の出は拝めないと思っていた。山を降りていた事がちょっと悔しい。 |
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もっと悔しかったのは、順番を待っている間に日の出を迎えた人達だ。きっと大勢いた事だろう。 |
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ロープウエイ乗り場に行ってみると屋台が沢山並んでいた。 幾つか物色。このおでん鍋が気に入った。 |
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おでん鍋で寒天面を茹で、色々な種類の串の中から竹の子を入れて貰った。6元。 これがまた美味しかった。大満足。 |
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そして、この少年を呼び止め、 |
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漸く地図を買った。5元。 表紙はやはり司春女神。あー悔しい。 |
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車が有れば楽チンだが、、、 |
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7:00、少し早いがハスに乗れると言う宿の前に行った。 そこでは、この界隈の食堂の仕入れが行われていた。夕べのコック長もいた。見ていると、仕入れ量にバラツキがある。しかも大きい。仕入れ量の多い食堂で食べてみたいと思った。 |
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7:20、時間通りにバスが来た。 上饒に行きたいが、このバスは途中の玉山行きだ。しかも乗り合いなので遅い。15元。 |
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バスは超満員で山を下った。 |
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8:50、やっと玉山に到着。くたびれた。 |
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バスターミナルに着いたが、そこには上饒行きは無かった。麻煩。 長距離バスターミナルを探し、中心部と思われる方向に歩いた。 |
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大通りに出た所で警官を発見。尋ねてみた。 すると、『この道を真っ直ぐ行けば有る』と教えてくれた。 |
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国慶節のため人が多い。 この辺りでは、国慶節にテーブルや梯子と言った木製製品を新調する習慣が有る様だ。 |
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暫く歩いたが一向に見つからない。この交番の前に立っていた警官にもう一度尋ねてみた。すると、歩いてきた方向を指差し『放送局のところだ』と教えてくれた。 見過ごした事にガッカリしつつ、500mほど戻ったが見つからない。それ以上行っても無いと判断し、また戻った。仕方がないので火車站に行こうと、さっきの交番の交差点を左折。 左折した所にホテルがあったのでもう一度尋ねてみた。すると、この交差点の対角の所がバスターミナルだと教えてくれた。 この写真でも分かるが、ホテルで教えて貰った通りだ。この交番の警官にはすっかり騙された。クッソー! |
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9:30、待ち時間ゼロで発車。良かったー。 行き先は上饒。10元。 |
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このバスも満員。 |
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所々舗装の無くなる国道。 |
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舗装部分も酷い路面。これがずっと続いた。 |
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10:35、上饒到着。 またしても思っていたバスターミナルと違う。うんざり。 この後何人に尋ねただろう?行き方を尋ねても地名しか教えてくれない人など色々だったが、何とか辿り着いた。 |
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このレストランが見えた所で安心した。 バスターミナルはこの対面。 |
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11:15、バスターミナル到着。良く歩いた。 早速チケットを購入。12:30発、37元。 待合室のベンチに座って一息つき電光掲示板を眺めていたら、一本早い11:40に空きが9席有ると出ていた。もう一度窓口に行き確認すると、とんでも無い態度で『没有』と言われた。腹が立つ。 |
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11:30、一本前のバスのゲートが開いた。検票のオバちゃんに、前のバスに乗れないか交渉。 出発時間になって空きが有ったら乗せてくれる事になった。 しかし、中々現れなかった2人がギリギリになり現われ満席になってしまい乗れず。残念。そのバスはオンボロのマイクロだったので、結果的には乗れなくて正解だったと思う事にした。 |
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次の時間が確定したので食事。 バスターミナル前で数軒物色。食堂も見たが、この屋台が一番美味そうに見えた。 |
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ワンタン、3元。 良い味出してたねー。もう一杯食べたかったほど。 |
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風邪の具合が良くない。喉が痛く、咳も多くなって来た。 バスターミナルの売店やスーパーでのど飴を探したが、ここには無い様だ。そこで目に入ったのが薬局。普段立ち入らない所なので思いつかなかった。 店に入ると、すかさず白衣の小姐が声を掛けて来た。のど飴を探すつもりだったが、喉が痛い事を伝えたら薬を選んでくれたので断る理由は無く、それを買った。10.6元。 早速飲んで、気持ち楽になったかな?・・・この風邪は10日経った今も尾を引いている。 |
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12:30、バスは定刻に出発。 上饒−武夷山間には近代都市は無く、ずっとこの調子で楽しい。 |
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尖った山が見えて来た。 あちこちで尖った山を見て来たので、ここが武夷山かと思ったら、ここは“北武夷”と言い、まだ江西省だった。 |
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14:15、省境の峠でトイレ休憩。メインはバスへの水の補給。 |
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一本前のバスとは比べ物にならないほど立派なバスでも給水が必要とはビックリ。 |
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道の向こうにも同じ様に給水設備とトイレがあった。 |
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ここから先は福建省。この山を下ると武夷山だ。 |
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15:05、武夷山到着。 世界遺産はここから15km。どうやって行けば良いか、歩いている人に聞いていたら、 |
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彼がやって来た。 15元で行くと言う。待ち時間も停車時間も無い。また反則だが、彼のもう一つのドカヘルを手に取った。 このバイク、125ccとは思えぬパワー。私が重過ぎるのか、どんどん抜かれる。正に「トコトコ中国」だ。 |
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彼のバイクは大通りから裏道に入った。 彼の特技は走りながら電話を掛ける事。何回目かの電話はお姉さんからだった、財布が家に置きっ放しだったそうだ。案の定、免許証も持っていなかった。 |
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ゴムボートでの漂流が人気らしい。彼がしきりに進めてくれるが興味は無い。 彼に乗った事が有るかと尋ねたら、答えはNo。高いって。 |
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連れて来られた所は“下梅”。『そこで切符を買って』と、窓口を指差されたが、ここが目的の世界遺産だとは思えない。 地球の歩き方の地図で位置を確認したが圏外で分からず。看板には惹かれるが、パス。いきなりじゃなければ入っていたかな。 |
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古民家を横目に世界遺産へ向った。 |
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自然豊で気持ち良い。 |
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また別の場所に行ってしまわないよう、第一目的地をこの橋にした。 ところが、道が分からないのか地図が読めないのか中々辿り着けず、挙句の果てには『バイクはこれ以上先には行けない』と言われ、橋の手前のホテル街で降り、歩いて渡った。 寄り道したので随分余分に走ったが、こちらも時間をロスした上に目的地に着けなかったので約束の15元だけ渡した。 橋の向こうが中国最高の奇観と言われる“武夷山風景区”、4つ目の世界遺産だ。 |
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武夷山は風景区と自然保護区の複合遺産。1999年、世界遺産登録。 風景区は周囲60kuにわたる。武夷山で一番風光明媚な場所は九曲渓。渓流の水は青く、清く、つづらおりの山の景色が楽しめる。武夷山で最も有名な峰や切り立った断崖絶壁の中の洞窟に配置されている神秘的な古代の棺桶群も、ここ九曲渓の近くに集まっている。
風景区内は宋の時代の窯(磁器を焼いたところ)の遺跡や、武夷宮などの見所も点在し、一見の価値あり。
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武夷山自然保護区は中国東南部で最大の自然保護区で、中亜熱帯の森林の生態系をほぼ完全に維持している。区内には山の峰が林立し、原始林も密生しており、景色は雄壮。 武夷山は気候が良く、風光明媚で、悠久の歴史を刻んだ街。全国的に茶の名産地としても知られている。三清山で飲んだ“大紅袍”はこの左岸の“大紅炮風景区”で栽培されている高級茶。かつては皇帝に献上されていたそうだ。 |
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筏による九曲渓の川下を断念した人か、この崇陽渓でもゴムボートでの漂流が人気だった。 |
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橋を渡り、武夷宮景区の裾を歩いて南下していたら、後からさっきのバイクタクシーがやって来た。 バイクも入れる事が分かったので追い掛けて来たそうだ。胡散臭いが、このまま歩いていたら直ぐに日が暮れそうなのでもう一度乗った。結果的に、これであちこち見て回る事ができ非常に良かった。 |
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九曲渓沿いに一曲がりから遡った。 「奇秀甲於東西」、奇観にして秀逸な風景は中国東西で武夷山が一番、と言われる風景だ。 「碧水丹水」、青い水と赤い山、と喩えられる水墨画そのままの世界だ。 ここには珍しい動植物も生息している。 |
武夷山風景区の中で最も美しいとされる天游峰景区入口。 |
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何て事は無い、市内からのバスがここを走っていた。 バイクはOKだが一般車はこのエリアには入れない。 |
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風景区内の移動手段の中心はこのカート。 |
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武夷山観光の売り物の一つが九曲渓の筏下り。凡そ9kmを2時間近く掛けてゆったり下り、自然を満喫する事だ。 是非乗ってみたい。バイクタクシーの兄ちゃんは時間が遅いので今日は無理だと言っていたが、碼頭まで行ってみた。 途中で筏を引き上げて来たトラックに出くわしワクワクした。 |
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星村碼頭 やはり終っていた。 |
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あの山に向って下るのか。 |
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隣の碼頭に行ってみると、チケット売り場はもう閉まっていたが、団体が乗り込むためにやって来た。 空きが有ったら乗せて貰おうかと思い暫く待ってみたが、乗れそうな雰囲気は無く残念だが諦めた。 |
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益々乗りたくなった。 |
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筏に乗れなかったのは残念だが、素晴らしい風景を堪能した。 |
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奇観と言うのがピッタリ。 |
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一曲付近の広場に立つ塔。バックは大王峰。 |
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武夷宮景区入口 |
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世界遺産マークを発見。 風景区に入らず、筏にも乗っていないが、日が暮れて来たのでここを最後に市内に戻った。 途中、バイクはガソリンスタンドに寄り、私の渡した15元の中から10元分ガソリンを入れた。2Lにも満たない。何だか申し訳ないような気がした。 |
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世界遺産近くは高級ホテルばかりで予算オーバー。 バスターミナル近くの招待所なら安そうだが、世界遺産へのアクセスが悪くなる。 バイクタクシーの兄ちゃんに何軒かまわって貰い、市の中心に近い宿に決めた。 隣近所には怪しい床屋が点在していた。 |
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『国慶節だから』宿代は高い。100元。 この部屋はトイレ・シャワー付。 |
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バイクタクシーの兄ちゃんに、まだ時間が尋ねると『有』との答え。夕食に誘った。地元料理を指定し、地元民でごった返す店に連れて行って貰った。 ここもメニューが無い。彼は遠慮してオーダーしないので私が3品頼むと、多過ぎると言う。確かに多かった。しかし、食べ切れなかった分は打包して彼に持って帰って貰ったのでOK。ビールを2本飲んで、96元。 帰りのバイク代は色を付けて20元。彼にしたら、食べ切れないほどの食事よりもキャッシュの方がニーズが高かったかな。 彼の名は、衷くん。28歳。1歳半と4ヶ月の子持ち。2人目が生まれてた時には6,000元の罰金を払ったそうだ。’02年頃広東省東莞で働いていた。 |
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食事の後、『家に来ないか』と、誘ってくれた。本当は行ってみたかったが、子供に風邪をうつしては大変な事なので遠慮した。 すると、『市の中心を紹介する』と、中心の繁華街などへ連れて行ってくれた。 20:00、バイクが宿に着いた。すると彼が『明日は、車は必要ないか?必要なら連絡して』と、私の携帯No.を聞き電話を掛けてくれた。そしてドカヘルを返し、彼のバイクを見送った。 疲れ果てていたが、咳が酷くて深く眠れない。やれやれ。 |
2008.10.2(木) 巨大な岩にビックリ。一大レジャーランド的でちょっとガッカリ
今日も夜明け前に起床。6:20、宿を出発。 筏に乗るため早く行こうと思って出発したが、50mも歩かぬうちに人だかりでストップ。 |
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覗き込むと、この四角い揚げものに強烈に引き寄せられた。 もち米ベースの揚げ餅。1元。期待通り美味しかった。 |
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更に、夕べから気になっていた沙県小吃の店を覗くと、ここも繁盛している。 |
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店先の調理場を見ていると、脇の蒸し器から何やら取り出し米粉と合わせている。 |
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蒸し器の中を見ると、表の看板に出ているスープだ。 色々ある。単品はもちろん、米粉と合わせる事が出来るのだ。 |
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風邪で体力が落ちているので、ウコッケイのスープと米粉を合わせて貰い栄養補給。7元。 これも絶妙な味だった。毎日はしんどいが、一週間に4回なら食べられそう。 |
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6:45、バス乗車。寄り道をしていて遅くなった。 昨日の下見でバス路線は分かっていた。星村行きに乗れば、碼頭へ行ける。しかし、筏は非常に混んでいる上、団体が優先されると聞いていたので行き先を迷っていた。そこに南門行がやって来た。少し考えたが、先に走っていれば次の星村行きに乗り換える事も出来るので乗った。3元。 |
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また武夷山にやって来た。 バスの中で、「筏 → 天游峰登山
→ 12:00のバスで広州へ帰る」、「朝一は、筏は混んでいるかも知れないので先に登山」、「ここまで予定通り来たので予備日が余っているから一日延ばす」など、色々考えていた。 ところが、バスは右折すると思っていた交差点を直進し、どんどん突き進んだ。何人か観光客も乗っているが、目的の武夷山風景区に着けるのか心配になり予定どころでは無くなった。 |
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7:25、心配したが入場門に着いた。 南門は、地球の歩き方の地図外だったので見つけられず慌てた次第。 |
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チケット売り場は大混雑。横入りばかりで腹が立つ。徹底的に阻止した。 筏のチケット売り場はこれ以上に激戦。それを見たら一気にテンションが下がり、筏は止めた。12:00のバスで帰ろう。 |
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入場料140元。ところが、入場門ではチケット確認無し。 この入場門から天游峰景区入口までは非常に遠い事は分っていたので何かに乗らなければならないと思っていたら、昨日見たカートの乗り場が現れたので並んで乗ったが、ここでもチケット確認無し。 「国慶節なので無料開放か?だったら140元損した。返せ」と思った。 |
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天游峰景区でカートを降り、天游峰を目指した。 景区に入ると直ぐ、左手に“茶袍”の石碑と茶畑が現れた。 |
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川下りはもうここまで来ている。大混雑に違いない。団体に横入りされようものなら気分が悪くてしょうがない。やっぱり止めておいて良かった。 |
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奇観が目の前に迫って来た。 |
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進行方向右手の丘の上。案内板に誘われて駆け上がったが、殆ど人がいない。 それもその筈、新しく作ったものだったからだ。 |
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いよいよ天游峰登頂。 このルートは急坂。左側に山の裏から登るルートがあり、そちらは比較的緩やかで、籠で登る事も出来る。 私は当然急坂を選択。 南門で買ったチケットの出番がここで登場。無料区でも十分楽しめる所は良い。 |
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急勾配にも驚いたが、列を成した人に更に驚いた。12:00のバスに乗れるかも心配。 登りにつれ素晴らしい風景が現れた。さほどの高さではないが、とてもしんどい。自分の体力の無さにガッカリ。 中腹の茶洞ではお茶の良い香りがした。茶洞は生涯人々に尽くした医者に初めて仙人が茶樹を与えたと言う伝説の場所。 九曲渓、七曲から六曲。絶景!七曲は幅が狭く、筏は面白そう。 |
何とか登り切ったが、ヘロヘロ。 |
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面白そうな看板を発見。蒋介石の奥さんのダンスホールとは? |
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只の土産物屋だった。 |
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大きな文字。 |
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下りは裏側の階段。 張家界に似ていると言われている桃源洞に行ってみようと思ったが、天游峰の坂を思い出し中止。 |
筏へ乗るのは諦めたが、せめて風景だけでも同じ目線で見ようと川に降りた所でビックリ! 朝のバスで隣に座っていたカップルが筏に乗って目の前を通り過ぎて行った。向こうも気が付いた様だ。 |
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彼らに付いて行っていれば、この筏に乗れたかも。と思うと、ちょっと残念。 |
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雲窩 冬や春の明け方に良く雲や霧がかかるのでこう呼ばれている。 明末には隠居場所として多くの楼閣が建てられ栄えたが、その後すたれた。’80年代になり古代建築物の再建が始まり、当時の姿が再現されつつある。 |
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巨大な岩。上に見えるのが天游峰だ。 |
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大きな魚がウジョウジョいた。 |
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ここもほんの少ししか回っていないが面白い所だった。 |
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背中を見せている人達は緩やかな坂を選んだのだ。 |
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崩積洞 垂直節理と重力の作用で出来ているとの解説があった。 10:05、まだ少し時間は有るが観光はこれで終了。南門までカートに乗った。 |
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バスに乗る前にトイレに行った。ここで面白いキャッチコピーがあった。 “前進一歩 靠近文明”、「一歩進める度に文明に近づけます」と日本語訳あり。その訳も面白いが、文明に近づこうと思うなら先ずゴミのポイ捨てを止める事だよ。 |
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10:20、バスターミナルに向け出発。 このバス、運良くバスターミナルの真ん前を通過。バスターミナル前で降ろしてくれた。3元。 |
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10:55、バスターミナル到着。 広州行を購入。292元。 12:00発と聞いていたが、それは珠海行きで、広州行きは12:40発だった。最初に聞いた時にそれを教えてくれていたら、もっとゆっくり観光できたのに。 |
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そんな事を言っていてもしょうがないので、残った時間で昼食を楽しむ事にした。 |
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バスターミナルの周りを物色。 昼前から盛り上がっていて面白い。 |
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明るく、オープンで気持ち良さそうな事と、九江での感激を思い出し、ここに決めた。 |
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おかずは一皿2元。 持ち帰りの客も多かった。 |
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ご飯はセルフサービス。無料。 |
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これで10.5元。ここでも完食した。 食べている間にどんどん客が増え、食べ終わって寛いでいた所を押し出された。 |
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隣のマーケットでは鶏が放し飼いで売られていた。 |
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バスターミナルに戻ると、後ろから『老板!』と声を掛けられ、振り向くと昨日の衷くんがバイクに跨っていた。 暫く話をし、お互いに名残惜しみながら別れた。 駐車場を覗くと、広州行きのバスは既に到着していた。後方に珠海行き(白)もいた。比べて見ると、広州行きの方が良く見える。行き先を見ると、広州も経由する事になっているが、この先1,120qの長丁場を考えると40分遅くても正しい選択だったと、この時は満足だった。 |
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全ての観光が終わり、安堵して最後の長距離バスの出発を待った。 メジャーな観光地でも人里離れており路線バスで来る観光客は少なく、バスターミナルは古く、小さく、風情がある。 |
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距離と運賃表が出ていたので本日の価格はどの程度高くなったものか確認。 ところが、広州まで391.6元になっている。100元も安かった。う〜ん、分からない。何故だ? |
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12:40、定刻に出発。 案の定ガラガラ。 下のベッドでは早速トランプが始まっていた。 |
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出発したバスは武夷山風景区に向って行く。 今朝、南門からバスターミナルに向っている途中、昨日歩いて渡った橋の袂のホテル街に長距離バスの停留所らしき所を見つけていた。私の乗ったバスは、その停留所に停車し、数人乗車した。更に、南門の前を通過。これが分かっていたら、もっとゆっくり出来たのに。 |
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田園風景の中で住宅建築が進んでいた。こんな所までも。 |
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14:20、建陽バスターミナル到着。 地方のバスターミナルに寄りながら、ノンビリ走った。 |
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中々面白い町だ。 |
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所々に名所旧跡らしき所が見えた。 |
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ひとたび渋滞すると、列は長く伸びるよりも横に膨らむ。武夷山
のチケット売り場と同じ。習性だ。 こうなるとデッドロックかと思うと上手くすり抜ける。さすがだ。 |
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バスは崇陽渓を左手に見ながら南に進んだ。 |
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所々で高速道路を建設いていた。来年の国慶節はバスのルートが変わっているかも。 |
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高速道路の橋やトンネルは既に完成していた。 |
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16:25、高速道路の料金所の看板が見えた。 ここから高速道路かと思いきや、料金所を左手に見ながら通り過ぎた。 |
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料金所を通り過ぎたところで、武夷山を40分早く出発した珠海行きのバスを発見。追いついたのだ。 ほどなくして2台とも南平バスターミナルに入った。そこを先に出発すれば逆転。良い選択をしたと、改めて思ったが、、、 我々のバスの左前輪にドライバーなど数人が集まり、タイヤを指差し、両手の親指と人差し指で円を作り話し合いが始まった。トラブル発生? |
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南平バスターミナルを先に出発。 さっき通過した料金所方面に向うので高速道路に乗ると思いきや、峠の中腹のガソリンスタンドの中を素通りしてUターンし、直ぐ手前のタイヤショップに入った。やはりトラブル発生。 |
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ここで左右前輪を交換。 タイヤを外す時に更に問題発生。巨大インパクトレンチでもハブナットが弛まない!ねじ山が潰れていた。 バスのタイヤ交換を見るのは初めて。物が大きいだけにツールも大きい。リム落としのツールはスライディングハンマー付きの巨大耳かきだった。 |
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タイヤを外す所を見ていたら、バランスウエイトを取り外していた。 交換後、バランスは取れないだろうと思っていたら、小屋の中に大きなバランサーが有った。 リムサイズも測り、きちんと仕事をしていた。当たり前の事だがとても驚いた。 タイヤは新品になったが、ハブナットはここでは何ともならない。取り敢えず締めたが、やはりトルクが出ない。ここで修理工場を紹介して貰い、移動した。 大型の修理工場だったが、そこでは何ともならず、話し合いだけで再出発。 |
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どうするかと思ったら、この橋を渡り別の山の中の修理工場へ行った。漸くそこで修理できたが、外はもう真っ暗。合計2時間15分のロスタイム。もう珠海行きのバスには追いつけない。 修理した工場は、某社の契約サービスショップだった。私はこのサービスショップの全国会議懇親会に3年連続で出席させて頂いており、顔見知りになった方が沢山いる。もしかすると、このショップの総経理もその内の一人かも。今回は店に誰もいらっしゃらず未確認。 南平は中々風情のある街並みだった。 修理を終えたバスは程なくして高速道路に乗り、遅れを取り戻すためカッ飛び始めた。それもその筈、高速道路のサービスエリアで数人がこのバスを待っていた。お陰で夕食休憩を取らない。やっと夕食になった時には午前1時を少し過ぎていた。そんな時間ではもう食べる気がしない。バスから降りたものの写真すら撮る気がしなかった。 |
2008.10.3(金) 最後の最後に思わぬ苦労
夜明け少し前に目が覚めた。その後は順調に走って来た。 しかし、所々で高速道路を降り、料金所を出た所で客を降ろし、直ぐにUターンして高速道路に戻る事を繰り返し、まどろっこしかった。少し前なら(今でも時々いるが)、高速道路の路肩で降ろし、客はランプウエイを歩いて料金所まで行ったものだが。 7:50、恵州の料金所を出た。ここでは直ぐ止まらない。バスのフロントウインドの行き先に「恵州」も書かれており、バスターミナルまで行くのかと不安になった。すると、地道に出た所で客を降ろしUターンして高速道路に戻ったのでホッとした。ラッキーな事に東莞と増城はスキップしてくれた。 |
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9:15、今回の旅の出発点になった広州の天河客運站が見えて来た。無事帰って来た。 その前で降り様としたが止まってくれない。「もう少し先でも良いか」と思っていたら、高架道路に入り降りられなくなってしまった。 あ〜中信ビルから離れて行く。 |
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広州站も通過。家からどんどん離れて行く。 それならそれで、芳村客運站には行った事が無いので見ておくのも良いと、考えを改めた。 しかし、楽しみにしていた朝マックが食べられるか心配。 |
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9:50、芳村客運站到着。広州はまだ暑かった。 バスは海南島の海口と桂林行きの間に停まった。無事帰って来れて本当に良かった。ドライバーのオッチャン達に感謝。南平でのロスタイムが無かったらもっと良かった。 |
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芳村客運站は巨大バスターミナルだった。色々な行き先が有った。海南島に行くならここからが便利だ。 家の近くが終点の811路バスがこの近くを通っていた筈。バス停を意識しながらマックを探して歩いた。マックを見つけた時には既に10:10になっており、朝マックは終っていた。店に入ったがテンションが下がり、何もオーダーせず出た。歩けど歩けど811路のバスが見つからない。諦め、1路、40路と乗り継いで、やっと11:30に家に着いた。 大きなトラブルは無くほぼ計画通り進められたのは奇跡。自分の運の強さに感謝。有名だが中々行けない観光地を梯子したが、どこも少し舐めただけで勿体無いと思われるかも知れないが、トコトコの旅はバスを乗り継ぐ事にも大きな意義が有るので本人は大満足。真面目に観光したら身体がもたなかっただろうし。 今回も色んな人に出会い、良い経験が出来た。そして、これで未制覇の世界遺産は7つになった。完全制覇も目標ではあるが、次は江西・婺源に行ってみたい。 |
2008.10.10(金) おまけ
日本からのお客様とカンチャン2号店に行った。仕事の都合で私だけが少し遅れて着いた。テーブルの上は既に賑やかになっており、席に着くと同時に箸を全開で動かした。一頻り食べた所で、大事な事を思い出した。そう、今日は私の誕生日だった。 それを馴染みの栄美ちゃんに伝えると、『何か考える』と言ってくれた。 暫くしたら、「HAPPY
BIRTHDAY」とマヨネーズで書いたお好み焼きをプレゼントしてくれた。感激! |